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The World Compass(三井物産戦略研究所機関誌)
2009年2月号掲載
資本主義はどこへ向かうのか

 2009年、金融危機の影響が一段と広がるなか、世界の経済と資本主義の在り方は歴史的な転換点を迎えようとしている。直接の契機と位置付けられる前年来の金融危機自体は、米国のサブプライム問題という局所的な障害の帰結に過ぎない。しかし、その問題が世界的な危機にまでエスカレートしてきたという現実をとらえて、金融ビジネスの膨張と暴走だけにとどまらず、それを許してきた従来の資本主義の在り方や経済発展の様式に対してまで、非難と反省が高まってきている。現状に対する非難の高まりは、個人や企業の行動パターンと各国政府の政策運営の変化を通じて、世界の経済システム全体の大幅な変容にもつながる。本稿では、金融危機から脱却した後の世界の行方を見据えるために、これから想定される経済と資本主義の変容の方向性を描き出してみたい。


1.「市場の時代」の潮流

 これからの変化を考えるうえでは、現在の経済の何が問題であるのか、また、それがどのような経緯と必然性の下で生じてきたのかを整理しておく必要があるだろう。世界規模の金融危機が起きてしまった現時点での問題意識は、直接的には金融ビジネスの肥大化、さらにはその背景と位置付けられている市場偏重の制度や価値観の浸透、経済のグローバル化といった時代潮流に対して向けられている。これまでの世界経済の骨格でもあるこれらの時代潮流に関しては、いずれも1980年前後に、その源流を見出すことができる。

(1)市場原理主義の台頭
 1980年代初頭には、英国のサッチャー政権(1979年〜90年)、米国のレーガン政権(1981年〜88年)が市場メカニズムを重視する新自由主義に基づいた経済改革をスタートさせた。それが成果を上げるに従い、他の欧州諸国や日本などの資本主義体制下の先進国の多くにも、それに追随する動きが生じた。一方、共産圏においても、中国が1978年からの改革開放政策で市場経済への移行に踏み切った。1980年代末には東欧諸国の共産主義政権が相次いで倒れ、1991年には総本山であったソ連が崩壊した。それらに代わって新たに成立した政権は、いずれも市場経済への移行を選択した。世界の大部分が揃って市場メカニズムを重視する方向に舵を切ったのである。
 市場メカニズムを重視する思潮は、それまでの時代に、共産圏はもちろん資本主義の国々でも主流であった、政府による計画や規制にコントロールされた経済体制へのアンチテーゼとして登場してきた。少数のエリートが計画的に経済を運営しようとしても必ず誤りを犯す。特定の集団の利益のために全体の幸福や発展を阻害するような事態も起きやすい。そうした問題は、政府の役割を必要最小限に抑えて、市場で形成される価格体系に基づいて企業や個人が自由に利益を追求していくことを原則とする体制であれば避けられるという考え方だ。
 市場では、そこに参加する無数の人々の知見や価値観、利害を集約する形でさまざまな商品やサービス、資産の価格が形成される。その点に注目して、経済活動のベースを市場に委ねることは、経済における民主主義の貫徹であるという考え方も広まった。この考え方は、“web2.0”以降のインターネットが、不特定多数の知識と知恵をネット上で集約・編集することで、社会にとって有用な新たな「知」を生み出す基盤となり得るとする考え方ともオーバーラップする。
 市場メカニズムを重視する経済運営が軌道に乗ってくると、次第に、市場価格こそが最善、唯一の価値尺度であるとする「市場原理主義」と呼べるような考え方が、米国を中心に力を持ちはじめた。それにともなって、個人や企業が自由な経済活動によって所得や利益を最大化することが是認されるようになった。また、企業経営においては、時価会計の原則が浸透するとともに、株価の向上が最大の目標と位置付けられるようになり、市場偏重の傾向は経済全体に広がった。さらに、市場メカニズムが機能する前提として、政府による公共事業や規制は極力排除し、個人や企業の行動には最大限の自由を与えるべきだという考え方も広がり、規制と計画から自由と市場へという大きな流れが形成されていった。

