2011年3月11日、この日からの一連の出来事は、多くの人々の人生を断ち切り、さらに多くの人々の生活を一変させた。そして、その衝撃は、日本の社会や経済の全体像をも大きく変化させるとの見方も広がった。その変化は、2012年12月の時点では、まだ全容を現してはいない。この段階で、それについて語るのは時期尚早とも考えられる。しかし、3.11以降の日本の歩みを規定してきた民主党政権が実質的に崩壊し、解散総選挙という形で大きな節目を迎えることを考えると、震災以後の日本の歩みを、ひとまずまとめておくには良い時期であるようにも思われる。
効率偏重から災害への備えの拡充へ
大地震と津波に加えて、それを発端として生じた原発事故、首都圏の計画停電、さまざまな商品の供給途絶といった障害の数々によって、それまで日本が潜在的に抱えていた問題が、白日の下にさらけ出された。改めて振り返ってみると、3.11後に日本が変わると感じたのは、そうして突きつけられた問題に、社会全体で取り組まざるを得なくなると考えたからであった。
最も直接的な第一の問題は、今回のような災害に対する備えが、きわめて脆弱であるという点であった。住宅やオフィス、公共施設といったハードだけでなく、日々の暮らし方や働き方、企業であれば事業拠点の配置や原料・部品の調達チャネルなどのソフトの面でも、利便性や効率性を重視するあまり、災害への備えが手薄になる傾向が生じていた。3.11後には、日本各地で、住宅やオフィス、工場、店舗等の耐震性の向上、非常食や防災用品の確保、事業拠点や調達先の分散化といった対策を講じる動きが広がった。しかし、今回のような大規模な災害に備えるには、個人や企業によるプライベートな対策だけでは不十分で、インフラや制度の拡充による社会的な対策が不可欠だ。
最優先課題である被災地の復興では防災体制を整備した町づくりを早急に進める。それをモデルとして被災地以外の防災体制も拡充していく。電力供給の面では、深刻な事故を受けて原子力の後退が確実になり、供給不安の問題を抱える火力への依存にも限界があるなかで、省エネルギーの推進と、太陽光をはじめとする再生可能エネルギーと蓄電池を組み合わせた分散型電力供給システムの導入を加速させる。さらには、重大なウィークポイントである東京一極集中の問題に対しても、首都機能の分散をはじめとして、手立てを講じていく。
こうしたシナリオの実現に向けて、政府、政治のリーダーシップへの期待は、大きく膨らんだ。しかし、その期待は裏切られ、災害に対する脆弱性の問題が残されるとともに、第二の問題が浮き彫りになった。
露わになった政治の脆弱性
3.11が顕在化させた第二の問題は、国難とも言える非常時においてさえ機能しない、政治の脆弱性である。この問題は、従来から隠されていたわけでも、注目されていなかったわけでもない。2009年に歴史的な政権交代が実現した直後には、従来の自民党政権下で醸成されたさまざまな歪みと、経済、社会の閉塞状態から脱却するためには、政権与党としての経験を欠いた民主党が政策運営を担当することで、ある程度の混乱が生じても仕方がないという空気もあった。しかし、沖縄の基地移設の問題をめぐって対米関係を悪化させるなど、混乱は予想以上に拡大、長期化した。2010年夏の参院選では、民主党は敗退し、衆・参ねじれの状態が再来した。その結果、政策展開は一段と停滞し、政治に対する国民の不満、不信が蓄積されてきていた。
東日本大震災は、そうした政治情勢下で起きた。震災の直後から、原発事故への対応と被災地の復興がきわめて急を要する課題であることは、誰の目にも明らかであった。この緊急事態にあっては、与野党間と与党内の党派対立は一時的に棚上げされて、政治家と官庁が一致団結して事態に対処していくだろうと考えられた。ところが現実には、原発事故への対応も被災地の復興にも、政権、政府の動きは混乱を極め、復興に向けた「救国連立内閣」を組成する動きも頓挫した。
3.11後のこうした展開は、それまでも国民の間に溜まっていた、政治に対する不満、不信を一段と募らせ、特定の政権、政党のレベルを超えて、日本の政治システム全体に対する問題意識の高まりにもつながった。
変革への期待
震災からほぼ半年が過ぎた2011年8月、震災後の対応に批判が集まった菅首相が退陣し、替わって野田政権が成立、その後1年あまりにわたって政権を担った。この間には、懸案であった消費税率の引き上げには道筋を付けたものの、それと引き換えにする形で、2012年11月、衆議院解散を余儀なくされた。3.11を経て強まった変革への圧力が、ついに堰を切った形である。
ここで想定される変革とは、一義的には、政権を担う能力を欠いていた民主党政権の退陣であるが、より長い目で見ると、自民党の長期安定政権の体制から脱却するプロセスの第二段階と位置付けられる。異なるビジョンを持つさまざまな勢力が、自民党政権を打倒するという一点のみを求心力として集結し、結党された感が強かった民主党は、その唯一の共通目標を達成したことで、一つの役割を終えた。次の局面では、日本の将来についてのビジョンを共有する人々で構成された、本来的な意味での「政党」に脱皮していくことが期待される。政界の構図としては、当面は二大政党を軸として、そこに第三、第四の政党が絡む体制が想定される。
そこまでの変化は既に視界に入っている。しかし、その先には、常に政権交代の可能性があることを前提として、合意形成という政治システム本来の機能を果たせるような仕組み作りが求められる。とはいえ、そこまでの道筋は、現段階では見えてきていない。
未来への種子
3.11で明らかになったのは問題点ばかりではなかった。政府の対応がもたつく感にも、被災地の工場や商業施設は操業再開に向けてきわめて迅速に対応し、日本企業の底力を見せつけた。国内市場の停滞やコスト上昇、円高といった逆風下で精彩を欠いている日本企業であるが、再活性化の可能性を感じさせる展開であった。
また、被災地の人々やコミュニティの落ち着いた対応や、全国から集まったボランティアの活躍は、日本人が元来持っていた美点が、震災という事態を受けて顕在化したものと受け止められ、世界的に賞賛を集めた。そこでは「絆」という言葉が象徴とされたが、幅広い世代の多くの日本人が、被災地支援の経験とその場での連帯感を共有したことは、彼ら一人一人にとってはもちろん、日本の社会全体にとっても大きな意味のあることであったように思われる。
彼らの経験は、いわば日本の未来に向けて蒔かれた種子のようなものだ。それがどのように芽を出し、どのような実を結ぶかは未知数であるが、政治システムの変革も含めて、本当の意味で日本を変えていく仕事も、彼らの手に委ねることになるのかもしれない。3.11で日本はどう変わったのか。その答えを出せるのは、まだしばらく先のことになるだろう。
関連レポート
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(読売isペリジー 2011年10月発行号掲載)
■東日本大震災後、日本経済はこうなる
(チェーンストアエイジ 2011年6月1日号掲載)
■震災と向き合って−「復興後」をめぐる論点整理−
(三井物産戦略研究所WEBレポート 2011年4月15日アップ)
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