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セールスノート 2007年6月号掲載
連載「暮らしから見る身近な“経済”」第1回
「成熟期」を迎えた日本経済

子供から大人へ

 今回は連載のスタートということで、まずは現在の日本経済の全体像を、大づかみに描き出してみたいと思います。
 今の日本の経済を考えるうえでは、「成熟」という概念がきわめて重要なカギとなります。経済を人や生き物になぞらえた表現ですが、要するに、日本経済は、子供の状態から大人の状態へと成熟してきたのだという考え方です。
 この考え方では、1950年代から60年代にかけて、安い円レートと手厚い産業政策に守られて経済が急成長を遂げた「高度成長期」が、日本経済の「子供時代」と位置付けられます。その後、70年代半ばのオイルショックを経て経済の成長ペースが緩やかになった80年代中頃までの「安定成長期」は、日本の産業、企業が筋肉質な国際競争力を身に付けていったという意味で、「少年時代」ということになります。
 また80年代後半に低金利と資産価格の高騰をテコにして無理に成長ペースを加速した「バブル期」と、その構図が崩壊して長期にわたって経済が低迷した90年代の「長期不況期」は、大人になる前に進むべき道を見失って遠回りしてしまった、日本経済の「青春時代」と呼べるでしょう。
 そして、21世紀に入って、バブル崩壊後の混乱をほぼ抜け出したことで、日本経済はいよいよ、成熟した「大人の時代」を迎えようとしているのです。


成熟の意味

 経済の成熟による具体的な変化としては、生産力の拡充にともなう経済的な「豊かさ」の実現と、経済成長のペースの鈍化の二つが軸になります。
 経済が成熟するプロセスでは、さまざまな産業が発展することで、商品やサービスの生産が増加して経済が成長し、人々の生活が豊かになるという望ましい変化が生じます。ですが、そうした変化が進むにつれて、経済が成長するペースは次第に鈍化していきます。人が大人になると、背が伸びなくなるのと同じです。
 かつて、人々が貧しかった時代には、衣・食・住をはじめとするさまざまな分野で、「これがないと生きていけない」というような切実なニーズや、そこまでではないにしても、「ぜひ欲しい」とか「すごく欲しい」といった明確な欲求の対象が存在していました。そういうニーズや欲求に対応する商品は、作れば売れる状況だったため、経済全体としても、ハイペースで成長していくことが可能でした。そして、経済成長の結果、人々は豊かになり、欲しかったものを次々と獲得し、欲求を満たしていったのです。
 ですが、切実な欲求が満たされてしまったことで、それに追加して何かを手に入れようという気持ちは、次第に切実さを失っていきました。「あった方がいい」とか「ちょっと欲しいかも」といった具合です。そのため、企業の側では、多くの人々が欲しがる新しい商品やサービスを開発しようという努力を続けているのですが、それがなかなか実を結ばなくなってきています。その結果、経済全体の成長ペースが低下していくわけです。
 経済の成熟によって、人々の暮らしは豊かになりましたが、成長ペースが鈍化したことで、企業にとっては厳しい状況が生じてきているのです。言ってみれば、「暮らしは豊かになったけれども、仕事はたいへん」という構図です。


2%成長の時代

 そうした流れを、統計データで確かめておきましょう。下の図は、横軸に実質GDP(国内総生産)の成長率、縦軸に2006年の貨幣価値に換算した一人あたり実質GDPをとって、1960年から2006年までの各年のデータ(成長率はそれぞれの年までの4年間の平均値)をプロットしたグラフです。

日本経済の「成熟」の軌跡
  • 出所:内閣府「国民経済計算年報」等より作成

 GDPというのは国内で生産された商品やサービスの総額で、その一人あたりの額は、私たちの経済的な「豊かさ」の指標と位置付けられます。この図のなかでの日本経済は、図の右下方から左上方へと移動してきていますが、それは、「貧しいけれども高成長」の状態から「豊かだけれども低成長」の状態へと変化してきたことを意味しています。
 日本経済の「子供時代=高度成長期」には、その末期でも一人あたりGDPは200万円と低水準でしたが、GDPの成長ペースは年間ほぼ10%に達していました。それに続く「少年時代=安定成長期」には、一人あたりGDPは300万円に拡大していきますが、その間の経済成長は年4%程度にとどまりました。その後、「青春時代=バブル期・長期不況期」の迷走を抜け出した現在は、一人あたりGDPが400万円に迫る一方で、成長ペースは2%程度という、豊かだけれども低成長の「成熟期」に入ってきているのです。


成熟期の迎え方

 経済が「成熟期」という新しい段階を迎えると、そのなかで活動している私たち、個人も企業も、その行動パターンや価値基準、他者との関係など、あらゆる面での適応的な変化が必要になります。そこでのポイントは、すでに相当高い水準にある経済的、物質的な「豊かさ」を、いかに効果的に人々の幸せにつないでいくかという点と、低成長という苦しい状況にどう対応していくかという点の二つです。
 ここ数年、日本のさまざまな領域で、さまざまな変化が生じていますが、その多くは「成熟期」への対応と位置付けることができます。とくに動きが目立つのが、成長鈍化の影響を直接受ける、企業の世界です。成長の鈍化した日本の国内市場に代えて、急成長を続けている中国をはじめとする海外の市場での事業展開を活発化させたり、新しい成長戦略として企業合併や企業買収を行う企業が増えたりといった動きが、その典型です。
 一方、個人の方にも、まだ一部ではありますが、新しい時代を迎えるための動きが見られます。例えば、商品やサービスを単に購入するだけでは得られない満足感や充実感を得るために、自分でいろいろと勉強して、人生を楽しむためのテクニックや知識、教養を身に付けようとする人が増えてきています。また、会社や家庭以外のコミュニティを積極的に形成する動きも広がりを見せてきています。さらには、これまでの経済発展の過程で犠牲にされがちであった、自然環境や景観を維持、回復させようとする動きも目立ってきています。
 これらの変化は、「経済の成熟」にあわせた「社会の成熟」と位置付けられます。再び人の成熟にたとえると、体が成熟するのにあわせて、大人としての知恵や心配り、成熟した魅力を身に付けて、本当の大人になっていくための変化ということになるでしょう。この連載では、日本経済のそうした変化についても、一つ一つチェックしていきたいと考えています。


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連載「暮らしから見る身近な“経済”」

第1回 「成熟期」を迎えた日本経済(2007年6月号)
第2回 「豊かさ」の方向性(2007年7月号)
第3回 商業施設の新潮流(2007年8月号)
第4回 パワーアップする消費者(2007年9月号)
第5回 感動消費のマーケット(2007年10月号)


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