The World Compass(三井物産戦略研究所機関誌)
2006年7-8月号掲載
新たな局面を迎えた米国経済
2006年半ば、米国経済は、新たな局面を迎えている。需要拡大のペースに減速の兆しがみえる一方で、インフレ懸念は一段と強まってきた。経済政策の視点からは、舵取りの難しい、きわめて厄介な局面といえる。とはいえこれは、経済を持続的な拡大ペースへとソフトランディングさせるプロセスにおいては、避けては通れない局面でもある。ここでは、米国経済のそうした難しい局面が、今後どのように推移するかを考えてみたい。
回復局面の展開
はじめに、今後の展開を考える前提として、ここまでの展開を整理しておこう。米国経済は、2000年後半、いわゆる「ITバブルの崩壊」を受けて景気後退に陥ったが、政策金利であるFFレートを01年1年間の累計で4.75%ポイント引き下げるという大胆な金融緩和策によって回復局面に移行した。その後もエンロン事件や9.11の同時多発テロ、さらにはイラク戦争と、経済に悪影響を及ぼす事件が相次いだことで、景気は停滞した状態が続いたが、03年半ばにFFレートを1.00%という歴史的な低水準に引き下げたことと、大規模な減税政策を実施したこと、加えてイラク戦争が一応の決着を見たことで、米国経済はようやく本格的な回復過程に入っていった。03年7-9月期の実質GDPの成長率は7.2%と一気に加速し、それまで減少基調で推移してきた雇用者数も、9月以降は明確な増勢に転じている。
04年6月には、景気回復の動きが定着したことを受けて、平常時の水準に戻すことを目指したFFレートの引き上げが開始された。その後、成長ペースを巡航速度に抑えようという意味合いもあって、06年6月までの2年間にわたって、安定的なペースで累計4.25%ポイントの利上げが続けられてきた。ソフトランディングに向けた第一の局面である。
その間、経済の成長ペースは若干の波はあるものの、ほとんど鈍化することはなかった。その背景には、長期金利が低下基調で推移したことがある(図表1)。これは、日本や欧州の経済が停滞を続けるなかで米国経済の好調さが際立ち、世界中の投資資金が米国に流入し続けたためだ。長期金利の低下によって、耐久財消費や住宅投資、設備投資が好調に推移したことに加え、それまでやや停滞していた住宅価格の上昇が一気に加速したことで(図表2)、住宅担保借り入れの拡大によって個人消費が押上げられるという効果も生じた。その結果、FFレートを引き上げてきたにもかかわらず、経済の成長ペースは06年前半まで、3%台後半で推移することになったのである。
図表1.長期金利の推移
図表2.住宅価格上昇率の推移
出所:財務省、商務省
長期金利は、残存期間10年超の国債の流通利回りの単純平均
名目成長率は、名目GDPの前年同期比伸び率
出所:連邦住宅事業監督局(OFHEO)
全米平均の住宅価格指数の前年同期比の値
ファイン・チューニングの局面へ
06年に入ると、そうした状況に、多くの面で変化が生じてきた。一つには、04年以来のFFレート引き上げの効果が、住宅着工件数の減少や住宅価格の上昇ペースの鈍化(前掲図表2)、さらには雇用拡大がややペースダウンするといった形で現れてきた。利上げの効果がようやく成長ペースの抑制に結びついてきたのである。その一方で、04年後半以降、原油をはじめとする資源価格が、米国や中国、インドといった人口大国の成長を背景に高騰を続けていた影響が広がる形で、インフレ傾向が鮮明になってきている。これらはいずれも、前の局面で生じた動きが原因となって、タイムラグをおいて生じた変化である。
もう一つの大きな変化が、長期金利がいよいよ上昇に転じてきたことである(前掲図表1)。日・欧の景気回復が鮮明になり、欧州中銀が05年12月に政策金利の引き上げに転じ、日銀も06年3月に量的緩和政策を解除したことで、国際的な資金移動の動きに変化が生じ、米国への資金流入の圧力が弱まったことが、その背景となっている。