(2)グローバル化の再起動
 東西に分断されていた世界経済が、市場経済体制の下に再び一体化されたことで、グローバル化の潮流が復活した。経済のグローバル化は、紀元前2世紀頃とされるシルクロードの成立や、15世紀から17世紀にかけての「地理学上の発見」に端を発する大航海時代、19世紀以降の欧米列強による帝国主義的拡張の時代などに顕著なように、きわめて古くから連綿と続いてきた潮流である。またグローバル化の進行は、輸送技術や通信技術の進歩を背景とした、経済のネットワークの広域化と、経済関係の緊密化という二つのベクトルの合成とみることもできる。
 これらのうち、広域化のベクトルの方は、二回にわたる世界大戦を経て世界が資本主義圏と共産主義圏に分断されたことで一時的に後退していたが、資本主義圏に限って言えば、技術進歩に支えられた海運網と航空網の拡充や国際金融制度の整備によって、経済関係の緊密化は着実に進行してきた。そして、1980年代以降、共産主義諸国が相次いで市場経済に復帰してきたことで、経済ネットワークの広域化が一気に進行した。さらに1990年代に入ると、インターネットの普及に象徴される情報技術の飛躍的な進歩が、経済関係の緊密化のベクトルを加速させた。
 この時期には、世界の貿易は経済成長を大幅に上回るペースで拡大し(図表1)、国境をまたいだ投資や金融取引も活発化した。先進国の企業は新興国での事業展開を拡大していった。それらを追い風にして、市場経済に復帰した中国やロシア、中東欧諸国は、経済発展を加速させ、世界経済に占めるウェイトを高めていった(図表2)。

図表1.世界輸出総額の世界GDP対比の推移 図表2.世界のGDP構成比
  • 出所:英EIU(Economist Intelligence Unit)のデータより作成
  • 出所:英EIUのデータより作成
  • 網掛け部分は旧共産圏

 このような形で経済のグローバル化が進む過程では、米国を中心に力を得てきた市場原理主義が一種のスタンダードとなっていった。この時期の米国は、ソ連の崩壊で唯一の超大国となっていたことに加え、金融ビジネスの成長と、産業活動へのITの本格的な導入で経済の活性化に成功したこともあり、米国流の市場原理主義的な価値観と経済活動のルールが、世界的に力を持つことになったのである。そのため、この時期のグローバル化は「米国化」であるという認識も広まった。

(3)金融ビジネスの飛躍
 市場原理主義の台頭は、市場に直接参加する投資家や金融ビジネスの社会的な地位を高めることにもつながった。かつては、商品やサービスの生産に携わることなく市場での取引だけで利益を上げることに対しては、ある種の後ろめたさが共有されており、それが市場への参加や取引の膨張に歯止めを掛けていた。しかし、市場重視の価値観が広がったことで、その歯止めがはずれた。
 1987年に公開され話題を集めたオリバー・ストーン監督の映画「ウォール街」では、市場重視の傾向が最も強かった米国において、市場での取引で稼ごうとする姿勢が多くの人々に広がってきた当時の状況が批判的に描かれているが、この作品が注目を集めたことは、そうした状況に対する否定的な感覚が、当時の米国にはまだ残っていたことの現われとも言えるだろう。しかし、1990年代に入って米国経済が史上最長となる好況を謳歌し、株価の上昇が一段と加速したことで、そうした否定的な見方は次第に薄れ、米国においては、金融ビジネスは経済の主役として膨張を続けていった。
 さらにこの時期には、コンピューターの普及と情報ネットワークの成立にともなって、株式や為替、各種の証券の売買規模が爆発的に拡大するとともに、リスクとリターンと価格の関係を探求する金融工学の手法が現実の金融ビジネスに導入されたことで、多様な証券化商品やデリバティブが生み出され、金融ビジネスは事業領域を大きく広げていった。
 こうした傾向が経済のグローバル化の再開とも重なったことで、金融ビジネスの発展という潮流は、米国だけにとどまらず世界の多くの国に広まった。それと同時に、世界中のさまざまな市場の一体化と、国境をまたいだ投資や金融取引の拡大にともなって、金融ビジネス自体がグローバル化し、米国勢を中心とする各国の有力金融機関や投資会社は、世界全体を舞台として業容と影響力を拡大していった。


