2008年、日本経済はいささか湿り気味のスタートを切った。米国のサブプライムローン問題が世界中の金融市場、金融産業を揺さぶるなか、日本経済の先行きにも不透明感が高まり、日経平均株価は07年末の15,307円から、1月の下旬には、一時13,000円を割り込み12,500円台にまで下落した。しかし少し長い目で見ると、日本の産業、企業の発展の方向性は、次第に明確になってきている。
グローバル展開の活発化
近年の日本企業の活動で最も成果を上げているのは、国外市場を舞台とするグローバル展開の方向性であろう。今回の景気回復局面では、中核産業である自動車や電気機械をはじめとする製造業の大企業が、円安にも支えられて輸出や海外事業からの収益を拡大させたことが最大のドライバーとなった。食品や小売、サービスなど比較的ドメスティックな性格の強い産業でも、上位企業は中国をはじめとする新興国への進出を本格化させてきている。
日本に限らず、先進国の企業が新興国への輸出や事業進出によって新たな活力を獲得すると同時に、新興国の側は先進国企業の投資や事業活動を経済発展のきっかけとして豊かさを獲得するという、活力と豊かさの補完関係は、現代の世界経済の発展の基調となるパターンである(The World Compass 2006年2月号掲載「『豊かさ』と『活力』と−成熟化経済と人口大国の行方−」参照)。
したがって、新興国の成長市場では、多くの先進国企業が参戦するきわめて厳しい競争が常態となる。さらに、経済が発展してくれば、サービス産業を中心に、新興国の企業も土地勘のある自国市場での事業を本格化させてくる。グローバル展開を成功させるためには、それらとの競争に打ち勝つことが大前提となる。
グローバルな競争で優位に立っている日本企業としては、自動車販売台数で世界トップのGMに肩を並べたトヨタや、インド市場で存在感を高めてきたスズキ、ゲーム機市場で首位に立っている任天堂などの事例が想起される。また、自動車と並ぶもう一つの中核産業である電気機械は、薄型大画面テレビなどのデジタル家電で競争力を発揮してきている。これらの産業、企業にしても依然として厳しい競争環境にあることに変わりはないが、こうしたグローバル展開が日本企業の発展の方向性の一つであることは間違いないだろう。
ブレークスルーと模索による市場創出
日本企業の発展の方向性としては、国内市場の深掘りを目指すことも考えられる。ただ、既存の市場においては、多くのニーズがほぼ充足しているうえに人口が減少に向かうこともあり、企業が成長するには競合他社の市場を奪っていく以外に道はなくなっている。いわゆるゼロサム、マイナスサムの環境であり、そこで十分なペースで成長できるのは、よほど競争力の強いごく一握りの有力上位企業に限られてくるだろう。
多くの企業の場合、発展と成長を求めるためには、新しい商品、サービスを投入して新しい市場を創出していくことが必要になる。そのためのアプローチとしては、大きく分けて二つの方向性が考えられる。
一つは、焦点を絞ったブレークスルーによる市場創出である。経済が発展した現在でも、明確に認識されていながら何らかの制約があるために充足されてないニーズが残っている。その制約を技術的、あるいは制度的なブレークスルーによって乗り越えることができれば、そこには新たな市場が創出される。そうした方向性は、ニーズの存在が明確な「健康」や「安全」「環境」といった領域が主要な舞台となるだろう。また、利便性の高い交通システムや都市の景観、充実した医療サービスなど、一人一人の消費活動では充足されない「パブリックニーズ」も、主として制度面でのブレークスルーによって需要として顕在化させていくことが期待されている。
もう一つは、企業の側からさまざまな商品、サービスを提案することで、消費者自身も明確には認識していない潜在的なニーズを模索していくアプローチである。消費者が求めている「感動」や「楽しさ」「癒し」など、心の領域のニーズは、多くの場合きわめて漠然としている。そのため、心の領域で新たな市場を開拓するには、ファッション関連でも食品でも、あるいは音楽や映像、イベントでも、実際にさまざまな商品やサービス、情報を提示して、消費者の反応を探っていくアプローチに頼ることになる。その傾向は、消費者のニーズが高度化すればするほど強まってくる。
集中と拡散の同時進行
改めて整理してみると、これからの日本企業の活動は、成熟した市場でのシェアの奪い合いを基調としながらも、産業全体、経済全体としての発展と成長は、グローバル展開、ブレークスルーへの挑戦、潜在的なニーズの模索、という三つの方向性で進んでいくことが予想される(下図)。これらの方向への発展の過程で、日本の産業構造は、大きく変化していくことになるだろう。
