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三井物産戦略研究所WEBレポート
2011年6月14日アップ
「開国」の再定義−産業と文化のOutflowへの注目−

 3月の震災以降、国を挙げて復興を目指す努力が続けられ、その成果は着実に現れはじめている。しかしその陰では、日本の将来を左右する重要な議論が、一時的に停滞を余儀なくされている。「開国」をめぐる議論もその一つだ。6月までに答えを出すとされていたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)加盟については、結論は先送りされた。ただ、この問題に関しては、日本全体の将来像を視野に入れた議論が尽くされてきたとは言い難い。その意味で、判断の時期が遅れることは、必ずしも悲観すべきことではない。以下では、そうした認識に立って、明治以来の開国の歴史を振り返ることで、これからの方向性について考えてみたい。


明治と戦後の開国

 「開国」という表現には、工業製品や農産物などの商品の輸出入のみならず、株式等の金融資産や不動産の売買、旅行や移住といった人の移動、技術や文化を含む情報の流出入など、さまざまな次元での双方向の交流の拡大が含まれるが、そのいずれにもメリットとデメリットがある。下の表は、それを各次元のInflow、Outflowに分けて整理したものであるが、これらのうち、いずれが論点となるかは、時代によって変わってくる。

「開国」の影響 (○はメリット、×はデメリット)

 たとえば、近代日本の出発点となった明治の開国は、表面的には商品と人の流出入を可能にしたものであったが、最大の焦点は技術・文化のInflowにあった。明治の日本では、先進技術と強力な軍事力を有する欧米列強の帝国主義的な進出を阻止するために、国を開いて欧米の技術・文化を取り込もうという方針が採られた。商品と人の流出入は、技術と文化を導入するための手段となった。日本から欧米に渡った多くの留学生や、国外から招聘された技術者、教師によって、欧米の技術と文化が伝えられ、先進技術を体現した機械やプラントも次々と導入された。こうした国策は、欧米諸国への急速なキャッチアップという形で結実した。
 また、明治期に次ぐ「第二の開国」とも称される戦後の開国においては、本格的な民主主義の導入をはじめ、文化のInflowの側面が大きかったが、その後の日本経済の復興と成長においては、商品のFlowの拡大が果たした役割が大きかった。その際には、単に貿易を自由化し輸出入の拡大を促したのではなく、輸入する品目や数量を調整することで国内産業を保護・育成し、自動車や電気機械などの輸出産業の発展と、労働力の受け皿として重要であった農業の維持の両立が図られた。それによって、石油をはじめとする天然資源の輸入と、付加価値の高い機械や素材の輸出の拡大をテコにして経済を発展させる「貿易立国」のスタイルが確立され、1950年代から60年代にかけて、日本経済は驚異的な高度成長を実現した。