2.噴き出した弊害

 1980年代の世界的な市場メカニズム重視への旋回に先立つ1970年代には、中国やソ連、東欧の共産主義の国々の経済は完全に行き詰まりつつあった。資本主義を維持してきた西側先進諸国でも、競争制限にともなう経済活動全般にわたる非効率の累積や、生産活動に向けた人々のモティベーションの低下といった弊害が深刻化してきていた。1950年代、60年代の経済発展を支えてきた政府主導の経済体制は世界的に見直しを迫られる状況にあったのである。
 市場メカニズム重視への旋回から生じた、市場原理主義の台頭、グローバル化の再起動、金融ビジネスの飛躍といった時代潮流は、相互に重なり合って、自由と競争を原動力とする1980年代、90年代型の経済発展のパターンを生み出し、世界経済に新たな活力を吹き込んだ。1990年代には、転換をリードした米国の快走が目立ったが、経済発展を本格化させた中国をはじめとする新興国のプレゼンスが大きくなったことで、21世紀に入ると、世界経済全体が高成長を謳歌する状況が生まれた。国内市場の成長余地が乏しくなってきていた先進国企業が新興国に新たな成長余地を見出す一方、新興国の方も先進国企業の展開を受けて経済発展を一段と加速させるという双方にメリットのある補完関係も形成された(2006年2月号掲載レポート「『豊かさ』と『活力』と−成熟化経済と人口大国の行方−」参照)。
 しかし、こうした成果を上げる一方で、市場重視の経済体制には、次第に副作用や弊害も顕在化し、現下の金融危機を契機として、それらに対する問題意識と対応策への希求が急速に高まってきている。そうした動きは、今回の金融危機下、さらには危機脱却後の局面において、世界経済を変容させる大きな圧力となっていくことが想定される。そこで次には、これまでの世界経済の体制に関して問題意識が高まっているポイントを整理しておこう。

(1)過度の自由化と金融の暴走
 第一には、金融危機をもたらした金融ビジネスの暴走の背景でもある、過度の自由化が挙げられる。金融危機の直接の原因である米国のサブプライムローンに関しては、住宅価格の上昇を前提とする商品設計においても、それを証券化し世界各国の金融機関や投資家に販売する過程においても、それを阻止し得る規制は存在していなかった。サブプライム関連のリスクの生成と拡散は、その大部分が合法的に行われたものであり、その結果が世界的な金融危機というきわめて深刻な事態であったことを考えると、関連する規制の枠組みに欠陥があったことは明白だろう。
 そうした規制の欠陥は、市場原理主義的な政策運営の下で、企業の活動に対して過度の自由が与えられていたということでもある。そうした状況は多くの産業に共通するものであったが、とくに金融ビジネスに対しては、市場原理主義の最大の護持者として、特権的に大きな自由が与えられていた面もあったものと考えられる。

(2)相次ぐバブル
 第二には、相次ぐバブルの生成の問題が挙げられる。バブル、すなわち、価格上昇への期待の高まり自体が要因となって価格上昇が実現される現象は、17世紀のオランダのチューリップのバブルや18世紀の英国で起きた南海泡沫事件などを嚆矢として、歴史上、何度も繰り返されてきた。それは市場という機構が持つ構造的な欠陥とも言えるものであり、現代に特有の現象ではない。
 ただ、1980年代以降、市場重視の経済運営が主流になってからは、1980年代後半の日本での不動産と株式のバブル、1990年代末からの米国を震源とするITバブル、現在の金融危機の遠因でもある米国の住宅バブル、同時期に発生した英国やスペイン、ポーランドでの不動産バブル、中国の株式バブル、2007年後半以降の金融市場の混乱の渦中で発生した原油価格のバブルなど、さまざまな地域や分野で、バブルの生成と崩壊が頻繁に繰り返されてきた。
 これは、市場原理主義の浸透にともなって市場での売買で稼ぐことが正当化、さらには推奨されるようになったことに加えて、金融サービスが拡充されたことで、先進国でも新興国でも、市場での投機的な取引に手を出す人々が増加し、価格上昇が新たな価格上昇期待を生じさせやすい状況になっていたことが大きな要因と考えられる。株であれ住宅であれ、価格が上昇して、それで利益を上げる人が目立ってくると、「我も我も」とばかりに買い手が続出し、それがさらなる価格上昇につながるわけだ。
 これは、金融ビジネスの「プロ」からすると、次から次へとカモが現れて、高値づかみをしてくれるということである。そのため、たとえバブルだという認識があっても、その資産を保持し続ける、さらには購入し続けることがより大きな利益につながる可能性がある。サブプライム問題の経緯において、米国の金融機関がサブプライム関連の証券化商品をカモである世界中の投資家に売りつけてリスクを回避する一方で、自らも傘下の投資ビークルを通じて相当な量の証券化商品を保有していたのも、そうした構図があったためだと考えられる。

