中国などの新興国の回復が鮮明になってきている一方で、先進国では、財政赤字の膨張に加えて、米国や欧州諸国は依然として高水準にある失業の問題を抱えているし、日本はデフレの影響に苦しんでいる。米・欧の高失業も日本のデフレも、ともに低賃金を武器とする中国をはじめとした新興工業国の台頭と、自国経済の停滞を背景とする需給ギャップ拡大の帰結であり、形こそ違うものの、同じ要因から生じた難題と位置付けることができる。しかし、日本のデフレに関しては、消費の現場の動きを個別に見ていくと、単に全般的な需給ギャップの拡大だけを反映したものではなく、景気がある程度上向いたとしても、容易には脱却できない可能性がありそうだ。
デフレの背景には消費のリストラ
日本でデフレが問題視されるようになったのは、バブル崩壊の後遺症が一気に顕在化した1990年代終盤のことであったが、それに先行する1990年代半ばには、商品の流通や販売のコストを削減することで小売価格を引き下げる動きが、さまざまな商品分野に広がった。「価格破壊」とか「流通革新」と呼ばれた現象である。それに対して、2000年代に入ってから目立ってきたのは、商品やサービス自体の機能、付加価値をカットすることで低価格を実現しようという動きである。
その背景には、経済の停滞が長期化し、所得は頭打ち、雇用の先行きにも不安が生じるという環境下で、個々の消費者が、自らの消費活動に内在する無駄や過剰な部分を削ぎ落とすリストラを進めはじめたという変化がある。消費のリストラに際しては、必要な機能やサービスが含まれていれば、「低機能でいい」「普及品でいい」「セルフサービスでいい」、あるいは「ノーブランドでいい」といった割り切った考え方に立った、いわば「でいい」型の消費行動が広がった。さらに、新調しなくても「手持ちのものでいい」とか、買わなくても「レンタルでいい」といった考えで、購買自体を抑制する動きも広がっている。
消費市場における目立った事例を拾っていくと、「でいい」消費の火付け役とも言えるユニクロの躍進や、発泡酒、第三のビールのシェア拡大、2008年に登場した際には「5万円パソコン」と呼ばれ近時では3万円を切る商品も登場しているネットブックのヒット、10分・1,000円の理髪チェーン「QBハウス」の急成長、ビジネス街でのワンコインランチの移動販売の増加など、その潮流はきわめて幅広い領域に及んでいることが確かめられる。
長引く懸念
消費リストラにともなう低価格の商品・サービスへのシフトは、既存商品の価格の動きを継続的に追って作成される物価指数統計のうえでは、直接的な物価の押し下げ要因とはならない。しかし、実質および名目の消費額の縮小につながることに加え、既存の商品・サービスの対抗値下げを促すことで間接的に物価指数の下落をもたらすため、広義にはデフレ現象の一部と捉えることができる。物価指数統計については、低価格商品・サービスへのシフトやディスカウンターの台頭を反映しないため、デフレのインパクトを捉えきれていないとの見方もある。そこで、ここでは、デフレの状況を、実質消費額と物価の両方の変化から見てみよう。
下図は、2000年から2008年までの個人消費(GDPベース)の実質額とデフレーター(物価の指標)の変動を分野別に表したものである。この図によると、消費全体では、8年間の累計で、実質15.4%増、物価は10.5%の低下となっている。
これを分野別に見ると、価格の低下が著しいのは「家具・家庭用機器・家事サービス」の▲31.3%と「娯楽・レジャー・文化」の▲47.4%で、この2分野が価格下落という意味でのデフレの主役と言える。これは、それぞれに含まれる家電製品、AV製品、パソコン等の技術進歩を主因とする価格下落(性能の向上分も価格の下落としてカウントされている)を反映したものと考えられる。そこには、メーカー間、小売企業間の消耗戦的な値引きによる価格低下も含まれる可能性はあるが、実質消費額が大幅に増加していることもあり、技術進歩による価格低下については、否定的に捉える必要はないだろう。
一方、実質消費額を見ると、未充足なニーズが残る住関連や医療、娯楽が増加を続けているのに対して、「食料・非アルコール飲料」「アルコール飲料・たばこ」「被服・履物」がいずれも減少している。そのうち、嗜好品である「アルコール飲料・たばこ」に関しては、増税の影響で価格が上昇しており、それが実質消費額の減少をもたらしている面もある。それに対して、「食料・非アルコール飲料」と「被服・履物」では、価格と実質消費額のいずれもがマイナスとなっている。このことからは、不要不急の選択的消費と位置付けられる娯楽やレジャーよりも、むしろ消費生活の最も基礎的な領域である衣・食の分野において、消費リストラにともなうデフレが進行していることがうかがえる。それは、消費リストラの余地はまだ大きいということだ。
