八方ふさがりの日本経済
新年に入って、経済再建を目指したさまざまな政策が報じられている。企業も個人も、少しでも状況を改善しようと努力を続けている。ただ、企業の努力は過剰な借金、設備、労働力の整理、いわゆる「リストラ」が中心だし、個人の方も、不透明な将来に備えるために無駄遣いをせずお金を貯めるのがせいぜいだ。マクロ的にみれば、これらはいずれも、むしろ経済をますます委縮させてしまう動きである。
他方、民間の経済活動が委縮する不況期に、公共事業の拡大などで需要を維持する役割を求められる政府も、巨額の財政赤字を抱えて、そうした役割を果たせそうにない。逆に、財政赤字削減を目指して支出を抑えようという方向にあり、このままでは前向きな動きを先導することは期待できそうにない。
下の表は、経済の全体像を表すGDPを需要項目ごとに示したものだ。ここまで述べてきたことをこの表に則していうと、今の時点では、個人消費、住宅投資、設備投資、公共投資、政府支出のいずれにも期待できないということだ。残るのは輸出くらいだが、頼りのアメリカ経済にも不安材料が多く、ここにも大きな期待はかけにくい。
こうして消去法で考えていくと、誰もがそれぞれの立場で状況を改善する努力を続けていても、需要の拡大につながる前向きな展開はどこからも出てこないということになってしまう。
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2001年度の名目GDPの構成 |
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- 各項目の( )内は、政府が発表する統計上の正式な項目名
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期待の芽は複合的・中間的な需要の拡大に
それでは、私たちはすっかり満ち足りているのかといえば、決してそんなことはない。ニーズはあっても、お金の裏付けのある需要として出てこないのである。しかし、各需要項目の複合的、あるいは中間的な性格を持った需要を視野に入れてみると、需要として顕在化しそうなニーズの芽が見えてくる。
第一は、個人消費のうちで投資的な性格を持った需要である。GDP統計において「投資」とは、「将来の役に立てるために商品やサービスを購入すること」といった意味だが、GDPのリストを見ると、個人の投資として項目に挙がっているのは住宅投資だけだ。しかし、今の「不安な時代」に、お金を貯める「貯蓄」ではなく、お金を使う「投資」の形で将来に備えるとすれば、その本線は住宅ではないだろう。
期待されるのは、「自分自身への投資」、すなわち仕事につながる技術や知識の習得だ。この種の需要は、GDP統計では個人消費に含まれる形になっているが、今後、実際的な技能を習得させる職業教育の事業が本格的に展開されて、供給サイドの体制ができてくれば、10兆円単位の大きな成長分野となる可能性を秘めている。
第二は、民間設備投資と公共投資の中間的な性格を持つ需要である。一般の民間企業は、経済が低迷するなか、リスクの大きな事業を展開する余力をなくしている。それに対して、政府や自治体が行う公共事業は、人々から税金の形で強制的に集めた資金を使うので、リスクの小さい事業としてスタートさせることができる。しかし、民間の企業と違って競争がないために非効率になったり、現実のニーズに合わない事業になったりしやすいという問題が指摘されている。加えて、国も地方も財政赤字が累増しており、公共事業の拡大は望みにくい状況だ。
そこで、事業主体として初期投資を行いサービスを提供するのは民間の企業やNPOとし、政府や自治体はその利用者としての国民、地域住民を代表して、事業主体にサービス提供を委託する事業モデルが登場してきた。税金で費用をまかなうことで事業のリスクを抑え、民間のノウハウと資金を活用しようというわけだ。PFIの手法もその一種である。そうした新しい形式の官民分業による事業展開は、現時点では試行段階にとどまっているが、成功事例が出はじめれば、新規事業の展開も、それにともなう設備投資も、急速に拡大する可能性がある。
第三は、住宅投資と公共投資の複合的な性格を持ったタイプの需要である。豊かになった日本人の暮らしでも、住環境の貧しさだけは、依然として大きな不満として残っている。住宅そのものについては、個人がお金をかけて質を高めていくことが可能だが、周辺の公共施設や交通機関などトータルな住環境の整備、いわゆる「街づくり」は、個人の資金でどうにかなるものではない。自治体が主体となって、はじめて可能になるものだ。地域全体でのバリアフリー化や景観の改善、公共サービスの拡充など、想定される事業領域は幅広い。
この種の需要を顕在化させるためには、住民の利害を調整し、コンセンサスを形成していく仕組みが必要になる。本当の意味での地方自治の仕組みである。その上で、前に述べた新しい官民分業の事業モデルを活用することができれば、そこからは膨大な潜在需要が表に出てくることが期待できる。
社会の枠組みの改変が前提条件
ここで挙げた三つのタイプの需要分野に共通するのは、潜在的なニーズを現実の需要、つまりお金をともなう形で表に出すには、供給体制や制度的な枠組みの整備など、それなりの準備が要るということだ。
職業教育の拡充は、学校教育の役割や企業と就業者の関係にも影響を及ぼす。また新しい官民分業の仕組みを生み出そうとすると、税制改革や規制緩和の流れにも絡んでくる。いずれも簡単な話ではない。当面は、一部の先進的な試みが向かい風の中で進められていく展開が予想される。しかし、その背後には、巨大な潜在需要が存在している。それは、私たちに残された希望の種である。
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