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読売ADリポートojo 2002年4月号掲載
「経済を読み解く」第25回
都市とインフラ−インフラ整備をどうするか−

ロンドンのインフラ

 ロンドンで暮らし始めて半年近くが過ぎた。
街や国の本当の良さが分かるのには、もう少し時間がかかるようで、半年程度ではかえって悪いところばかりが目に付くようだ。ロンドンでは、地下鉄はしょっちゅう止まるし、駅のエスカレーターの多くが故障中。乗り換えも不便。家に帰ればお湯が出ない、水が漏る。これは、私だけが不運なのかとも思ったのだが、周りの多くの人が似たような目にあっている。
 これらはもちろん、インフラが未発達なためではない。古いのである。なにしろ、1863年に世界で最初の地下鉄を開業した先進国中の先進国である。基本的には、その地下鉄を受け継いで今でも使っているわけで、東京の地下鉄と比べて不備が目立つのも仕方がないと言えるだろう。住宅にしても、景観を守るという視点から、建て替えが規制されており、土台から新しくするということは少ないそうだ。私が借りているフラットも、内装は新しくしたばかりだが、実体は築60年の物件だ。水回りの問題が生じても仕方がないところだ。
 こうした問題は、しばらくこの街で暮らしてみて感じる不満であるが、その一方で、古いものがそのまま活かされているために、街には歴史を感じさせる雰囲気が生まれている。それが多くの観光客を惹きつける魅力となっていることも確かだ。こうした傾向はヨーロッパの多くの街に共通しているが、それによって生み出される街の風格やたたずまいが、前回書いた、ヨーロッパの「高く売る力」の重要な要素となっている。


バランスの問題

 それでは、街の風格と暮らしやすさは、両立できないもの、あるいはトレードオフの関係にあるものなのだろうか。この二つに、コストという要素を加えると、答はイエスだ。
 街の風格と暮らしやすさを両立させることは不可能ではないが、それにはコストがかかる。安上がりに利便性を求めようとすると、街の風格が犠牲になる。三つのうち二つまでは選べるが、風格と利便性と低コストの三つすべてを満足させることはできない。もちろん実際には、二つを選んで一つを捨てるという単純な話ではなく、三つの要素の間の、最も望ましいバランスを探ることになる。
 ロンドンの場合には、そのうちの利便性を、ある程度犠牲にするバランスを選んだのだと言える。イギリス経済は、サッチャー政権以来、財政支出の引き締め、公共事業の民営化といった政策で、経済の活性化に成功したとされている。ただ、その過程では、都市のインフラのメンテナンスも抑制されてきた。それが、過度の抑制であったのかどうかを評価することは難しい。現状の都市インフラの不備と経済の活性化のどちらが重要であったかは、簡単には比べられないからだ。ただ、経済の活性化の背後で、生活の利便性が犠牲になってきたということは間違いない。


日本の選択

 さて、そう考えてくると、「それでは東京は、日本は……」という話になる。日本の場合、伝統的な街並みが残されているのは、京都や一部の地方都市に限られる。東京の場合、震災や戦争という歴史を考えれば、風格がないのも仕方のないところだ。その分、都市インフラは新しいのだが、きちんとメンテナンスしていかないと、いずれはガタがくる。その懸念は、ロンドンの現状を見ると、切実さをともなってくる。
 日本においても、街並みや景観、暮らしやすさ、そしてコストの三つを、どのようにバランスさせていくか、考えておく必要がある。国債残高が400兆円を超え、地方の借金と合わせるとGDPをも上回っている現状を考えると、コストをかけないことが一番だとも考えられる。しかし、インフラのメンテナンスは、必要なものまで抑えてしまうと、後になってそのツケを払わざるを得なくなる。今の時点では借金としてカウントされなくても、いずれは出さざるを得ない費用なのであれば、実質的には借金と同じことだ。であれば、問題はいつ実行するか、ということになる。  
 もちろん、少々不便でもぎりぎりまで我慢するという選択も可能だ。国の財政状態を考えれば、それが常識的な選択だろう。しかし、同時に考えなければならないのは、経済全体としての生産余力の問題である。
 現在の日本は、デフレが問題になるくらいの極端な生産力過剰の状態にある。マクロの視点で考えると、今のように生産力に余裕があるときにこそ、インフラをきちんとメンテナンスするべきなのである。今後、高齢化が進めば、需要がさほど伸びなくても供給力が不足気味になる可能性がある。そう考えると、今はインフラ整備のラストチャンスだとさえ言える。


政治もインフラ

 ここでの問題は、国民が、現在の政府を信頼していないという点にある。前もってインフラを整備するといっても、本当に必要なところに必要なだけの支出で済ませているのかという点で、政府や自治体を信頼できないのである。そのため、問題がはっきりするまでは何もしない方がマシ、ということになるわけだ。確かに、これまでのような、硬直的な財政運営では、機動的なインフラ整備など、とても望めない。
 小泉改革への期待も、これを改めることにある。インフラとは、地下鉄や街並みなど、目に見えるものだけではない。信頼できる政府や財政システム、これらも私たちの暮らしにとって、重要なインフラの一部なのである。


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