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チェーンストアエイジ 2011年6月1日号掲載
東日本大震災後、日本経済はこうなる

巨大災害と経済

 東日本を襲った震災の記憶は、人々の心に深く刻み込まれた。しかし、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のたとえもあるように、時がたつにつれて、震災の生々しい記憶は、心の奥底に封印されていく。これは、取り返しのつかない被害を受けた方々にとっては残酷なことでもあるが、人々の暮らしが平常に戻り、経済の歯車を再び回しはじめるために必要な条件でもある。過去の多くの自然災害や大事故の際にも、被害の記憶を封印し、ショックから立ち直ることで、人々は生活と経済を回復させてきた。
 そして、一時的なショック状態を抜け出せば、損壊した家屋や工場、店舗、道路や港湾の再建、修復がはじまる。それにともなう物資や労働力に対する需要の拡大は、経済全体としての供給力が不足している新興国や途上国の場合にはインフレや貿易赤字の拡大といったマイナスの影響をもたらす場合が多いが、日本も含めて、慢性的な需要不足に悩む先進国の場合には、生産や所得の拡大に直結する場合が多くなる。大規模な自然災害や事故などの悲惨な出来事は、一時的には経済活動を大幅に落ち込ませるものの、国全体の治安や行政機構、金融システムといった基幹部分さえ維持されていれば、中長期的には経済を活性化させる要因でさえある。それは、経済の冷徹な現実である。
 今回の東日本の震災も、おそらくはその例外ではない。震災後、日本経済は大きく落ち込んだものの、ある程度の時間を経れば間違いなく立ち直る。復興の費用を捻出するための何らかの増税は不可避と考えられるが、そのマイナスの影響以上に、復興需要が経済を活発化させる可能性が高い。そうした展開を見通しているため、今回の震災に際しても、株式や為替、金利などの市場は、早々に落ち着きを取り戻している。


悪影響の長期化の可能性

 通常の災害や事故であれば、一時的なショックから立ち直り復興に向けた動きが本格化するまでの期間は、数カ月から半年程度である場合が多い。しかし、今回の震災では、その時期は全体としてかなり遅れ、悪影響が長期化する可能性が高い。それは、今回の震災が一過性の事象ではないからだ。
 第一に、規模の大きな余震が続いている。震災から1カ月が過ぎた4月12日に、気象庁が「今後も震度6クラスの余震が発生する可能性がある」として注意を呼びかけたほか、今後数年にわたって地震活動が活発化する可能性が高いとする専門家も多い。第二に、過去の震災と比べて今回の震災の最も際立った特質でもある原子力発電所の問題が長期化の様相を呈している。原子炉そのものが爆発するとか溶融した核燃料が再臨界に達するといった最悪の事態は回避されたようだが、依然として放射能漏れは続いているし、原子炉と燃料が安定的な状態になるまでに1年以上かかるとの見方もある。こうした状況下では、被災地を思いやった心情的な自粛モードが落ち着いたとしても、現状に対する不安感から、旅行や娯楽、買い物を控えようとする傾向は、容易には収まらないだろう。
 さらに、第三のファクターとして、電力不足の問題が大きい。今回の震災では、大きな問題になっている福島原発だけでなく、多くの火力発電所も被災し、稼動を停止した。それによって、日本の経済活動の4割を占める首都圏において深刻な電力不足が発生し、断続的な計画停電が行われた。気温の上昇にともなう暖房需要の減少と火力発電所の復旧、増強によって当座の不安は解消されたが、冷房需要が拡大する夏場には再び需給が逼迫する可能性が高い。その場合、節電を励行するとともに停電にも備えなければならず、通常の生産活動、消費活動を行うことは難しくなる。また、電力の供給量は確保できたとしても、緊急対応として火力発電に依存せざるを得なくなるため、世界的な燃料資源価格の高騰もあって、発電コストの上昇は避けられない。それはいずれ電力料金の引き上げの形で一般の企業や消費者への打撃となる。
 こうしたファクターが重なっていることで、今後の日本経済は、過去の災害や事故の場合に比べて、回復、活性化に向かう時期が遅れる可能性が高い。その度合いは、余震や原発事故の処理、電力供給の増強ペースに左右されることになり、当面は先を見通しがたい不透明な状況が続くことになるだろう。また、悲観的な見通しが強まった場合には、円安や株安といった動きが生じることも予想される。


日本経済の構造変化にも影響

 震災の影響が長期に及ぶということは、これからの日本経済の大きな方向性にも影響が及ぶ可能性が高いということでもある。影響はさまざまな領域に及ぶと考えられるが、最も蓋然性が高いのは、エネルギーの分野だろう。深刻な事故を受けて原子力開発の停滞、後退は不可避と見られる一方で、世界的な燃料供給不安と価格高騰の問題を抱える火力に依存することには問題が大きい。そうした状況下で、太陽光、風力、バイオマス等の再生可能エネルギーのウェイトが、従来の想定以上に高まることになるだろう。とはいえ、再生可能エネルギーに頼るにも限界があり、エネルギーの供給制約が強まる結果、電力をはじめとするエネルギー価格は上昇に向かう可能性が高い。そうなると、近時の節電モードの恒常化を含めて、生産・消費両面でのエネルギー効率の改善と無駄の排除による省エネルギーの進展も予想される。
 また、企業活動の海外移転が加速することも想定される。震災以前から、国内における人件費や地代などのコスト高と市場の停滞に、それと対照的な新興国市場の急成長、さらには円高の定着や政治不信といった要因が加わり、日本企業が事業の軸足を新興国に移す動きが加速しつつあった。そして震災を経験したことで、すべてを失うリスクを回避するために事業拠点を分散させる動きの延長線上で、海外移転の流れが強まりつつある。今後予想される電力料金や防災コストの上昇も、加速要因となるだろう。企業活動の海外移転は、企業にとってはリスク回避とコスト削減のための合理的な判断となる。しかし日本経済全体にとっては、短期的には雇用の減少、長期的には国内の人的資源と技術基盤の劣化といった悪影響が予想され、今後の大きな不安材料と位置付けられる。
 大きな動きとしてもう一つ考えられるのは、東京への一極集中の是正である。人口や経済活動、企業の本社機能、行政機能が極端に集中している東京が大きな災害に見舞われた場合に想定される被害の甚大さは、かねてより指摘されていた。しかし、平時においては、人口にしても経済活動にしても、特定の地域に集約されている方が効率的であり、それを分散させるとなると、それにともなう障害もコストもきわめて巨大なものとなる。そのためこれまでは、一極集中の問題については、認識はされても手の打ちようがないまま放置されてきた。それが今回の震災で、東京自体も、強い地震に加えて交通網の混乱や断続的な停電を経験し、問題の深刻さが改めて浮き彫りになったことで、何らかの動きが起こる可能性が生じてきた。それが人口の分散にまで進むとは考え難いが、企業の本社機能や行政機能の分散については、住宅やオフィスビル、公共施設等の耐震性能の向上と並んで、重要な検討課題として挙げられている。
 これらの変化は、震災後2カ月あまりが経過した現在の時点では、いずれも可能性の域を出るものではないが、それが現実の動きとなった場合には、日本の経済、社会の構造を、良くも悪くも大きく変えることになるだろう。日本経済に対する震災の影響には、まだまだ計り知れないものがある。


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