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投資経済 2008年7月号(6月上旬発行)掲載
米国経済に潜むトリプル・スパイラルの罠

住宅ブーム反転のインパクト

 2008年に入り、米国経済の減速が一段と鮮明になってきている。非農業雇用者数は年初から4月までの4カ月連続で前月比減少となり、減少幅は4カ月の累計で26万人に達している(4月の値は速報値)。1-3月期の実質GDP成長率(前期比年率、改定値)は0.9%と前期の〇・六%を上回る水準を記録したが、在庫投資の寄与が0.21%ポイントとなっており、それを除く最終需要の実質成長率は前期の2.3%に対して1-3月期は0.8%と、大幅に減速する形になっている。
 ここまでの段階では、こうした米国経済の減速は、サブプライム問題も含めて、03年から06年前半までの住宅ブームの終焉とその反動によるものと位置付けることができる。
 2000年の「ITバブル崩壊」から01年9月11日の米国同時多発テロを経て、世界経済は停滞局面を迎えたが、03年夏場に本格化した米国の回復局面においては、超低金利と移民の増加による需要増を背景とした大規模な住宅ブームが大きな推進力となった。住宅着工件数は、03年半ばから急増し、01年の160万戸から05年には207万戸にまで膨らんだ(図1)。住宅価格も03年初からの累計で4割以上上昇し(図2)、ホームエクイティローン(保有する住宅資産価値が既存のローン残高を上回る部分を担保に行う借入で、住宅取得以外に使われるケースが一般的)の拡大を通じて個人消費の伸びを高める一因となっていた。

図1.米国の住宅着工件数の推移 図2.米国の住宅価格指数上昇率の推移
  • 出所:商務省
  • 月次ベースの年率換算値
  • 出所:連邦住宅事業監督局(OFHEO)、S&P
  • いずれも前年同期比伸び率の値

 こうした構図は、景気回復を受けて政策金利が引き上げられていった効果が浸透したことで、一気に反転した。住宅ブームは終焉を迎え、今度はその反動が米国経済の足を引っ張ることになった。住宅ブームの反転が米国経済に及ぼす悪影響としては、大きく分けて三つの経路が想定される。
 第一には、住宅建設の減少による直接的な需要の縮小が挙げられる。ピークの05年に207万戸に達した住宅着工件数は、07年には136万戸、08年3月には月次の年率換算値で95万戸と急速に落ち込み、それが現在の米国経済減速の第一段階となった(前掲図1)。06年4-6月期以降の各四半期には、実質GDPベースの住宅投資は前期比年率で二桁、07年7-9月期から08年1-3月期には同20%を超える減少となり、GDP全体の実質成長率を1%ポイント程度低下させる形となっている。
 第二には、住宅価格低下が個人消費を減速させる経路が想定される。住宅価格の下落の結果として、ホームエクイティローンの借入余力の低下、さらには返済圧力の高まりが予想され、それにともなう個人消費の減速が懸念されている。また、住宅価格上昇を見込んで貯蓄をせずに消費に向かっていた部分が貯蓄に回帰することによる消費抑制効果、いわゆる「逆資産効果」も想定される。米国の個人消費は、住宅価格が低下に転じてからも堅調を維持してきたが、08年1-3月期の実質伸び率は1.0%と、大きくブレーキがかかる形となった。それは必ずしも住宅価格下落の影響だけによるものではないが、経済活動の停滞が住宅関連の領域だけに止まらなくなってきていることは間違いない。
 第三に、サブプライムローンをはじめとする住宅ローンの不良債権化を受けた金融機関の貸出余力の低下にともなう信用収縮の影響が考えられる。不良債権化の動きは、サブプライムローンを組み込んだ証券化商品の市場が機能不全に陥ったことで、住宅ローン以外の資産にも及んでおり、1-3月期までに欧米大手金融機関が計上した関連損失は約2,800億ドルに達している。損失を被った金融機関は貸出余力を低下させ、住宅ローンだけでなく、消費者ローンや企業向けの融資、さらにはその他の金融資産の購入を抑えることが想定され、それによって個人消費、設備投資、住宅投資のいずれもが、さらに減速する可能性が生じてきている。


トリプル・スパイラルの構図

 2008年春の時点では、住宅ブームの反動の影響としては、最も直接的な第一の経路、住宅建設の減少は既に大きな影を落としているものの、第二、第三の経路を通じた影響は、むしろこれから顕在化してくることが懸念されるファクターと言える。住宅価格の下落は07年後半に入って一段と加速している(前掲図2)。高額物件を対象としていないために比較的安定していたOFHEO住宅価格指数も、08年1-3月期には前年同期比で下落に転じた。金融機関の損失も今後さらに膨らむ可能性が高い。
 そうした個々の影響以上に懸念が大きいのは、これら三つの経路を通じた悪影響が共鳴しあうことで状況を悪化させる可能性が生じてきている点だ。その構図は、バブル崩壊後の日本の、とくに1990年代後半の最悪期と、そこからの脱出に苦しんだ2000年代初めの状況とオーバーラップする。それは、需要後退と、株や不動産といった資産価格の下落、信用収縮という三つのシュリンク現象が、それぞれがそれぞれの促進要因となる形で、スパイラル的に進行する、「トリプル・スパイラル」の構図である(図3)。

