局面転換のカギは公的資金
米国の住宅ブームとその反動としての住宅不況から派生し、世界経済の重しとなってきたサブプライムローンの問題は、2008年9月、米国第4位の証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻を節目として、いよいよ最終局面を迎えようとしている。世界の金融産業は経営破綻や企業の合併、再編など、大きく揺れ動くことが予想されるが、それは問題の解消に向けた最後の試練と言えそうだ。
この局面転換の最大のポイントは、米国政府が公的資金の本格的な投入方針を打ち出したことである。サブプライム問題の解消には公的資金の投入は不可避、あるいは早道であるとの見方は早い段階から広まっていた。しかしその一方で、公的資金による救済策は、企業や個人が政府による救済に依存する体質を醸成させてしまうという、いわゆる「モラルハザード」への懸念が根強かった。加えて、極端に高い所得を得ている金融機関の幹部職員を守るために公的資金を投入することに対する感情的な反発もあり、コンセンサスを得ることは容易ではなかった。そのため、米国の政策当局は、3月のベアー・スターンズ証券の危機に際して公的資金を用いた支援策を打ち出してJPモルガンによる救済合併を実現させたことなど、事態の進展を追いかける形の施策を実行するにとどまってきた。
そうしたなか、結果的に公的資金投入につながったのが、半官半民のファニーメイ、フレディマックの両住宅公社に対する施策であった。政府は3月、両住宅公社の不動産担保証券(MBS)購入の上限規制を緩和したが、それを受けた両住宅公社は、4月からの3ヵ月間に約1,700億ドルのMBSを購入した。金融機関や投資会社は、MBSを住宅公社に売却することで損失を確定させ、不良資産の処理を進めることができた。
その間、MBSの市場価格の低下によって住宅公社の損失は膨らんだが、問題の中核とも言えるMBSの相当部分を住宅公社に集中させたことで、両公社への公的資金投入も止むを得ないとするムードが醸成された。7月に入ると、両公社が発行した1兆6000億ドルに達する債券の信用力の低下が深刻化したが、それを受けて、13日に公的資金を用いた支援策が発表され、30日には両公社に対する2,000億ドルまでの公的資金による資本注入を認める住宅公社支援法が成立した。
それによって、住宅公社に関する懸念は薄らいだが、住宅公社によるMBSの買い入れが事実上停止したことで、不良資産の処理が遅れた金融機関の経営に対する不安感を一段と高めることにもなった。それが、9月15日からの数日間に起きた、リーマン・ブラザーズの経営破綻、バンク・オブ・アメリカによるメリルリンチ証券の救済合併、公的資金投入による保険最大手AIGの救済といった急展開へとつながっていった。
この局面では、リスクを認識していない個人に損失が及ぶAIGを救済する一方、破綻にともなう損失がリスクを認識していた投資家にほぼ限られるリーマン・ブラザーズを破綻させたことで、公的資金投入に際しての一種の規律が明確にされた。さらに、リーマン・ブラザーズを見捨てたことは、公的資金投入に対する国民一般の感情的な反発を和らげる意味合いもあったように思われる。
こうした段階を経て、20日には不良資産の買い取りを柱とする公的資金の本格投入策が発表された。29日には、金融安定化法案として下院に提出されて否決されたことで先行き不透明感が高まったが、民主・共和両党の指導部の間では合意を得ていることに加えて、株価の急落に象徴される市場からの圧力もあり、公的資金投入策は、早晩、議会を通過して実現に向かうものと考えられる(下注参照)。それは、サブプライム問題が、金融産業の再編を主潮とする最終局面へと移行することを意味している。
注:本稿入校後、金融安定化法案は、諸々の修正が加えられたうえで、10月1日に上院、3日に下院で可決され、成立した。その間の修正の影響もあって、今回の安定化法では問題解消には不十分との見方も強まっている。しかし、仮にそうであっても、公的資金投入という大きな方向性が定まったことで、実効性のある追加的な施策が打ち出されることが見込まれ、サブプライム問題が最終局面へ移行するとの判断を見直す必要はないものと考えられる。
業界大再編と事業構造の再構築で揺れる金融産業
公的資金の投入方針が固まれば、金融システムや金融市場が機能不全に陥る懸念は薄らぐだろう。不良資産買い取り枠が巨額になると想定されることから、中長期的な米国政府の財政悪化が懸念されているが、買い取る資産の多くが、明確に需要がある住宅を担保とした債権を原資産とするものであり、よほど甘い価格査定をしない限り、損失額は買い取り額に比べてごく小規模なものにとどまるだろう。公的資金による資産買い取りが実施されることで、資産価格の下落が抑えられる効果も期待できる。
その一方で、金融業界では、投資家の信認を回復するための不良資産処理の加速や、深手を負った企業は破綻を回避するための救い手捜し、余力のある企業は業容拡大のための買収対象の選定と、それぞれの置かれた状況に応じて慌しい動きを続けている。今後も当分の間、経営を破綻させる企業や、大型の企業買収、事業の統廃合といった話題が相次ぐことになるだろう。9月下旬にはS&L最大手のワシントン・ミューチュアルが破綻した。こうした動きは、世界中の金融機関を巻き込むことになる。既に、三菱UFJフィナンシャル・グループがモルガン・スタンレー証券の筆頭株主となり、野村ホールディングスがリーマン・ブラザーズのアジア・欧州・中東における事業を買収するなど、日本勢の動きも目立っている。
また、金融産業の再編の過程では、サブプライム問題で明らかになったような、証券化商品の行き過ぎた複雑化・多様化については、規制と監視が強化されることと、投資家に受け入れられなくなることで、修正を迫られることになるだろう。
