2009年、世界経済は大きな曲がり角に立っています。それは単に金融危機への対応ということではありません。1980年代から続いていた、市場メカニズムと自由な競争を重視する世界的な潮流が、金融危機をきっかけとして、転機を迎えようとしているのです。今回は、そのような状況が生じるまでの歴史と、その背景となる考え方を整理してみましょう。
市場メカニズムの機能と限界
一般に、ある商品の供給が需要を上回ると、その商品は売れ残ってしまいそうになるので、値下げしてでも売ろうということで、その商品の価格は下がりがちになります。逆に、需要が供給を上回っている状態ですと、売れ行きが良くなりますから、売り手は儲けを増やすために値上げを図り、その結果、その商品の価格は上がりがちになります。商品の生産者は、そういう価格の動きを踏まえて生産量を変えていきます。価格が下がっていれば、利益が減ったり損をしたりする可能性が高いので供給を減らし、価格が上がっているのであれば、儲けが大きくなりますから供給を増やします。その結果、供給は需要に見合う方向に変化して、需要と供給はバランスに向かいます。こうしたことが、すべての商品で起きることで、生産活動におけるムダがなくなって、経済全体が望ましい状態になるわけです。
これが「価格メカニズム」とか「市場メカニズム」と呼ばれる、現代の経済の土台となる仕組みです。この仕組みを土台にして、誰もが自由に好きなものを買って欲求を満たしながら、自由に利益を追求する努力を積み重ねることで、経済は豊かさを実現し、発展を遂げてきたのです。ですが、市場メカニズムの機能には限界もあります。
まずは、当然のことでもありますが、市場メカニズムが調整できるのは、市場で取引される商品の需給に限られるということです。市場で取引されない、あるいは取引が難しいもの、空気や海・川の水などの自然環境や、街並み、景観などの価値については、市場メカニズムでは調整されません。また、医療や警察、教育など、直接サービスを受ける人だけでなく、社会全体が安心や安全などの間接的なメリットを得られる公共サービスについても、その間接的なメリットの部分には市場メカニズムは働きません。そのため、市場メカニズムを過信して人々の自由な経済活動を認め過ぎていると、環境破壊が進んだり、公共サービスが不十分になったりといった事態が生じがちになります。
次に挙げられるのは「バブル」の問題です。市場メカニズムは、生産者と消費者との間で需給をバランスさせる機能はありますが、そこに、値上がりを期待した投機目的で売買する人が絡んでくると、話が違ってきます。通常の意味での需要が増えていなくても、値上がりを期待して商品を買おうとする人が増えると、その買いの圧力で、本当に価格が上昇してしまいます。そうなると、予想が当たったということで、投機目的の買いがさらに膨らんで、価格は一段と上がります。このような値上がり期待で引き起こされる価格上昇を「バブル」と呼びますが、それは不動産や企業の株式など、長期にわたって価値を生むものの市場で生じやすく、これまでの資本主義の歴史のなかで、何度も繰り返し発生しました。そして、いつでも最後には、値上がり期待が冷めて地価や株価が暴落し、その結果、経済全体が深刻な混乱と不況に見舞われてきたのです。
そして、もう一つ大きいのが、格差の拡大と貧困の問題です。市場メカニズムの下で誰もが自由に利益を追求してもよいということになると、資産を持っている人の方が、高度な教育を受けて条件の良い仕事に就けたり、持っている資産を運用して儲けられたりするため、圧倒的に有利になります。逆に貧しい人は、満足な教育を受けられないため望ましい仕事に就けず、ずっと貧しいままということになりがちです。市場メカニズムにまかせていては、貧富の格差を拡大させる圧力が常に生じることになるのです。
資本主義草創期の経験
21世紀に入ってからの世界で深刻化している問題の多くが、ここで挙げた市場メカニズムの限界に根差したものと言えます。中国などで起きている局地的なものから地球規模のものまで含む環境破壊の問題。医療や教育のシステムの劣化。世界各国の株式や住宅・不動産の市場で相次いだバブルの生成と崩壊。先進国でも新興国でも起きている格差の拡大と貧困の問題の深刻化。これらはすべて、市場メカニズムの機能を過信して、経済活動の自由を認め過ぎたことで生じた現象です。2008年秋に起きた世界金融危機も、その一連の流れの末に起きたことでもあります。
これらの現象は、市場メカニズムの限界について明確に認識されていなかった資本主義の草創期、19世紀後半から20世紀初頭にかけて起きたことでもあります。その際には結局、1930年代の大恐慌、さらには1940年代の第二次世界大戦という悲惨な事態に立ち至ってしまいました。
資本主義の草創期の危機に対しては、さまざまな対応策が試されましたが、それがどういう結果をもたしたかは、今日の危機への対処法を考えるうえでも、たいへん参考になります。まず、最もドラスティックだったのは、市場メカニズムを放棄して、計画に基づいて生産と消費を行おうという共産主義の試みでした。この路線は、1922年に成立したソ連を先頭に、第二次世界大戦後は東欧諸国や中国などが採用しましたが、結局はうまくいかず、1980年代以降、大部分の共産主義国が市場メカニズムの経済に復帰し、1991年には総本山のソ連も崩壊してしまいました。
一方、米国や西欧、日本などでは、政府による各種の政策で弱点を補うことで市場メカニズムを維持していこうという路線が主流になりました。そこでは、環境破壊など社会に害を及ぼす経済活動への規制強化や、高所得者ほど税率を上げる累進課税方式による格差の緩和、失業保険、医療保険、公的年金などの社会保障と医療、教育などの公共サービスの拡充などが進められました。これらの施策は全体として、役割を限った「小さな政府」から、役割を大きくとった「大きな政府」への転換を意味していましたが、この路線は、1950年代、60年代には、かなりの成功を収めました。
最適なバランスの模索へ
このような経験から考えると、今日の危機への対応は、市場メカニズムを放棄するのではなく、市場の限界を、各種の規制や社会保障などの施策で補っていくことが望ましいと言えるでしょう。ですが、「大きな政府」の路線も、行き過ぎると弊害が生じてきます。1950年代以降の成功の裏側では、競争制限的な規制が増えたことで生産活動に対する人々の「やる気」が削がれたり、競争のない公共サービスの分野を中心に、さまざまな無駄と非効率が溜まったりという問題が深刻化し、1970年代には世界的に経済が停滞する状況に陥ってしまいました。
その後、1980年代に入って、規制緩和や公共サービスの削減、民営化が進められたことで、経済は活力を取り戻しました。しかし今度は、自由を重視する方向に行き過ぎ、今日の危機を招いてしまったのです。
結局のところ、100年以上に及ぶ資本主義の歴史を通じて明らかになったのは、自由と規制、あるいは、小さな政府と大きな政府の、いずれか一方に偏りすぎていては、経済は上手く回らないという事実です。自由と小さな政府の方向に振れ過ぎて危機を招いた現状からすると、今後しばらくの間は、世界的に規制と大きな政府の方向に向かうことは間違いありませんが、そのプロセスは、自由と規制、小さな政府と大きな政府の間の最適なバランスを模索しながらの作業となるでしょう。そしてその先には、一回り洗練された資本主義の姿が見えてくるのかもしれません。
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