日本の産業・企業の三つの方向性 |
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そこでのトレンドとしては、第一に上位企業への集中が挙げられる。グローバル競争を勝ち抜けるのは、その事業において、何らかの大きな優位性を持つ有力企業に限られる。そこでは、それがすべてではないにしても、コスト競争力やリスクを取るための財務的な体力などの点で、企業規模が大きな武器となる。それは、国内市場でのシェア争いにおいても同様だ。そのため、多くの市場では上位企業が下位企業を駆逐するか吸収する形で、上位集中のトレンドが強まってくる。直近の事例では、市場の成長が続いている薄型大画面テレビの主要部品である液晶パネル、プラズマパネルの生産における企業間の事業集約などもその文脈だ。
また、そうしたなかでは、日本企業が国外企業を吸収するケースや、逆に日本企業が国外の企業に吸収されるケースも増えていくだろう。2006年頃から、国内外のファンドや大手企業が企業買収を積極化させたのも、上位集中のトレンドを見越してのことであった。そうした動きは、07年後半にはサブプライムローンの問題に端を発した金融市場の混乱にともなって鈍化しているが、上位集中に向かわせる時代の圧力が衰えているわけではない。混乱が収束に向かえば、企業買収の動きは再び活発化してくるだろう。
第二には、上位集中とは逆に、小企業や個人企業、さらには小規模なNPOなどによるマイクロビジネスが無数に登場してくるトレンドも予想される。ブレークスルーへの挑戦や、潜在的なニーズの模索においては、機動力のある小規模なベンチャー企業、あるいは熱意と企業マインドを持った個人にも大いにチャンスがある。また、パブリックニーズへの対応では、小規模なNPOが事業主体となるケースも増えていくことが期待される。人々の生き方、働き方が多様化する流れとも重なり、そうしたさまざまな主体によるマイクロビジネスの叢生と、それにともなう生産活動の拡散は、これからの日本の産業における大きなトレンドとなるだろう。
そのなかからは劇的な成功を収め、トヨタやソニーのように、日本を代表する企業となりグローバル展開に向かうケースも出てくるだろう。成功しつつあるマイクロビジネスを内外の上位企業が吸収する形で、上位集中のトレンドとオーバーラップするケースもありそうだ。また、マイクロビジネスの活動をサポートする「ビジネスインフラ」の事業から、グーグルのように巨大な企業に成長するケースも想定できる。
期待される生産活動の効率化と新たな需要の創出
こうした上位集中とマイクロビジネスの叢生という二つのトレンドが重なりあうことで、日本の産業構造は変容を遂げていくことになる。それは、集中と拡散が同時進行するイメージだ(下図)。その結果、一握りの有力な上位企業が既存の市場を制してグローバル展開を目指す一方で、無数のマイクロビジネスが新たな市場の創出を目指すという将来像が浮かび上がってくる。
日本産業の構造変化のイメージ |
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- 個々の企業を左から規模の順に並べ、それぞれの企業規模をプロットしたイメージ図
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上位企業への集中は、労働力や資本設備といった経営資源が経営力の高い有力企業に集約されるということでもあり、基本的には生産活動の効率化につながる。一方、マイクロビジネスの叢生は、発想の異なる多彩な才能が高いモティベーションを持ってそれぞれに工夫を凝らして市場を開拓することになり、新たな需要の創出を加速させる効果が期待できる。生産の効率化と需要の創出は、経済の発展の両輪であり、そのいずれが欠けても経済は発展しない。そう考えると、効率化と需要創出の加速につながる集中と拡散の同時進行は、成熟化した日本の経済全体が活力を取り戻し、発展していく方向性でもあるわけだ。
かつての日本では、企業買収や個人の起業を抑制する仕組みや風潮が強かったが、近年では、それらは払拭されてきている。今後も、規制や税制の改革、さらには個人やNPOの事業活動をサポートする制度の拡充によって、集中と拡散のトレンドが加速することは十分期待できる。2008年初の時点では先行きに不透明感の色濃い日本経済ではあるが、その将来は決して暗くはない。
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