図3.トリプル・スパイラルの構図

 95年から96年にかけて、日本経済は回復の兆しを見せていたが、97年の消費税率引き上げを契機とした消費需要の後退が、持ち直しつつあった株価を再び下落させた。その結果、含み益の吐き出しによる収益確保が限界に達しつつあった銀行に、「貸し渋り」「貸しはがし」といった言葉で表された信用収縮の動きを生じさせ、それがさらなる需要後退と株価、不動産価格の下落につながり、それがさらに需要後退と信用収縮を加速させるというスパイラルによって、日本経済はきわめて深刻な状況に陥った。この危機的な状況は、大手も含む多くの金融機関の経営破綻にまで至った後、政府によるペイオフ凍結宣言などによって、経済システムの崩壊という最悪の事態は回避されたが、その後もトリプル・スパイラルの構図は日本経済に影を落とし、本格的な回復を妨げ続けた。
 現在のサブプライム問題の深刻化は、単に金融機関による信用収縮をもたらすだけでなく、米国経済にトリプル・スパイラルの構図を成立させかねない危険性をはらんでいる。住宅価格の下落と個人消費をはじめとする需要後退との間のスパイラルは、06年ころから大きな懸念材料として認識されてきたが、サブプライム問題が金融市場全体を混乱させたことで、信用収縮の発生と、それが需要後退、資産価格下落とのスパイラルの関係を構成する可能性が生じてきたのである。
 08年春の段階では、トリプル・スパイラルの回転は本格的なものにはなっていない。当初段階のカギとなる資産価格の下落の度合いを見ると、バブル崩壊後の日本においては、バブルのピークからトリプル・スパイラルの構図が本格的に起動する直前の96年末までの間に、民間保有の不動産価格の下落が総額640兆円、株式の評価損額が440兆円、合計するとGDPの2倍を超える1,080兆円の資産価格下落が生じていた。それに対して、08年1-3月期までの米国の住宅資産の価格下落の総額は大きく見ても5.7兆ドル程度(06年末の民間保有の不動産総額35兆ドルに、S&Pが作成している全国住宅価格指数のピークからの下落率16%を乗じた値)で、GDPの約4割に過ぎない。
 また、時価会計が定着している米国では、含み益の吐き出しのような操作ができないため金融機関の資産の劣化が即座に信用収縮に結び付きやすい半面、サブプライム問題の拡大に対しては、主要金融機関の多くが早期に資本増強策を講じるなど、対策もスピーディに行われている。需要後退に対しても、07年9月からの累計で3.25%ポイントに達する政策金利の引き下げや、5月から7月にかけて実施される戻し減税を中心とする総額1,680億ドルに上る景気対策など、機動的な政策対応が実施されている。経済の構造的な面でも、消費や住宅購入への意欲が旺盛な移民層を中心とする人口増加を背景に経済の活力が維持されていることは好材料と言える。
 これらを考え合わせると、これからの米国が、90年代後半の日本のような深刻な事態に陥る可能性は大きくはないと言えそうだ。しかし、トリプル・スパイラルの構図が恐ろしいのは、当初の小さなダメージが連鎖的に増幅され、深刻な事態を招いてしまうことにある。そして、一度トリプル・スパイラルの罠に落ち込んでしまうと、容易には抜け出せなくなる。現時点でダメージが小さいからといって安心はできない。その意味で、当座の出血を止める応急処置的な政策に続いて、市場の機能不全によって流動性を失っている資産を買い取る機関の設立や公的資金の投入も含めたサブプライム問題への根本的な対策が、いつ、どのような内容で打ち出されるか、引き続き注意深く見守っていくことが必要だ。


米国から世界へ

 2003年以降の米国の住宅ブームは、現在の米国経済の不振の原因を作った一方で、当時の世界経済の回復の重要な原動力になったという一面もある。03年から04年にかけての世界経済の回復局面の初期段階では、バブル崩壊の後遺症を払拭できていなかった日本と、EU中核国がEU統合の負の影響を消化しきれていなかった欧州に比べて、米国の回復力が突出していた。米国経済は住宅ブームもあって巡航速度を超える高成長を続け、急成長の途上にあった中国とともに世界経済の回復に大きく貢献する形となったが、それと同時に、米国の住宅市場の過熱を含む、さまざまな歪みが形成されることにもつながった。
 それから5年を経た08年の現在では、欧州や日本の経済は、企業セクターの体質強化が進んだことで自律的な回復基調に入り、新興国の多くも内需主導の自律的な経済成長の軌道に乗ってきている。先進国企業がグローバル化を進め、新興国のダイナミズムを取り込む形での成長パターンも構築されてきている。現在の世界経済は、03年当時のように米国の成長に過度に依存する状態ではなくなっており、米国経済がある程度減速したとしても、世界経済全体では引き続き成長モードを維持する可能性が高い。
 しかし、経済のグローバル化の結果、貿易、投資、市場取引を通じて世界経済は一体化している。サブプライム問題による金融の混乱と米国経済の減速の影響が、欧州や日本、新興諸国にも及んでくることは避けられない。万が一、米国経済がトリプル・スパイラルの状態に陥ってしまえば、世界経済への打撃は相当深刻なものとなるだろう。米国経済がトリプル・スパイラルの罠から逃げ切れるかどうかは、2008年後半から09年に向けての世界経済を展望するうえでも最も重要なポイントであることは間違いない。


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