(3)格差の拡大
 第三には、格差の拡大が挙げられる。国家レベルでの経済水準を見ると、経済発展をはじめた新興国と先進国との間の格差は縮小してきている。しかし、それぞれの国の内部では、先進国、新興国ともに、格差が拡大してきている。格差の拡大自体は、資本主義の経済においては特異なことではなく、むしろ常態とも言える。それは、資本主義の構造自体に、格差を拡大させる仕組みが組み込まれているためだ。
 一つには、教育を通じたパスがある。人が所得を得る機会と能力は、どのような教育や訓練を受けたかに大きく左右されるが、貧しい家庭では、教育を受けるための資金が足らなかったり、幼少期から仕事に就かされて勉強する時間がなかったりで、満足な教育を受けられない場合が多い。その結果、十分に教育を受けられる豊かな家庭の子弟はますます豊かになり、貧しい家の子は貧しいままという形で、格差は世代を超えて拡大再生産されていく傾向が生じる。加えて、金融を通じたパスもある。資産を保有している人はそれを運用することで資産を増やすことができる。もちろん運用に失敗して資産を失うケースもあるが、平均してみれば運用成績はプラスになることが普通であり、資産を保有している人とそうでない人の格差は拡大する傾向になる。
 これらのパスは、資本主義の下では常に存在しているが、自由競争の下で個人がそれぞれの能力に応じて利益を上げることが推奨され、金融サービスが拡充を続けた市場原理主義の時代には、従来にも増して強力に働いたものと考えられる。
 さらに、それ以上にこの時期の格差の拡大に寄与したのは、急速なグローバル化の進展であった。先進国の企業は、賃金の高い労働力をそのまま使っていては、低賃金の労働力を武器とする新興国の企業との競争に勝てなくなった。そのため先進諸国では、生産拠点の国外シフトや企業活動の効率化による雇用の削減、賃金の切り下げといった動きが広まった。その一方で、市場経済下での利益獲得のノウハウを修得した企業経営者層や金融ビジネスの幹部職員は、一般の労働者とは桁違いの高所得を稼ぐようになっている。新興国においても、産業発展に乗れた人と乗り遅れた人の間で格差が急速に拡大している。
 そして、格差の拡大は、先進国、新興国双方において、取り残された人々の間で政府や社会への不満が高まったり、治安の悪化につながったりといった形で、社会不安を高める要因となってきている。

(4)行き過ぎた私益の追求と、各国・地域の固有の文化の破壊
 第四には、市場原理主義が力を持つなかで、誰もが自身の能力を発揮して利益を得ていくことが是認されたことを背景に、多くの個人や企業が私益の追求に走るあまり、公共の福祉や経済的弱者への配慮が希薄になる傾向が生じてきたことが挙げられる。
 サブプライム問題の生成過程においても、ローンを実行する企業や、証券化商品を組成・販売する企業では、ローンの借り手や証券化商品の買い手が大きな損害を被る可能性が認識されていた。それにも関わらず、そうした事業が維持・拡大されていったのは、規制が不十分であったというだけでなく、それに関わる人々の間に、「法律の範囲内であれば何をやってもよい」とか「自分たちさえ儲かればよい」といった感覚が共有されていたためでもあるだろう。
 こうした傾向は、米国だけの話でも、金融ビジネスだけの話でもない。中国などで顕著な、企業の生産活動にともなう環境破壊の深刻化や、食品への異物・毒物の混入なども、「自分さえよければ・・・」という価値観のなせる業と言えるだろう。
 また、犯罪的な行為には結びつかなくても、市場原理主義的な価値観が、世界各国・地域に固有の文化や宗教的な価値観と衝突する事態も生じている。「自由にお金を稼いでも良い」という価値観は、きわめてシンプルであり、人間本来の欲求に沿うものでもあるため、どのような文化的な背景を持つ社会においても、人々に浸透しやすい性格を有している。そのため、市場原理主義的な価値観の流入は、百年、千年単位で醸成されてきた各国・地域の文化を土台から侵食してしまう懸念が指摘されている。たとえば日本でも、ものづくりを尊ぶ精神や、企業を「協業の場」ととらえる風土が弱まっているとの指摘がある。
 さらに、自らの国家や民族の文化をアイデンティティの源泉だと感じている人々の間では、市場原理主義の浸透は、その源流とも言える米国による文化面での侵略だとする危機感と、それにともなう反米感情が生じた。イスラム原理主義者による国際的なテロが頻発している背景にも、そうした感情が作用している可能性がある。


