新聞や雑誌、テレビで「格差」という言葉を目にする機会が増えた。しかし、現在議論されている格差の問題には、さまざまなベクトルが絡みあっており、まずはその問題の構造を整理しておくことが必要だ。
格差の構造
私たちが選択している資本主義の体制は、格差によって人々のモチベーションを喚起することを基調としており、格差が存在しているというだけでは問題にならない。格差が問題になるのは、そこに何らかの意味で不公正がある場合と、人間的な生活ができないほどの貧困層が生まれる場合に限られる。ただ、そうした状況が生じることは決して珍しくはない。それは、資本主義の構造自体に、格差を拡大させる仕組みが組み込まれているためだ。
社会が安定している時期には、財産を持っている人はそれを運用することで財産を増やすことができる。もちろん運用に失敗して財産を失うケースもあるが、平均してみれば運用成績はプラスになることが普通で、資産を保有している人とそうでない人の格差は拡大する仕組みになっている。
それに加えて、教育や子供時代の生活環境の問題もある。人々が所得を得る機会と能力は、その人がどのような教育や訓練を受けてきたかに大きく左右されるが、貧しい家庭では、教育を受けるためのお金がなかったり、幼いころから仕事をさせられて勉強する時間がなかったりで、満足な教育を受けられない場合が多い。その結果、十分に教育を受けられる豊かな家庭の子弟はますます豊かに、貧しい家の子は貧しいままという形で、格差は世代を超えて拡大再生産されていく傾向が生じるのである。
それに対して、社会が変動する時期には、それまで優位にあった層が没落する一方で、下の階層から一気に浮上する人々も現れ、既存の格差の構図は崩れる傾向がある。しかし、そうした時期には、社会の混乱のなかで、さまざまな歪みが生じ、不公正な格差が新たに生じがちになる。
問題は格差から貧困化へ
現在の日本で議論されている格差の問題は、バブル崩壊後、長期にわたって続いた不況の末に既存の秩序が大きく揺らいだ変動期に生じたものである。既存の格差の構図が崩れる一方で、新たな不公正が形成されやすい環境だ。実際、1990年代後半以降の今回の変動期にも、多くの企業で年功序列の秩序が崩れ、さらには、大企業の管理職層までがリストラの対象とされるなど、それまで勝ち組だと思われてきた層の凋落が目立った。その一方で、IT関連や企業買収のビジネスで若くして巨額の収入を手にする人々が現れた。既存の格差は崩壊に向かったのである。
それと同時に、新たな格差の構図が顕在化してきた。パートやフリーターと正社員の間の処遇の格差である。リストラの一般化は、正社員を削減し、パートや派遣社員に置き換えていく動きをともなっていた。その結果、仕事の内容は正社員とほとんど変わらないにもかかわらず、賃金をはじめとする雇用条件は正社員よりも大幅に不利なケースが急増している。また、新卒の正社員の採用が抑えられたため、多くの若者が不本意ながらも不安定で賃金の低いフリーターの立場に甘んじている。この時期に社会に出た世代の多くは、希望すれば正社員になることができた前後の世代に比べて、著しく不利な状況に追いやられている。
こうした現象は、不公正なだけではなく、若年層を中心に、自立した生活が困難な層を増加させてもいる。ただ、パートやフリーターと正社員との格差自体は、解消に向かう兆しもある。企業間の競争激化と、株主からの収益拡大の要請を背景に、成果主義の導入や業務の増加といった形で正社員の処遇が悪化してきているのである。格差の問題は、社会の大部分におよぶ全般的な貧困化の問題へとシフトしつつある。
背景は国際的な格差の縮小
多くの人々の生活水準が悪化する現象は、日本だけでなく欧州の主要国や米国など先進国に共通して起きている。働いていても貧困を抜け出せない状態を指す「ワーキング・プア」という言葉も定着した。
その背景には、アジアや東欧の国々の経済発展が本格化したことがある。先進国の企業は、賃金の高い労働力をそのまま使っていては、低賃金の労働力を武器とする新興国の企業との競争に勝てなくなってきた。そのため先進諸国では、企業活動の効率化による雇用の削減や賃金の切り下げの動きが活発化した。その結果が社会全体としての貧困化の潮流だ。その流れは、10億人を超える人口を抱えた中国とインドの経済発展が本格化してきたことで、一段と急激で確実なものになってきた。
そうした状況下にあっても、企業は、先進国の雇用や賃金を抑える一方で、新興国に新しく事業所を設けてその国の低賃金の労働者を使って事業を続けることで収益を伸ばすことができる。そうした対応をうまく実行できる経営者は、資本家に評価され、巨額の報酬を得ている。自国の多くの人々が貧困化する一方で、一握りの資本家と企業経営者が極端に豊かになる構図が成立しているのである。
要するに、先進国内で格差が拡大する一方で、先進国の労働者と途上国の労働者の格差は縮小しているわけだ。この構図は、貧しい新興国の人々が経済発展によって豊かになっていく流れを含んでいるため、一概に悪いことだとは決め付けられない。とはいえ、このまま先進国の一般の人々の生活水準が悪化していくようであれば、国内的にも国際的にも、社会を不安定化させる要因となる。そうした事態をどうやって回避していくのか。これからの時代のきわめて難しい課題と言えるだろう。
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