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分野別に見た個人消費の動向(2000年から08年までの増減率) |
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- 出所:国民経済計算年報より作成
- ( )内は2008年の名目値
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消費リストラの持続は、消費市場の規模を縮小させ、それが生産活動、さらには雇用、賃金の減退につながり、さらなる消費の縮小をもたらすという形で、負のスパイラルを生じさせる可能性がある(下図)。その意味で、経済全体、あるいは産業の視点からは好ましくない動きと言える。しかし個々の消費者にとっては、消費リストラは積み重なっていた無駄を省く合理的な行動であり、それ自体を政策的に抑制することは難しい。したがって、政策のスタンスとしては、消費リストラやそれを背景とするデフレ現象の抑制というよりは、それらにともなう市場の縮小を相殺するような需要刺激、需要創出によって、雇用や賃金への悪影響を抑制することをターゲットにしていくべきだと考えられる。
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消費リストラとデフレ・スパイラルの構図 |
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デフレ下の企業戦略
消費リストラの動きは、契機が経済の停滞や不況の深刻化であったとはいえ、一度はじまってしまうと、景気がある程度回復したとしても、十分に無駄を削減し、リストラが一巡するまでは持続する可能性が高い。企業としては、厳しい状況が続くことを覚悟しておく必要があるだろう。ただ、消費リストラの過程では、需給ギャップの拡大にともなう消耗戦的なデフレのケースと違って、消費者の「でいい」の感覚を上手く捉えることで企業として一気に飛躍するチャンスもある。前述のユニクロやQBハウスはその典型だが、そうした新興勢力が次々と台頭してくるところに、デフレ下での産業のダイナミズムを見て取ることができる。これからの時代に企業が新たな事業展開を考えるうえでは、現行の商品・サービスから何を削れば消費者を惹きつけられるかという「引き算」の発想が有効になるだろう。そこで必要とされるのは、小売企業のPB(プライベート・ブランド)のような流通革新型の低価格商品ではなく、5万円パソコンや1,000円理髪のように、商品やサービス自体のアイデンティティを根本的に書き換えるような、ドラスティックなアプローチだ。
その一方で、顧客にあくまでも「これがいい」と感じさせようという、いわゆる差別化の方向性もある。これは、消費リストラが進むなかでは容易なことではないが、発泡酒や第三のビールが当たり前になるなかでのプレミアム・ビールのヒットの例もある。「でいい」の波を最も活かしたユニクロも、ヒートテックのヒットに見られるように、消費者が本当に欲している機能や価値を加えることで、「でいい」という消極的な承認だけでなく、「がいい」という積極的な欲求を捉えて新たな需要を創出することに成功している。こうした「足し算」の発想は、デフレ下で既存の事業を維持、発展させていくうえでは、きわめて重要かつ正当な考え方だ。消費者の側にも、消費生活全体としてはリストラを進めながらも、生活の一部では「ちょっとした贅沢」を楽しもうというムードが広がっている。これらはいずれも、脱リストラ、脱デフレに向けた萌芽と言えるだろう。
引き算であれ足し算であれ、消費者の本質的なニーズを探り、それに応えていくことは、企業活動における正攻法である。デフレ下のダイナミズムに乗る、脱デフレを目指す、そのいずれであっても、経済が停滞する厳しい環境下にある日本の産業、企業には、消費リストラにともなうデフレという現実に正面から向き合うことが求められている。
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