3.変化の方向性

 現在の経済体制がどのような経緯と必然性の下で生じてきたのか、そして、現時点で、そこにどのような問題が生じてきているのかを整理してみると、今後の経済と資本主義が、どのような方向に変化すべきなのか、変化していくと考えられるのかは、自ずと浮かび上がってくる。まず言えるのは、今後の変化は、これまでの経済体制を根底から覆す革命的なものではなく、既存のメリットは活かしながら弊害を抑制することが基本になるだろうということだ。
 経済の活力を維持していくために、市場メカニズムを重視するスタンスは、引き続き経済の基本となるだろう。また、これまで経済発展の恩恵が及んでいない地域も含めて、より広い地域に経済的な豊かさを届けるため、そして、企業の成長余地を広げていくために、グローバル化の潮流は、経済ネットワークの広域化と経済関係の緊密化の両方の意味で、維持されるものと考えられる。以下ではそれを前提として、今後の変化の方向性を整理してみよう。

(1)振り子の揺り戻し−政府の機能拡充と規制の導入・強化−
 現在の経済体制の弊害を抑制するための修正は、これまでの「自由・市場・小さな政府」を志向する体制に、一時代前の「規制・計画・大きな政府」の要素を組み込んでいくことが基調となるだろう。
 現在の市場重視の経済体制の弊害である金融ビジネスの暴走や、相次ぐバブルの生成・崩壊にともなう経済の混乱、格差の拡大にともなう社会不安の増大といった諸問題は、19世紀から大恐慌に至る20世紀序盤にかけての資本主義の草創期に「野放しの資本主義」がもたらした問題と完全にオーバーラップする。当時、そうした問題への対応として生まれたのが、資本主義自体を否定する共産主義と、政府を通じた所得再分配の拡充によって格差の緩和を目指す社会民主主義、不況を回避する経済政策の手法を提起したケインズの経済理論から生じたケインズ主義といった、いずれも「規制・計画・大きな政府」を志向する経済体制であった。
 そして現在の経済体制の弊害に対しても、今回の金融危機を契機として、公的資金を用いた金融機関の「国有化」、財政支出拡大による景気刺激策、格差の拡大に対応したセイフティ・ネットの拡充、金融ビジネスや市場での取引に対する規制強化といった政策がすでに世界の多くの国・地域で打ち出されている。資本主義下の経済運営は、自由と規制、市場と計画、小さな政府と大きな政府の間を振り子のように揺れてきたが、打ち出されている政策を見ても、今後の当面の方向性が「規制・計画・大きな政府」への揺り戻しであることは間違いない。
 ただ、これまでの経験からは、いずれの側に振り子が振れ過ぎても弊害が生じることが認識されている。そのため、今回の揺り戻しは、単純な現状否定でも過去への回帰でもなく、自由と規制、市場と計画、小さな政府と大きな政府の間で、最適なバランスを探っていくことになるだろう。米国のオバマ大統領が就任演説のなかで「大きな政府か小さな政府かは問題ではない。問題は政府が機能するか否かだ」と述べたのは、まさにその方向性を示すものと理解できる。

(2)最適なバランスの変動−危機時と平時の違い−
 自由と規制、市場と計画、小さな政府と大きな政府の間のバランスを探るといっても、その最適なポイントは、経済情勢によって、必ずしも一定ではない。とくに、危機時と平時の違いは重要だ。
 すでに「規制・計画・大きな政府」へのシフトが大きな潮流となりつつあるが、それは危機下であるという状況面の要因も効いている。危機からの脱却のために最適なバランスは、危機から脱却した後には不適切なものである可能性が高い。1970年代に大きな政府の体制が非効率の累積や活力の減退で行き詰ったのも、平時において大きな政府を長く維持し続け過ぎたためであった。
 そう考えると、危機から脱却した後については、これまでほどの「野放し」ではないとしても、ある程度は「自由・市場・小さな政府」の方向に引き返すことを想定しておくべきであろう。米国においても日本においても、金融危機への対応で財政支出を拡大させるのと並行して、将来の財政均衡に向けた指針も検討されている。また、極端な景気刺激策を続け過ぎると、新たなバブルの源泉となりかねないという懸念も広がっており、その意味でも、政策の平時への「復帰戦略」が課題となる。
 ただ、市場メカニズムを重視する体制を維持している限りは、バブルの発生を政策的に抑止することはきわめて困難だと考えられる。将来的には、いずれ何らかの形で新しいバブルが生成・崩壊し、再び厳しい不況をもたらす蓋然性は高い。その意味では、バブルの崩壊にともなう不況は、市場メカニズムを活用するためのコストとして、平時においても常に認識しておくことが必要だろう。

