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読売ADリポートojo 2004年6月号掲載
連載「経済を読み解く」第48回
仕事選びの新機軸−「13歳のハローワーク」の波紋−

 村上龍氏の「13歳のハローワーク」という本が百万部を超えるベストセラーになっている。この本は、医師や弁護士のようなメジャーな仕事から、最近人気のゲームプランナーやソムリエ、さらには特効屋やバスプロのように、かなりマニアックというか専門的な仕事まで五百あまりの職種を、「・・・が好きな人に」という切り口で分類して、それぞれどんな仕事なのか、どうやったらその仕事に就けるかを紹介した「仕事の図鑑」といった趣の本である(Amazonの紹介ページへ)。
 近年の日本社会の変容を考えると、この本はまさにタイムリーな企画であり、ヒットしたのも当然と思われる。今回は、そのあたりの背景について考えてみたい。


脱・会社依存の発想

 「13歳のハローワーク」のヒットの背景には、第一に、この本の帯にも書かれているが、良い企業に就職すれば一生安心というわけにはいかなくなったという現実がある。90年代以降の経済不振の過程で、リストラが常態化し、終身雇用が崩壊してしまったことで、企業とそこで働く人との関係が決定的に変化した。
 今、小中学生くらいの子供を持つ親の世代の人々も、それを痛感している。彼らが子供の将来を考えるのに、「どこに勤めるか」だけでなく「どんな仕事に就くか」という視点を持つようになったとしても、まったく不思議ではない。そのきっかけ作りの意味で、子供に読ませるため、あるいは自分で読んでみるために、「13歳のハローワーク」を買い求めているという図式があるのだろう。
 本の題名は「13歳の」となっているが、もう少し上の年代になると、自分の意思でこの本を読もうとしているのかもしれない。高校生や大学生、既に社会に出ている若者が買っていくケースも多いようだ。
 いずれにしろ、90年代の経済構造の変化に対応して、会社依存から抜け出そうという意味合いである。


実感を持てる仕事を求めて

 こうした近年の大きな変化に加えて、より長期的な趨勢の影響も見逃せない。それは、経済における分業の深化によって、私たち一人ひとりの仕事から、生産活動としての実感が失われ続けているということだ。これは、製造現場に限らず、サービス業においても、オフィスワークにおいても共通に見られる趨勢である。
 農業や手工業、あるいは個人商店のように、家族や個人を単位とした生産活動であれば、それぞれが何を作っているのか、誰のために仕事をしているのかは明確であった。それが、生産活動が大規模化し、企業を単位とするようになると、個々人が受け持つ仕事は生産過程のごく一部に細分化されてしまった。それによって生産効率は向上し、物質的な豊かさは実現できたわけだが、それと引き換えに、生産活動にともなう充足感、達成感、言い換えれば、仕事をすることで得られる喜びは失われていった。
 世の中全体が貧しかった時代には、仕事の喜びなどと言えば贅沢以外の何物でもなかっただろうが、豊かな時代になると、若者たちが有意義な仕事、実感のある仕事に就きたいと望むのも、おかしなことではなくなった。近年、若年層の就職難が問題視される一方で、就職してすぐに仕事に幻滅してやめていく若者が多いのは、彼らの希望と現実とのギャップが大きくなっているためだろう。
 そうした若者たちと、その予備軍である子供たちに向けて、「こんな仕事もあるんだよ」ということで並べてみせたのが「13歳のハローワーク」であった。そこにリストアップされている仕事の多くは、専門的な技能を武器にする職種だ。それらは、会社依存から抜け出すことを可能にする職種であると同時に、仕事自体に名前が付いた、実感を持てる仕事でもある。


期待される発展形

 経済の高度化や技術進歩の加速にともなって、専門的な技能を持った人材へのニーズは拡大しているし、そのバリエーションも多彩になってきている。しかし、その全体像を仕事選びの視点で分かりやすく整理したリストは存在していなかった。
 もちろん、一冊の本によってその欠落が埋められるわけではない。まして、会社依存からの脱却や、実感のある仕事への回帰が可能になるはずもない。ただ、この本のヒットで、そこには確実に社会的なニーズが存在していることが明確になった。
 それを受けて、その欠落を本格的に埋めるために、産業、労働、教育のそれぞれの視点からの政策的な対応が期待される。行政の動きが鈍くても、民間企業が新しいビジネスチャンスととらえて動き出すだろうし、NPOの出番もありそうだ。
 具体的には、まずは情報の整備だろう。一冊の本の形で提供できる情報量には限界がある。状況の変化にあわせて次々にアップデートしていくことも必要になる。情報の見せ方にしても、電子データにしてWEBの形式を使えば、それぞれの好みや適性との関係、あるいは複数の仕事の相関関係など、有機的に展開することもできる。
 さらに、それぞれの仕事のための教育カリキュラムや就職の手順などについて、より具体的な情報を提供することも求められる。その前段階として、一般の学校で何を学んでおく必要があるのか、何を学んでおけば役に立つのかといった情報を提供できれば、子供たちが学校で勉強する動機付けにもなるだろう。
 仕事選びの新機軸では、「13歳のハローワーク」のヒットが先駆けとなったわけだが、この分野での展開の余地は、まだまだたっぷり残っている。今後の発展形の登場には、日本社会全体としての期待がかかっている。


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