サクセスモデルの喪失
現在の日本経済が八方ふさがりのような状況に陥ってしまった裏には、人々の間に広がった将来に対する不透明感、不安感がある。考えてみると、かつて経済が成長を続け、終身雇用が前提だった時代には、一度就職してしまえば一安心で、引退後の生活も含めて将来を不安視する必要はなかった。その背景には、戦前の日本では、エリートだけに許されていた「大学を出て企業や官庁に勤める」という生き方が、高度成長期を経て、多くの普通の人々にも可能になったことがある(図参照)。「大卒・勤め人」というパターン化されたサクセスモデルが確立していたのである。
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大学進学率とホワイトカラー比率の推移 |
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- ホワイトカラー比率は、全就業者中の専門的・技術的職業、管理的職業、事務の従事者の比率
- 出所:労働力調査(総務省)、学校基本調査(文部科学省)
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ところが、単一のサクセスモデルを共有する人が増えていくにしたがって、同じモデルのなかでも序列が生まれてきた。サクセスモデルは、単に「大卒・勤め人」というものから「より良い大学、より良い企業」という階層的なモデルに変質し、勝者と敗者の区分と競争を生じさせたことで、落ちこぼれや不登校など「敗者の問題」が深刻化していった。
さらに、90年代の長期不況が終身雇用制を崩壊させ、大企業の管理職層までがリストラの対象になってきたことで、「良い大学、良い企業」の勝ちパターンに乗っていた人々でさえ、将来への不安を抱くことになった。「良い大学、良い企業」のモデルは、敗者を生む一方で勝者は不在という不毛な競争となり、もはやサクセスモデルではなくなってしまった。
サクセスモデルの喪失は、将来への不安感が日本社会にはびこったことと、ほぼイコールの関係にある。逆に言えば、今の時代に適合した新しいサクセスモデルを構築できれば、人々の不安感を軽減させ、八方ふさがりの日本経済の前途に風穴を開けることにもなるわけだ。
新しいサクセスモデルはプロへの道程
では、新しいサクセスモデルとは、どのようなものになるのだろうか。考える糸口は、企業とそこで働く人との関係の変化にある。終身雇用制は崩れ、企業はビジネスの実行に必要な能力を持っている人を時に応じて集めたり手放したりしながら事業を遂行していく形にシフトしていく。そうなると、成功へのカギは、どんな大学を出るかでもどんな企業に入るかでもなく、どんな能力を身につけるかに懸かってくる。それも、仕事に直結する技術や知識だ。
従来は、仕事に必要な技術や知識は、社会に出てから実務を通して身につけるのが普通だった。しかし、企業の経営環境が厳しくなった近年では、終身雇用制を維持できなくなるのと同時に、半人前の人材を雇ったうえで企業の負担で教育する余裕もなくなった。加えて、多くの職種で、要求される技術・知識が大幅に高度化し、実務を通して習得できる水準ではなくなった。その結果、人材の育成においても企業の役割は後退し、職業教育については、外部の教育機関と個々人の負担に依存する形になる。この職業教育、とくにスペシャリスト養成の領域こそが「良い大学、良い企業」に代わる新しいサクセスモデルの根幹になると想定される。
期待される専門的職業教育の拡充
その萌芽は、多くの学生が各種の資格取得を目指して大学以外の機関にも通う、いわゆる「ダブル・スクール」の流行や、専門職としての企業経営の技能を証明するMBA(経営学修士号)の取得を目指す学生や社会人が増えていることなどからもうかがえる。こうした動きは、不透明な将来に立ち向かおうとする人々の行動と、高度な知識・技能を持つ人材を求めながらもその育成を外部に任せたいという企業のニーズが組み合わさって生み出されたものだ。
この流れを、新しいサクセスモデルの確立に結びつけていくには、政策面でのバックアップが欠かせない。2004年に立ち上がるロースクール(法科大学院)をはじめとする専門大学院構想が打ち出されているが、これを一部のエリート養成にとどめず、対象となる職種・技能を多彩な領域に広げ、それぞれを公的な資格制度などで権威付けしていくことが必要だ。IT関連のさまざまな技能、製造現場での諸技術、デザイン、金融工学、情報検索、マーケティング等々、対象になり得る分野は無数にある。
これらの教育カリキュラムや資格が権威を持ち、成功へのパスポートとなるには、それらが人材を使う側の企業のニーズを反映したものであることが前提となる。同時に、職業教育のシステムが、高校、大学といった一般の教育システムと効果的に結びつくこと、加えて、既に社会に出て働いている人々にも開かれたシステムにしていくことも必要だ。
プロとしての資格取得をゴールとする新しいサクセスモデルの確立は、人々の不安感を軽減し、消費活動を活発化させることにつながる。それにはかなりの時間を要すると考えられるが、専門的な職業教育を受けるのは、将来に向けた「自分自身への投資」であり、ただ資産を貯め込むのと違って、教育サービスに対する需要を生じさせる。企業に新たなビジネスチャンスを提供することにもなるわけだ。
教育の領域に経済の視点で切り込むことには違和感を覚える人も多いかもしれない。しかしここまで書いてきたように、日本経済の再建は、教育の問題を抜きには語れない。今後、日本経済に前向きな展開があるとすれば、教育の領域は、その最有力候補と言えるだろう。
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