感動を売るビジネス 
 
 振り返るには少し早いが、2004年という年は、景気に明るさが増すなかで、人々の心を揺さぶる「物語」が相次いでヒットした年だったということになりそうだ。 
 春先には高知競馬の競走馬「ハルウララ」の、負けても負けても走り続ける姿に注目が集まった。その後は、「セカチュウ(世界の中心で愛を叫ぶ)」や「冬ソナ(冬のソナタ)」のブームがあり、夏にはアテネ・オリンピックでの日本選手の大活躍で、日本中が盛り上がった。 
 この一連のブームで、現代の日本の消費者が、いかに物語と感動を求めているかが、改めて浮き彫りになった。一般的な“モノ”の市場が飽和に向かうなか、多くの企業が、物語への旺盛な需要に注目している。 
 人々に感動をもたらす物語は、本、映画、テレビ、新聞、雑誌といった複数のメディアで発信され、それぞれにビジネスを生んでいる。現実のイベントであるスポーツや格闘技の大会でも、選手たちのそれまでのストーリーやライバル関係があたかも物語のように伝えられ、イベントの感動を増幅させる仕掛けが用意される。人々の感動が大きければ大きいほど、そこから生まれるビジネスも大きくなるからだ。 
 それらの物語に関係するグッズが売り出されたり、冬ソナのブームでは、ドラマの舞台を訪ねる韓国ツアーも人気になった。この種のビジネスモデルは、映画やドラマなどのコンテンツビジネス、さらにはオリンピックやワールドカップ、格闘技、コンサートといったイベントビジネスでも、既に常道となっている。 
 
 
情報発信の技法としての物語 
 
 物語に対する消費者の欲求を企業が活用する手段としては、物語や関連グッズの販売だけではなく、企業からの情報発信に物語の様式を用いる技法にも注目しておく必要がある。商品の来歴、機能、品質といった情報を、ただ正確に分かりやすく伝えるのではなく、人々の心に触れる物語の形に構成して発信することで、商品やブランドの魅力をより鮮明に印象付ける技法だ。 
 エルメスやヴィトン、バーバリーなど、いわゆる高級ブランドはいずれも、創業者自身の伝記や技術開発にまつわる逸話、セレブリティーとのエピソードなどが物語として成立しており、それがブランドイメージの確立に決定的な役割を担っている。 
 身近なところでは、スーパーの青果売り場などで見られる「○○さんの畑の」といったPOP広告の例がある。これだけでは、○○さんがどんなこだわりを持ってその野菜を育てているかとか、そのスーパーの仕入れ担当者が何を求めて○○さんと出会ったのかといった物語の中身までは伝わらないが、単に「△△県産」と表示するのに比べて、顧客の想像力を喚起する物語的な技法と言える。 
 
 
一人一人の物語 
 
 消費者の方も、物語をただ受け取っているばかりではない。近年、日本の消費者は、日々の生活のなかに自身を主人公とする物語を想定することで、より大きな満足を得る方法を身につけてきた。センスの良いキャリアウーマン、賢いお母さん、デキるビジネスマン、高感度の自由人など、主人公である自分自身のキャラクターを設定して、それにふさわしいファッションやインテリア、食べ物、遊び場所を選んで、日々の生活を演出しようという発想だ。 
 そこでは企業には、大道具や小道具、舞台装置を提供することで消費者の物語を具現化する裏方としての役割が期待される。現在、衣・食・住・遊のいずれの領域でも、消費者を惹きつけることに成功している企業の多くに共通するのは、消費者が思い描く自らの物語にふさわしい商品やサービス、空間、時間を提供できているという点だ。 
 近年の都心部の再開発で生まれたショッピングゾーンや、そこに組み込まれた店舗にも、効率性以上にデザイン性と快適性に気を配り、そこでの買い物を、顧客の物語にふさわしい舞台として提案しようという意図が見て取れる。この動きは、これから開発される商業施設や店舗のスタイルに、影響を広げていくものと考えられる。 
 人々が自分の物語で設定する自身のキャラクターは、自身の実態ではなく、どうなりたいか、どうありたいかという理想像である方が一般的だ。商品や店舗の開発にあたっては、消費者の実態だけではなく、彼らの理想像を把握することが重要になる。人々の理想像は、時代のトレンドを反映して、ある程度の普遍性を有していることが想定される。その普遍性を抽出することが、マーケティングの第一歩となる。 
 
 
背景には人々の情報力の向上 
 
 人々が感動や物語を求めるのは今にはじまったことではないが、経済が成熟し、人々の“モノ”へのニーズが満たされたことで、感動へのニーズが余計にはっきりと意識されてきている面はあるだろう。 
 そして、インターネットの普及によって人々の情報力が飛躍的に高まったことの影響も大きそうだ。WEB上に無数に設けられた掲示板では、映画やイベント、スポーツ競技などについて意見や感想を述べ合って、お互いの感動を盛り上げ合っていく図式が成立している。 
 また、自分でホームページを立ち上げれば、誰でも簡単に自身の物語を発信することができる。それによって、自分自身や知り合いだけでなく、不特定多数のホームページ閲覧者をも自身の物語の観客として想定できるようになっている。 
 “モノ”へのニーズの飽和も、人々の情報力の向上も、今後さらに進行することが予想される。物語の時代は、むしろこれからが本番と言えるだろう。 
 
 
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