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読売ADリポートojo 2005年4月号掲載
連載「経済を読み解く」第56回
未来のための貯蓄と投資−これからの焦点は人材の育成に−

貯蓄と投資の考え方

 貯蓄と投資。いずれもごく普通に使われている言葉である。銀行預金や郵便貯金のような安全確実な資産運用を「貯蓄」、それに対して、株式や不動産のようにリスクをともなうがリターンも大きい運用を「投資」と呼ぶのが一般的な使われ方だろう。しかし、経済全体を対象とするマクロ経済の議論では、一般とはかなり意味の違う、一種の専門用語として使われている。
 マクロの議論では、「貯蓄」とは、稼いだ所得の一部を、将来のために、消費せずに残しておくことを指す。それに対して、「投資」というのは、将来のために残した貯蓄を資金源として、住宅とか機械設備のような将来役に立つ物財を購入することを意味している。
 大まかにいうと、稼いだ所得を「現在のために使う」のが「消費」、「将来のために残す」のが「貯蓄」、そして貯蓄のなかから「将来のために使う」のが「投資」ということになる。
 通常は、一般の人々が将来に備えて残した「貯蓄」を、金融機関を通したり債券を発行する形で企業や政府、また住宅の場合には一般の個人が借り受けて「投資」を行っている。したがって、どれだけ貯蓄するかと、どれだけ投資するかは、別の主体が、異なった理屈で判断しているわけで、貯蓄と投資は、ひとつの国の中では、必ずしもバランスするとは限らない。


日本のアンバランス

 ひとつの国の経済において、貯蓄に対して投資が多すぎる場合には、生産が間に合わず商品やサービスが不足し、インフレ気味の経済となる。逆に貯蓄が多すぎる場合には、商品やサービスが余ってしまい、不景気気味の状態になる。
 そのアンバランスが短期的な変動によるものであれば、通常は企業が抱える商品や原材料の在庫の積み増しと取り崩しで調整される。それに対して、長期にわたる構造的なアンバランスの場合には、外国との輸出入取引で埋め合わせられ、その結果が経常収支(海外との商品やサービスの取引の収支)の黒字・赤字の形で現れてくる。
 黒字大国である日本は、典型的な投資不足の国と言える。近年では貯蓄性向の低い高齢層が増えていることなどから、貯蓄率は低下傾向にあるが、リストラの常態化や、社会保障制度の不安定化などにともなう不安感の高まりもあって、消費を抑えて貯蓄を増やそうとする傾向は依然として根強い。将来のための資金である貯蓄が多いこと自体は決して悪いことではないが、その資金を国内での有効な投資として使えないとなると、やはり問題である。
 投資不足は、国内の需要が伸びにくい慢性的な景気の停滞をもたらすだけではない。国全体として投資が不足すると、必然的に、将来のための資金は外国の政府や企業に対する債権や出資の形で積み上がっていく。そうした対外資産の価値は、投資先の国の経済や社会がどうなるかで大きく変動する。いわば、自国の将来を他国に託すことになるわけだ。
 もちろん、それを前提に、投資先の国の発展を支援していくという考え方もあるが、それだけではリスクが大き過ぎる。自らの将来に備えるうえでは、将来の生産活動の効率や生活における満足度を改善するための設備やインフラといった国内の投資を活発化させることが不可欠だ。


投資の活性化に向けて

 マクロの議論では、投資は、住宅、生産設備、公共施設の三つに分けて考えることが多い。それとは別に、企業や研究機関の研究開発活動のように、知識や知恵といった無形資産を積み重ねていくことも、広い意味での投資と言える。現在の日本では、これらいずれのタイプの投資も、活性化しにくい状況になっている。
 住宅については、質的な改善の余地はあるものの、今後人口が減少していくことを考えると、大幅に投資を伸ばしていく必然性はない。また、企業活動におけるリスクを処理するための金融システムが確立されていないため、大企業も新興企業も、リスクのある生産設備への投資や研究開発の拡大には限界がある。公共施設についても、国や地方の財政赤字、債務規模が過去にない水準まで膨張していることを考えると、当分の間は、従来のシステムの下で拡大していくことは難しそうだ。
 そう考えると、国内の投資を活発化させるためには、かつての護送船団方式に代わる新しい金融システムや、既存の政府・自治体の財政とは別枠の公共投資の仕組みの構築といった方向性が浮かんでくる。これらに向けた動きは、ゆっくりとではあるが、すでに進みはじめている。
 そして、ここにきて急速に議論が高まっているのが、人材への投資である。長年にわたる少子化の潮流に加えて、近年、日本の学生や児童の学力低下が問題視されている。日本の将来を背負う人材が、数と質の両面で手薄になってきており、対策が急務になっているというのである。
 人材の育成や教育、さらには出産や育児まで「投資」と位置付けることには抵抗もあるだろう。しかしそれらが、日本の将来のために資金を使う活動であることは確かである。特定の目的にしか使えない物財への投資では、経済や社会の変動で価値を失うリスクが大きいのに対して、人材への投資は、世の中の変化を超えて価値を維持できる場合が多い。この柔軟性、汎用性というメリットは、経済や社会の先行きが不透明な現在の日本では、きわめて重要な意味を持っている。
 物財から人材へ。投資に限らず、経済全体の活性化のカギも、こうした発想にあるのではないだろうか。


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