政策対応の効果で急落は一段落
米国のサブプライムローン問題に端を発した金融危機は、米国と欧州を震源として、輸出の減退や国際的な資金の流れの混乱といった形で、世界の大部分の地域へ波及していった。産業別に見ても、需要の落ち込みは信用収縮の影響に直撃された住宅や自動車、設備機械などが先行したが、部品や原材料のメーカーも含むそれらの関連産業においてきわめて迅速な生産調整、さらには賃金カットや雇用調整が実施され、それが消費の鈍化をもたらしたことで、危機の影響は、広範囲の産業に広がった。
こうした展開は、経済のグローバル化の結果、世界経済の一体化が進んでいることと、需要後退に対する企業の対応力が格段に向上していることの証左と言えるが、その帰結として、局所的な問題が世界規模の重大な障害にエスカレートしやすい構造が形成されていることが浮き彫りになった。危機発生当初は影響を比較的受けないと見られていた日本も、主力とする自動車や設備機械、それらの素材や部品の需要が世界的に減退したことで、サブプライム問題に直撃された欧米諸国以上に落ち込んだ。
米・欧・日の実質成長率 |
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しかし2009年に入ると、全体に厳しい状況が続くなかにも、政府による景気刺激策の効果で中国の需要が回復し、その恩恵が中国向け輸出の回復を通じて多くの国・地域に及ぶなど、明るい情報も散見されるようになってきた。3月には各国の自動車販売の増加や米国の住宅関連の指標に底入れ感が見られるなど、公的な統計データにも好材料が現れはじめ、2008年終盤の「全地域・全分野での急落」という事態は、ひとまずは一段落したとの認識が広まった。下方修正が相次いでいた各種機関による成長率見通しも、低水準ではあるが下げ止まる形となっている。それを好感して、各国の株式市場が上昇に転じ、全般的に落ち込んだ商品市場においても、一時1バレル30ドル台にまで低下したWTIが、金融要因で急騰する直前の2007年8月の水準に近い70ドル近傍に回復してきたのをはじめ、値を戻す動きが目立っている。
その要因としては、需要後退に対して企業セクターが見せた迅速な生産調整の結果、早期に在庫調整が進んだことに加えて、金融危機発生直後から各国政府が展開してきた政策対応の効果が顕在化したことが挙げられる。今回の金融危機に際しては、発生直後から各国中央銀行による金融緩和と金融市場への資金供給、続いて欧州諸国を先駆とする公的資金による金融機関への資本注入が迅速かつ大規模に行われた。加えて、インフラ整備や環境関連を中心とする公共支出の拡大や減税、さらには中央銀行による一般企業の社債や株式の購入などの「非伝統的政策」といった景気刺激策が世界各国で相次いで打ち出され、順次実行に移されてきたことで、急激に進んだ需要の減退にも徐々に歯止めが掛かる兆しが見えてきている。
今後も、大幅な雇用の悪化の影響が遅れて顕在化する可能性や、国際的な金融システムの脆弱性といった懸念材料も依然として残っており、世界経済に対しては引き続き警戒が必要な状況であることに変わりはない。当面は、そうしたネガティブなファクターと各国政府の政策対応の効果が拮抗する形が想定されるが、年後半以降は、政策効果が一段と明確になることに加え、その二次的な効果の広がりも期待できることから、2009年末から2010年初にかけて、世界経済は「底入れ」の段階を迎えるものと考えられる。
「大きな政府」への反転と警戒
金融危機からの脱却を目指すここまでの過程では、従来の「自由・市場・小さな政府」を志向する路線とは逆の「規制・計画・大きな政府」に向かう動きが目立っている。信用収縮にともなう急激な需要後退が進行するなかでは、中央銀行による金融仲介機能の肩代わりや財政支出の拡大をはじめとして、政府の役割は大きくならざるを得ない。危機に瀕した金融機関を公的資金による資本注入で救済するのもその一環だ。また、政府による需要創出策においては、特定の経済活動に対する補助金や減税の形で市場に介入し、新エネルギー開発や環境関連、教育や医療などの領域での経済活動を計画的に強化していくことが図られている。市場メカニズムを絶対視する姿勢を改めて、空売り規制の導入や時価会計原則の緩和を実施するとともに、金融危機をもたらした金融産業の暴走の再発を防ぐための規制強化も検討されている。社会不安の背景ともなりつつあった格差の拡大に対応したセイフティネットの拡充も進められている。いずれも明らかに「規制・計画・大きな政府」に向かう動きである。
こうした方向転換は、1980年代から続いてきた「自由・市場・小さな政府」を基軸とする世界規模の発展パターンが限界に達し、弊害が大きくなってきたことへの対応と位置付けられる。今回の金融危機は、サブプライム問題の帰結であると同時に、1990年代後半以降に起きたアジア通貨危機やITバブルの生成と崩壊、エンロン、ワールドコムの経営破綻、世界各国で相次いだ株式や不動産のバブル、先進国と新興国の双方での格差の拡大、環境破壊の進行、過度の私益主義の蔓延などと同様、行き過ぎた規制緩和と過度の市場重視がもたらした問題と言える。1980年代以降の「自由・市場・小さな政府」の潮流は、1970年代の世界に蔓延していた経済の停滞や非効率の累積を一掃し、世界経済を再活性化させたが、21世紀の初頭には、その行き過ぎにともなう弊害が大きくなってきていたのである。
