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セールスノート 2007年10月号掲載
連載「暮らしから見る身近な“経済”」第5回
感動消費のマーケット

 この連載の第2回には、現在の日本では、「心」の領域の「豊かさ」を志向する流れが強まっていると書きました。今回は、そのなかでも最もホットなテーマとなっている「感動」のマーケットについて考えてみたいと思います。


広がる感動消費

 2001年5月、就任したばかりだった小泉首相が、大相撲夏場所の表彰式で、優勝した横綱・貴乃花に賜杯を渡す際に「感動した!」と叫んだ場面は、多くの人の記憶に残っているのではないでしょうか。確かに、前日の取組みで膝に重傷を負いながら、優勝決定戦で武蔵丸を破って優勝を決めた貴乃花が取組み後に見せた鬼の形相には、鳥肌が立つような思いがしましたし、その印象をストレートに言葉にした小泉首相のアドリブも、大いに印象に残りました。改めて振り返ってみると、この出来事は、感動消費の市場が浮かび上がってくる予兆であったように思えます。
 「感動」が、日本人の「豊かさ」と消費市場の新たな主役となることが鮮明になってきたのは、小泉政権の下で長引く不況を抜け出した04年頃のことでした。それまでの不況期には、先行きへの不安感や閉塞感を映して、「癒し」が大きなキーワードとなっていましたが、経済が明確に上向いてきたことで、「感動」が新たな主役として浮上してきたのです。
 「感動した!」と叫んだ小泉首相が政権を担当していた間に、日本経済は回復への道を進みはじめたのですが、そのスタートの年ともいえる02年には、日韓共同開催によるサッカーのワールドカップで、日本中が盛り上がりました。そして、04年には、「セカチュウ(世界の中心で愛を叫ぶ)」や「冬ソナ(冬のソナタ)」のブーム、さらにはアテネ・オリンピックでの日本選手の大活躍と、多くの日本人が感動を満喫しました。
 その後も、スポーツのイベントや映画、ドラマ、音楽、ゲーム、旅行など、感動を生み出す商品やサービス、情報の市場は活況を維持し、現在の日本の消費市場において最もホットな分野になってきています。
 ただ、感動消費の市場規模を特定することは容易ではありません。というのは、感動がカギを握る市場は、消費のあらゆる分野に及んでいるからです。例えば、日常的な消費活動においても、お菓子や飲料などの娯楽的な要素の強い食品や雑貨などでは、「こんなの見たことない」とか「出会えてラッキー」といった、ささやかな感動が購入を促すカギになるケースが増えています。企業同士、店舗同士の競争が激化しているコンビニエンスストアやドラッグストアでは、そうした「プチ感動」をどれだけ提供できるかが競争力の重要な要素になっています。
 また、薄型大画面テレビやDVDレコーダー、デジタルカメラなどのデジタル家電のブームも、迫力のある画面で見ることで感動をより大きなものにしようとか、記録に残して何度も楽しもうといった、感動に対する欲求の高まりが背景となっています。
 こうした部分まで含めると、感動消費の市場は、趣味や娯楽の分野はもちろん、生活の基本的な分野まで、きわめて広範囲に及んでいるということになります。これは言い換えれば、消費市場の一部が感動消費の分野であるというよりも、消費市場全体が感動消費化してきているということもできるでしょう。


主役は消費者

 近年の感動消費の市場では、感動を得られるイベントやコンテンツが企業などから提供されるのを漫然と待つのではなく、消費者自らが、感動を最大化するための動きを活発化させています。感動した映画やイベントのテーマ音楽を繰り返し聴いたり、映画やドラマの舞台となった場所を旅してみたりといった行動が典型ですが、薄型大画面テレビやDVDレコーダーのヒットも、前に述べた、消費者が感動を増幅する目的で、そうした機材を購入しているためだと考えられます。
 また、多くの人々と感動を共有することで、それを増幅しあうスタイルも目立ってきています。独りテレビで見るよりも、会場に行ってみんなで一緒に歌ったり踊ったり応援したりする方が、より大きな感動を得られるものです。スポーツ中継を大画面で流すスポーツバーも流行っていますし、試合のないスタジアムの巨大画面を使って大勢でテレビ観戦するパブリック・ビューイングの試みも一般化してきています。
 こうした感動消費の盛り上がりに対しては、批判的な見方もあります。企業が金儲けのために提供するイベントや物語に感動するのは、企業にだまされているとは言わないまでも、うまく乗せられて、金儲けのタネにされてしまっているというわけです。
 ですが、近年の感動消費の市場では、企業の活動とは別の次元での、消費者自身の主体的な活動も目立っています。たとえば、イベントの前後に、周囲の人々と、あるいはインターネットの掲示板サイトや個人のブログを通じて、そのイベントに関するそれぞれの思いを語りあうことで感動を共有し、それによって感動を増幅する動きが広がっています。オリンピックやワールドカップで、日本選手、日本チームを応援する際には、日本中で感動を増幅しあうことになるわけです。
 また、ただ単に映画や音楽を鑑賞したり、スポーツを観戦したりするのではなく、それにまつわる情報を収集して理解を深めることで、より大きな感動を得ようとする方向性も一般化してきています。時代を超えて人々を感動させてきた、古典とかクラシックと呼ばれるカテゴリーの映画、小説、音楽を、最初はとっつきにくくても、勉強して受け止めてみようという動きも広がっています。
 こう見てくると、感動消費の市場では、企業をはじめとする生産者が感動を提供するだけではなく、消費者自らの活動、あるいは消費者同士の関係のなかから、感動を生み出したり増幅させたりしている構図が浮き彫りになってくるでしょう。


国富としての文化

 このような展開は、個々の消費者のレベルでは、前回取り上げた、消費者の「享受力」を発揮したり、より強化したりする動きと位置付けられます。
 一般に、現在の暮らしのためにお金を使うことを「消費」、将来の役に立てるためにお金を使うことを「投資」と呼びます。「享受力」を強化するために、同好の士との交流をはじめたり、知識を仕込んだり勉強したりといった活動は、「消費」ではあるものの、「投資」の性格がきわめて強い行為と位置付けられます。その成果として高められた「享受力」は、消費者一人一人にとって、人生を豊かなものにするのに役立つ財産となるわけです。
 そして、個人の「享受力」の、社会としての総体は、一国の文化の重要な構成要素でもあります。誰もが「享受力」を高め、社会としての文化水準が向上すれば、個々の消費者にとっては、同好の士と感動を共有し、それを増幅させる機会が増えることになります。感動消費のマーケットでは、個々人の「享受力」だけでなく、社会全体としての文化が、重要な役割を果たしているのです。
 その意味で、消費者の「享受力」の総体としての一国の文化は、生産設備や住宅、有形・無形の各種インフラと同様、国民の「豊かさ」の源泉となる貴重な国富でもあるのです。


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連載「暮らしから見る身近な“経済”」

第1回 「成熟期」を迎えた日本経済(2007年6月号)
第2回 「豊かさ」の方向性(2007年7月号)
第3回 商業施設の新潮流(2007年8月号)
第4回 パワーアップする消費者(2007年9月号)
第5回 感動消費のマーケット(2007年10月号)


関連レポート

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■感動消費の市場構造−尽きない欲求と広がるビジネスチャンス−
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