(3)グローバル化がもたらす新たな地平−国際協調の重要性−
 「自由・市場・小さな政府」と「規制・計画・大きな政府」の間の変化は循環的なものと言えるが、経済のグローバル化については、ネットワークの拡大も経済関係の緊密化も、一方向への潮流である。したがって、グローバル化の潮流は、常に過去に経験のない状況をもたらすことになる。とくに、冷戦後の展開においては、ITの飛躍的な進歩と浸透もあって、世界経済はきわめて緊密に一体化し、その結果として、各国が独自の経済政策を行うことがきわめて困難になるという重大な変化が生じている。
 たとえば、企業活動がグローバル化し、事業拠点をどこの国に置くかを比較的容易に選べるようになったことで、企業活動に厳しい規制を課したり法人税率を引き上げたりといった政策は、企業の国外流出、つまりは雇用と税収の縮小につながるため、政府として選択し難くなった。この状況は、自由と小さな政府を志向する時代には大きな問題とはならないが、個々の政府が規制を強化しようとする際には、大きな障害となる。
 また、今回の金融危機への対応においても言えることだが、特定の国が財政赤字拡大などのコストをかけて景気対策を実施しても、その効果は貿易取引や金融取引を通じて他の国を利する反面、その分だけ当該国に対する効果は小さくなってしまう。景気対策にフリーライダー(ただ乗り)の問題が生じてくるのである。
 このような状況下では、経済政策は国際的な協調体制の下で行うことが重要になる。将来的には、国際協調を実現するためのコンセンサス形成の枠組みと、国際的な危機の際に機動的に協調した対応を取るための体制整備が求められる。すでに2008年11月にワシントンで開催された金融サミットを皮切りに、これまでのG7、G8に新興国も加えたG20によるコンセンサス形成の試みがスタートしている。そうした方向性は、依然として世界規模の問題である資源や環境の問題への対応においても大きな意味を持ってくるはずだ。ただし、それらを実現するためには、危機下にあって次第に目立ちはじめている各国のナショナリズムを抑え込んでいくことが重要な課題となる。


4.最大の課題は価値規範の再建

 金融ビジネスの暴走、相次ぐバブル、格差の拡大といった、これまでの経済体制の弊害に対しては、危機時と平時の違いを踏まえたうえでの「規制・計画・大きな政府」路線へのシフトと、経済政策における国際協調の枠組みの構築によって、今後の数年間をかけて対処していくことになる。それに対して、市場原理主義の浸透によって毀損した、世界各国の価値規範と文化の再建は、制度の見直しや政策運営の変更だけでは達成できない別次元の課題と位置付けられる。
 これまでにも、市場原理主義から距離を置いて、自身にとってやり甲斐のある仕事や、社会への貢献を志向してきた人も少なくない。むしろ、市場原理主義の台頭への反発もあって、それを批判する考え方が明確化されたり、NPOやNGO、社会企業家といったスタイルでそれを実践する人が増えてきた面もある。世界的な金融危機の発生を受けて市場原理主義的な価値観への批判が高まったことで、そうした私益の追求以外の生き方が一段と広い層からの共感を得ていけば、それが価値規範の再建に向けた第一歩となるだろう。さらにその先では、ものづくりやサービスを提供することで得られる満足感や、社会に貢献する喜びなど、仕事自体から金銭的利益以外のメリットを得る体験を積む人が増えていくことで、新しい価値規範が社会に浸透していく可能性もある。
 現実にそうした展開が生まれるかは、現段階ではまだ可能性のレベルに過ぎない。しかしそれが実現に向かえば、世界の経済と資本主義の在り方に、単なる振り子の揺らぎや、過去からの潮流の延長線とは次元の異なる大きな変化が生じてくるだろう。


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 (The World Compass 2006年2月号掲載)
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