現在進みつつある「大きな政府」の路線は、そうした行き過ぎを是正する反動的な動きでもあり、その意味では1930年代の大恐慌をもたらした「野放しの資本主義」からの脱却を目指した1950年代・60年代の路線とオーバーラップする。しかし今回の路線転換にあたっては、1970年代の経験を踏まえて、「大きな政府」の過度の進展や長期化は、経済活動の非効率化と活力の減退につながることが明確に認識されている。そのため、今回の危機に対する政策対応でも「何でもあり」というムードは危機発生後の当初段階までで、2009年に入ると、「必要であれば追加する」という姿勢は維持しつつも、費用対効果や長期的な影響を勘案して政策を取捨しようというムードが強くなってきた。また、「大きな政府」の路線に対しては、市場機能の毀損や財政赤字の累増などの弊害を指摘する声も高まっており、一連の政策はあくまでも危機への対応にともなう一時的なものと位置付け、政策対応とセットで、財政再建プランや、事実上「国有化」した金融機関の再民営化策などの「出口戦略」を設定しようという動きも目立ってきている。
こうした動きからは、今後の世界は、当面の危機対応と市場重視や規制緩和の行き過ぎを是正するという観点から「規制・計画・大きな政府」の方向に向かうことは間違いないとしても、その流れが過度に進行したり長期化したりといった事態を回避し、「自由・市場・小さな政府」から生じるメリットとの間の最適解を探っていく方向にシフトしていくことが想定される。米国のオバマ大統領が、1月20日の就任演説で「大きな政府か小さな政府かは問題ではない。問題は政府が機能するか否かだ」と述べたのも、その方向性を示すメッセージと理解できるだろう。
経済政策のグローバル化への期待
21世紀の「規制・計画・大きな政府」の路線は、グローバル化した経済が舞台となるという点で、1950年代・60年代とは大きく異なっている。冷戦後の世界では、ITの飛躍的な進歩と浸透もあって、世界経済はきわめて緊密に一体化した。その過程では、経済が成熟化し成長余地が限られてきた先進国から、豊富な成長余地を残している新興国への投資資金の移動を促進する金融産業の活動が強力な加速因子として働いていた。金融危機後の世界では、金融による加速因子は後退せざるを得ないが、先進国企業が新興国に成長の場を求め、新興国経済が先進国企業の活動に支えられて成長を加速させる、一種の“win−win”の関係は引き続き効力を維持しており、グローバル化の潮流自体は持続することが想定できる。
ただ、世界経済の緊密化、一体化が進行した結果として、各国が独自に経済政策を遂行することがきわめて困難になってきている。たとえば、企業活動がグローバル化し、事業拠点をどこの国に置くかを比較的容易に選べるようになったことで、企業活動に厳しい規制を課したり法人税率を引き上げたりといった政策は、企業の国外流出、つまりは雇用と税収の縮小につながるため、政府として選択し難くなっている。この構図は、「自由・市場・小さな政府」を志向する時代には大きな問題とはならないが、個々の政府が規制を強化しようとする際には、大きな障害となる。
また、今回の金融危機への対応において鮮明になったように、特定の国が財政赤字拡大などのコストをかけて景気対策を実施しても、その効果は貿易取引や金融取引を通じて他の国を利する一方で、その分だけ当該国に対する効果は小さくなってしまう。米国政府が2月に成立させた景気対策法案にバイ・アメリカン条項が盛り込まれたことなど、保護主義的な動きが広がったのも、政策効果の漏出への懸念が高まったことが背景の一つとなっている。とはいえ、保護主義の台頭が世界規模の経済危機を一層深刻化させ、ついには第二次世界大戦の遠因となった1930年代の経験を踏まえて、保護主義を抑えこむことは国際社会のコンセンサスともなっている。
このような構図を考えると、世界的な経済危機に有効な政策対応を実施するため、加えて、産業規制を実効あるものとしていくため、さらには保護主義の広がりを抑えるためにも、政策の実行にあたっての国際的な協調体制の構築が重要になる。そのための枠組みとしては、従来のG7、G8に新興諸国を加えたG20によるコンセンサス形成の試みがスタートしている。2008年11月のワシントンに続いて2009年4月にロンドンで開催された第2回G20金融サミットでは、危機対応における国際協調と保護主義抑制の方針が改めて確認された。9月にピッツバーグで開催予定の第3回では、より具体的な政策協調に関する議論が期待されている。ただ、G20の枠組みでは、単に参加者が増えただけでなく、経済や政治の体制、発展段階などさまざまな面で異質な国々の間でコンセンサスを探るプロセスとなるため、少なくとも当面は迅速な進展は期待し難い。そのため、先進国と新興国の双方の代表格である米国と中国のG2による交渉・議論にも注目が集まる形となっている。
こうした動きは、経済活動のグローバル化に比べて遅れていた経済政策のグローバル化の流れと位置付けられる。この流れが力を増せば、金融をはじめとする国際的な産業規制の実効や、依然として世界規模の問題である資源や環境の問題への対応においても大きな意味を持ってくる。経済政策のグローバル化は、現下の危機からの脱却を超えて、21世紀初頭の世界における最大の課題と位置付けられるだろう。
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