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投資経済 2008年12月号(11月上旬発行)掲載
米国株価下落に見る世界金融危機−歴史的転換点を求める局面−

世界に広がる金融危機

 米国政府が公的資金の本格投入を決めたことで幕を開けたサブプライム問題の最終局面は、大荒れの様相を呈してきた。金融産業の危機は震源地の米国に留まらず、欧州をはじめ、世界各地へ広がっていった。それを受けて、米国を含む各国政府が早々に公的資金による金融機関への資本注入を決めたことで、金融産業の混乱は、ひとまずは沈静化に向かいはじめた。しかし、金融機関の資金繰り不安と資本毀損にともなう信用収縮が、各国の個人消費や住宅投資、設備投資を抑制しはじめたことで、企業の業績不振は自動車産業をはじめとする多くの産業に広がり、実体経済への悪影響も深刻化してきている。
 この状況は、本誌7月号掲載のレポート「米国経済に潜むトリプル・スパイラルの罠」で提示した、資産価格下落と信用収縮、需要後退の三つのシュリンク現象が、それぞれがそれぞれの促進要因となる形でスパイラル的に進行する「トリプル・スパイラル」の構図そのものだ。この構図は、まだ本格的には起動していないものの、米国の住宅価格下落に端を発し、それが世界的な信用収縮と幅広い分野での需要後退をもたらしたことで、三つのシュリンクが世界規模で連結する形は成立してしまった。
 この構図は、1990年代後半、バブル崩壊後の日本が経験したものであるが、より激烈に作用したのは1930年代の米国の大恐慌である。1929年10月に発生した株価の大暴落は実体経済の崩壊を招き、最悪期の1933年には、失業率は25%を超え、GDPはピークの7割を割り込んだ。その後、新たな成長軌道に入るためには、第二次世界大戦という大規模な特需と生産能力の破壊を待つしかなかった。そして現在、トリプル・スパイラルの構図が鮮明になったことで、大恐慌の時代の最悪の記憶が甦ってきているようで、米国経済の現状に関する報道や論評において、「大恐慌以来」という表現が目立っている。
 世界経済の先行きに対する不安感が高まってきていることは、世界各国の株価に如実に表れている。2007年後半以降、世界経済の減速を反映して、各国の株価は概ね下落基調で推移していたが、リーマン・ブラザーズが破綻した2008年9月半ば以降は一段と加速し、その後の下落率は多くの国で2割を超えた(図表1)。

図表1.主要国の株価下落率(%)
  • 注:9月12日はリーマン・ブラザーズ破綻直前の営業日

 震源の米国では、ダウ平均株価指数が、2007年10月9日に記録したこれまでのピークから4割以上下落した。既往のピークからの下落率が4割を超えたのは、第一次石油危機後の1974年の9月から12月にかけての時期以来で、それ以前となると、1929年からの大恐慌の時期にまで遡る(図表2)。ピークからの下落率が9割を超えた大恐慌とは比較にならないが、サブプライム問題に端を発した今回の下落が歴史的な事件であることは間違いないだろう。そう考えると、これからの米国株価の行方を展望するうえでは、歴史的な視点から考えることにも意味がありそうだ。

図表2.米国ダウ平均株価の既往ピークからの下落率


米国株価17年周期の律動

 長期にわたる米国の株価の推移を振り返ってみると、大恐慌からの回復局面を抜け出してからは、ほぼ17年の周期で、長期的な上昇期と停滞期とに明確に分けられることに気付く(図表3)。この長期的な律動においては、上昇期には株価を上昇させる何らかのダイナミズムが力を発揮し、その副作用として生じる歪みや弊害が大きくなることで停滞期に入り、その歪みや弊害を処理したうえで新たなダイナミズムが生み出されることで、次の上昇期に転じるという展開が基調となっている。

図表3.米国ダウ平均株価の推移

 1949年からの上昇期は、大恐慌の経験を踏まえて構築されたケインズ流の経済学を理論的背景とするマクロ経済政策によって、安定的で力強い経済成長が実現されたことを反映している。また、ドル基軸通貨体制の確立や、安価な石油資源の開発によってエネルギー転換が浸透したことも追風となった。
 しかし1960年代に入ると、経済の発展にともなって、大企業の多くは市場での地位が安定し、商品やサービスの質を高めようとか、効率化を進めようという前向きな姿勢を失っていった。また、財政支出による刺激策に主導された経済成長の副作用としてインフレ体質が定着した。これらの結果、株価の上昇にブレーキがかかり、「株式の死」とさえ呼ばれた長期の停滞期が到来した。さらに、1974年に発生した石油危機は、インフレと不況とが並存するスタグフレーションの現象を生じさせ、株価を一段と大きく落ち込ませた。
 こうした状況に変化をもたらしたのが、1981年に発足したレーガン政権の、新自由主義の思潮を背景とした「レーガノミクス」と呼ばれる経済政策であった。レーガノミクスは、高金利によりインフレを沈静化させると同時に、減税と規制緩和によって企業と個人の所得拡大へのモティベーションを高めることで米国経済に新たなダイナミズムをもたらした。それを反映して、株価は再び上昇軌道に入っていった。
 また、この時期には金融ビジネスの台頭が株価の上昇を一段と加速させた。1980年代半ばには、企業を買収して、その資産をバラ売りして儲ける「乗っ取り屋」が台頭したが、その動きは、買収を回避するために株価を上げようとする企業努力を引き出すことにもつながった。さらに1990年代には、ファンドや機関投資家が株式市場において支配的な存在となったことで、株価の評価尺度がシフトした。ファンドや機関投資家は、分散投資によってリスクを軽減できることに加えて、持ち株比率を高めれば、経営陣の交代や他社との合併、事業再編によって収益力の向上を狙うことが可能になる。そのため彼らは、一般の投資家に比べて、株式の価値をより高く評価することになる。そうしたファンドや機関投資家の尺度が市場において支配的になったことで、1990年代後半、株価の上昇は一段と加速した。
 しかし、1980年代以来のこうした押し上げ要因は、2000年を境に急速に力を失った。株価は再び停滞期を迎えたのである。