さらに、金融サービスを提供し、経済のインフラとしての役割をも果たす金融機関が、収益拡大のために自らの勘定での投資を膨らませてインフラの機能をリスクにさらすことに対しても、規制当局と投資家の双方からブレーキをかけられるものと考えられる。その結果、多くの金融機関が事業構造の大幅な見直しを迫られることになるだろう。大手証券会社のなかで生き残っているゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーの両社が、証券会社から銀行持株会社への業態転換を決めたのも、公的資金による支援を受けやすくするという理由に加え、自己勘定による投資で稼ぐ事業構造を事実上放棄するという意味合いが含まれているものと考えられる。
ただ、金融産業の業界地図と個々の企業の事業構造が変貌を遂げても、米国の金融産業全体としてのプレゼンスが大きく後退する可能性は低い。米国の金融産業が生み出す付加価値額がGDPに占める比率は8%に達し、英国と並んで他の欧州諸国や日本を大きく上回っている(図表1)。
図表1.各国のGDPに占める各産業の構成比 |
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これは、米国の金融機関が、米国内の金融サービスへのニーズに応えるだけでなく、国境をまたいだ金融取引の仲介など国際的な金融ニーズを取り込んで事業を展開しているためだと考えられる。加えて、米国の金融システムが、ファンド性の金融商品を通じた、いわゆる「市場性間接金融」を主力とする構造になっていることも効いているだろう。米国では、1980年代以降、MMFや投資信託、年金ファンドなどファンド性の金融資産のウエートが高まり、金融システムの中核になっている(図表2)。ファンド性の金融資産の場合には、それを組成する段階や、多様な商品を投資家に販売する段階で付加価値と雇用とが生み出され、それが経済における金融産業のプレゼンスを大きくさせているのである。
図表2.米国の家計セクターの金融資産の構成 |
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- 出所:Flow of funds
- 個人企業の出資持分を除いて算出
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こうした構図は、これから金融産業全体が激しく揺らぐ局面を迎えても、大きく変わることはないものと考えられる。国際的な金融サービスを提供できる人材とそのネットワークの多くが米国の金融産業に集中しており、彼らが所属する企業やその資本構成が変わっても、活動の舞台が米国の金融産業であることは変わらないだろう。
また、市場性間接金融を主力とする金融システムは、原資産のリスクとリターンをさまざまに切り分け、組み合わせた商品を組成することで、多くの消費者が各自の事情に応じたリスクを取ることを可能にし、個人のより有利な資産形成と、経済全体としてのリスク吸収力の極大化を実現できる。この特質は、米国経済のダイナミズムの源泉の一つとなってきた。市場性間接金融を主力とする米国型は、現段階では最も進化した金融システムと言える。その中で経済活動を行ってきた企業や個人の高度な金融サービスに対するニーズが減退することは考え難い。米国の政府と金融産業は、サブプライム問題で明らかになった制度上の不備や個々の企業の経営のあり方を修正したうえで、現行の金融システムの枠組みを維持する方向で動いていくことになるだろう。
懸念と好材料が交錯する世界経済
米国金融産業の全体としてのプレゼンスが維持されるとしても、当面は個々の企業の事業展開や雇用が大きく動揺することは間違いない。米国の雇用者の約4%に当たる600万人を擁する巨大産業で雇用が不安定化することは、米国経済に相応の打撃となるだろう。また、公的資金の投入が実現するとしても、当初段階の動揺が収まるまでの間は、各金融機関が自らの資金繰りを確実なものにするために投融資を絞り込む可能性が高い。その動きも、個人の消費活動や企業の投資を落ち込ませる要因となるだろう。進行中の住宅市場の調整に対しても、公的資金投入によるプラスの効果の一部を相殺することが想定される。
その一方で、世界経済にとっての好材料として注目されるのが、原油をはじめとする商品価格の下落である。2007年の後半以降、サブプライム問題にともなう金融市場の混乱を背景に資金の流入圧力が高まったことで高騰していた原油価格は、住宅公社への支援策が発表された7月13日を境に下落に転じた(図表3)。7月前半にはWTIで1バレル150ドルに迫った原油価格は、リーマン・ブラザーズの破綻後には一時91ドル台にまで急落したが、その後は落ち着きを取り戻し、9月下旬は概ね100ドルから110ドルの間で推移した。銅やアルミなどの金属、さらには豊作の見通しが広まった穀物でも市場価格はピークアウトしており、高まっていたインフレ懸念は大幅に後退している。
図表3.2008年の原油価格(WTI)の推移 |
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インフレ懸念の後退は、各国の金融政策における緩和余地の拡大を意味する。減速感が強まっていた中国では、9月16日、商業銀行の貸出基準金利を6年7ヵ月ぶりに引き下げた。先進諸国においては、9月末時点では金融緩和の動きは見られないが、緩和余地が生じたこと自体、世界経済にとっての大きな好材料と言える(下注参照)。
今後の世界経済では、米国の住宅不況や中国経済の減速懸念というネガティブな要素と、新興国や資源輸出国の成長力という構造的な下支え要因が基礎的な構図を形成している点は、サブプライム問題が深刻化する前から変わっていない。今はそこに、サブプライム問題の最終局面における動きである金融産業の動揺という懸念材料と、資源価格の低下という好材料が交錯してきている。足元では金融産業の動揺が大きく、悲観的な議論が目立っているが、状況がある程度落ち着いてくれば、好材料の方にも注目が集まってくるだろう。サブプライム問題からの脱却に向けた道筋は、次第に鮮明になってきている。
注:本稿入校後の10月8日、米国FRB、欧州中央銀行、英国中央銀行をはじめとする世界10カ国・地域の中央銀行が協調して利下げを実施した。
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