「第三の開国」の焦点は産業のOutflow

 日本の高度成長は、1970年代に入って、大きな曲がり角を迎えた。経済の成熟化に加えて、変動相場制導入後の円高の趨勢や、石油ショック以降の石油価格の上昇の影響も大きかった。さらに、冷戦が終結した1990年代になると、中国をはじめとする新興国の台頭が本格化し、日本の貿易立国の前提は大きく揺らいだ。その結果として生じたのが、日本企業の国外進出、国外移転といった産業のOutflowであった。国外への進出、移転は、日本企業にとっては合理的な選択と言えたが、日本経済全体にとっては、短期的には雇用の減少、長期的には国内の人的資源と技術基盤の劣化といった悪影響が懸念された。いわゆる「産業の空洞化」である。
 TPP加盟の問題を背景として高まってきた「第三の開国」論は、商品のFlowに関する制約を排除し、貿易を活発化させることで、経済の活力を高めることが主眼となっているが、それに加えて、企業の輸出環境を改善することで、産業のOutflowを抑止しようという狙いも示されている。しかし、人件費や地代など新興国とのコスト格差は依然として大きいし、企業努力でコストを削減しても円高によって相殺されてしまう構図も変わらない。加えて、国や地域によって異なる多様なニーズに対応するためという意味でも、成長の著しい新興国に拠点を配置していく意義は一段と大きくなってきている。それらを踏まえると、輸出環境の改善によって産業のOutflowを止められるとは考え難い。
 その現実をきちんと受け止めて、これからの開国の方向性を考えるうえでは、産業のOutflowを抑止しようという鎖国的な発想ではなく、そこから生じるメリットを経済全体として活用しつつ、デメリットを最小限に抑えていこうという姿勢が必要だ。産業のOutflowは、日本企業の事業機会の拡大と収益の安定化をもたらす。また、進出先の経済発展に貢献することは、世界における日本の立場の強化にもつながる。こうしたメリットは、日本経済全体にとっても、決して小さなものではない。
 TPP加盟の問題についても、こうした視点で捉えていく必要がある。TPPなど、経済活動に関する国際的なルールを設定する試みは、日本の産業のOutflowを抑止する効果は限定的でも、日本企業が海外で実力を発揮していくための環境整備として、重要な意味を持つ。とくに、現時点で最も有望な市場であると同時に、国際的なルールへの参加を忌避する傾向の強い中国を、各種の国際的な議論に巻き込んでいくうえで、米国が参加するTPPに日本が加わる意味は大きいだろう。


日本の存在感を左右する文化のOutflow

 これからの開国が商品や資産、人のFlowの制約排除にとどまるのであれば、それは戦後の開国の延長線に過ぎない。しかしそれが、産業のOutflowへの覚悟を前提としたものに進化すれば、それは「第三の開国」と呼ぶに値するものとなる。さらに、その展開は、文化のOutflowとの連動を通して、世界における日本の存在感の再構築に結びつく可能性もある。
 文化のOutflowは、ジョセフ・ナイが「ソフトパワー」という表現で指摘したように、それぞれの国の世界における存在感を高めるうえで、きわめて重要な意味を持つ。後発国である日本の場合には、強力なソフトパワーを有する米国やフランスなどとは比べるべくもないが、明治の開国で流出した浮世絵が印象派の画家たちに大きな影響を与えたり、新渡戸稲造の著書を通じて武士道の国としての認知を得たりと、一定のOutflowはあった。そして、貿易立国の展開にともなって、自動車や家電製品をはじめとする工業製品の品質の高さを通して、効率性や信頼性、省資源を追求する日本の物づくりの文化に対する世界的な評価が高まった。さらに近年では、世界の多くの国・地域で、日本発のアニメやゲーム、ファッション、食などを通じて、日本の文化が憧憬の対象となるところまできている。
 こうした文化のOutflowを、世界における日本の存在感の向上に結びつけるため、経産省の「クールジャパン戦略」など、各種の政策も打ち出されてきているが、産業のOutflowの本格化は、その追い風ともなり得る。それは、日本企業の海外進出が加速すれば、世界の人々の日本文化に対する認識を、その土台となっている日本人の価値観や倫理観、美意識といったレベルまで深めさせ、さらには、それを世界各地に根付かせることにつながる可能性もあるからだ。
 そして、文化のOutflowの拡充は、国内での日本文化の再評価と維持に貢献することも考えられる。アニメやゲーム、ファッションなどについては、世界では認められているものの日本国内では軽視される傾向がある。また、長期にわたる経済の低迷と、過度の収益至上主義、市場原理主義の浸透を背景に、物づくり文化の基盤である日本人の生真面目さ、謙虚さといった美点が減退してきた感もある。しかし、それらに対する国外での評価がさらに高まれば、国内においても、その価値が再認識され、維持していこうという気運が高まることも期待できる。
 とはいえ、それに先駆けて日本の文化自体が希薄化してしまえば、そのOutflowも、それによる存在感の確立も画餅に帰してしまうことは言うまでもない。これからの開国を、日本の存在感の確立に結び付けていくには、自らの文化の再評価、再構築と、Outflowの拡充とを並行して進めていくことが必要だ。それは容易なことではないが、これからの日本が採り得る有力な選択肢の一つであることは間違いないだろう。


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