これらの変化が重なったことで、安定的に推移してきたそれまでとは異なる状況が生じてきた。景気の減速とインフレ懸念の高まりが同時進行するという、望ましくない状況に転じてきたのである。とはいえ、06年7月の時点では、景気の減速もインフレも、いずれもまだ深刻なものではなく、過度に不安視するほどの状況ではない。企業収益も好調をキープしている。また長期金利も、景気の減速をうかがわせる指標の発表が相次いだ5月から6月前半には下落基調で推移しており、景気のスタビライザーとしての機能を失ってはいない。
この新局面での変化は、ソフトランディングに向けたプロセスを逸脱する動きではない。元来、景気のスローダウンは、インフレを引き起こさずに米国経済をソフトランディングさせるうえで必要な動きと考えられていた。だからこその利上げであったわけだが、それが間に合わずにインフレ懸念が高まった現状では、なおさら景気をある程度抑制することが欠かせなくなっている。ただし今後に関しては、住宅価格の上昇ペースの鈍化とそれにともなう消費の減退をはじめ、これまでの利上げの景気抑制効果がさらに顕在化してくる可能性もあるため、足下のインフレの指標だけを頼りに、追加利上げの必要性を議論するわけにはいかない。日本や欧州など国外の経済情勢の影響も受ける長期金利の動きからも目が離せない。
要するに現下の局面は、これまでの金利引き上げや資源価格上昇の影響、さらには国外の経済情勢をも慎重に見定めたうえで、インフレを抑制しつつも景気後退には陥らない程度の“適度な”成長ペースに落ち着かせるために、ここまで続けてきた金利引き上げをどこで打ち止めにするのか、場合によっては逆に引き下げるという選択枝も含めて、経済政策面での「ファイン・チューニング」を行う期間と位置付けることができるだろう。
ファイン・チューニングの主役はいうまでもなく、バーナンキ新議長が率いるFRBである。各国の株式や債券、為替、商品など、世界中の市場関係者がそのことを認識し、FRBの動きに目を凝らし、新議長はじめFRB幹部の発言に耳を澄ましている。新議長が市場との付き合い方を確立できていないこともあって、彼の言動が市場を揺るがすケースも散見される。これは市場参加者にとっては頭の痛い部分もあるだろうが、経済情勢の見極めという、この局面での主要テーマにおいて、市場がFRBの政策をサポートおよびチェックする枠組みが機能しているということでもあり、その意味では望ましい状況といえる。
世界的な不均衡の解消に向けて
経済政策のファイン・チューニングの局面においては、もう一つの重要な調整も緒に就く可能性が高い。これまでの局面で拡大を続けてきた経常収支赤字の抑制である。いわゆる「双子の赤字」のうち、財政収支の赤字は、景気回復を反映した税収増によって、ひとまずは縮小に転じているが、経常収支赤字はいまだ明確な縮小には転じていない(図表3)。
図表3.経常収支の推移
出所:商務省
米国の経常赤字の拡大は、ドルの暴落や米国の金利の急騰のリスクを膨らませることにつながるが、日本や欧州の経済が成長力を欠くなかで米国が世界経済を牽引してきたことの帰結という面もあった。日・欧の経済が不振な状況では、世界経済の縮小均衡的な動きにつながる可能性が高かったこともあって、米国の赤字が縮小する動きは生じにくかったのである。
しかし、日・欧の経済が回復基調を強めたことで、米国の赤字が縮小に向かう環境が整ってきた。今後は、日・欧の景気が上向いた一方で米国の景気がスローダウンすることと、それにともなってドル安が進むことで、米国の経常収支赤字の拡大にブレーキがかかり、縮小に転じていく展開が想定される。
足下の米国経済は、景気の減速とインフレの同時進行を予感させるいささか厄介な局面を迎えていることは間違いない。しかしそれは、米国経済が持続的な拡大ペースに落ち着くとともに、重大なリスク・ファクターである経常収支赤字の解消という、大きな意味でのソフトランディングを果たすうえで、重要かつ不可欠なステップでもある。米国経済にとって、またこの局面での主役と目されるFRBのバーナンキ新議長にとって、まさに正念場ということになるだろう。
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