停滞期と金融危機の構図

 現下の停滞期の間には、2000年のITバブルの崩壊にはじまり、翌年の9.11同時多発テロ、エンロンとワールドコムの不正会計問題、2003年のイラク戦争、そして2007年のサブプライム問題と、米国経済は大きなショックに相次いで見舞われてきた。この間の株価の停滞は、これらの事象が個々に株価を押し下げた結果であることは間違いない。しかし、長期的な株価の推移を見ると、それらの個々の事象の背景に、構造的な抑制要因が存在している可能性も高そうだ。
 今回の停滞期の端緒となったのはITバブルの崩壊であるが、それと同時に、株価の評価尺度のシフトが一巡したことが効いている。そもそも、評価尺度のシフトはそれが完了するまでの一過性の上昇要因であり、持続的に株価を押し上げる要因ではない。2000年に入ってからの株価の停滞には、この一過性の上昇要因が剥落したことの影響もあったと考えられる。さらに、1980・90年代の上昇期の原動力であった規制緩和と金融ビジネスの膨張の副作用と弊害も、エンロンとワールドコムの破綻でその一端をうかがわせていたが、今回の金融危機で一気に鮮明になった。
 現下の金融危機からの脱却は、公的資金を用いた金融機関の不良債権処理と資本注入によってサブプライム問題の始末をつけると同時に、一般企業や個人の資金繰り支援、さらには金融緩和や財政支出による景気刺激といった政策対応によって、トリプル・スパイラルの起動を阻止することが大前提となる。そうした政策メニューは、すでに世界各国で出揃ってきており、トリプル・スパイラルの本格的な起動は回避されるものと考えられる。しかし、経済が安定を取り戻すには、今回の危機の構造的な背景である過度の規制緩和と金融ビジネスの膨張による弊害を取り除くことが必要だ。
 その過程では、経済のインフラとしての役割を担う金融機関が過大なリスクを抱えることや、証券化商品の行き過ぎた複雑化・多様化、さらには格付け機関への過度の依存などに対する制限が強化されることになるだろう。それらも含めて、これから実施される金融制度の改革は、金融ビジネスの活動を制限するものでしかあり得ない。それは言い換えれば、金融ビジネスの活動は、株式市場の次の上昇期の原動力としては期待し難いということでもある。
 今後、トリプル・スパイラルの本格的な起動が回避され、金融危機が収束に向かえば、米国の株価は回復に向かうものと考えられる。ダウ平均が、2000年以来の停滞期の標準である1万ドル台の水準を回復するのも遠い話ではないだろう。数年のうちには、これまでのピークである1万4千ドル台に迫る場面に至ることも十分考えられる。しかし、その水準を大きく突き抜けて、2000年以来の停滞を抜け出していくことは、金融ビジネスの台頭に代わる新たなダイナミズムが生み出されない限りは難しいだろう。


期待される社会的イノベーション

 それでは、株式市場の新たなダイナミズムとしては、どのようなものが予想されるだろうか。過去の上昇期には、エネルギー転換やITの飛躍的な進歩といった科学技術上のイノベーションに加えて、1950・60年代はケインジアンのマクロ経済政策、1980・90年代には自由主義的な経済政策と金融ビジネスの台頭と、いずれの時期にも社会的なイノベーションが株式市場のダイナミズムを生み出していた。
 2008年の時点では、これらに匹敵するようなイノベーションの輪郭が浮かび上がってきているとは言えない。社会的な要請から考えると、経済のグローバル化にともなう国際分業体制の再編成と深化・高度化、経済全体としての資源・環境問題への対応、あるいは、多くの人が抱えていながら個々人の消費活動では満たされない「パブリック・ニーズ」を充足するための仕組み作り、といった方向性を仮説的に挙げることができるだろう。これらの要請に応えるようなイノベーションが実現すれば、それは米国のみならず世界全体に貢献するものとなる。また、それを支える理論的な枠組みとして、ケインズ経済学、新古典派総合に続く、新たな経済学の体系が登場してくることも考えられる。
 米国の株式市場が停滞期に入って既に8年あまりが経過しているが、これまでのような17年周期の律動が続くのであれば、今後さらに8年以上も停滞が続くことになる。現下の金融危機を克服し、1980・90年代の行き過ぎた規制緩和や金融ビジネスの膨張の弊害を取り除いたうえで、新たな社会的なイノベーションを実現していくというプロセスを考えると、8年という期間は決して長過ぎるとは言えない。2009年に発足する米国の新政権には、このプロセスの礎を築き、一歩でも前に推し進めていくことを期待したい。


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