ここは、経済に関係するいろいろな話題を、本当の基本のところから考え直してみようというコーナーです。そうすることで、難しそうに思えたものがすっきり理解できたり、当たり前だと思っていたことが実は意外とそうでもないことに気付いたりということも多いと思います。第1回となる今回は、日本経済の現状について、ベースとなる考え方を整理してみましょう。
健康だけど元気じゃない
経済の状態というと、一つには短期的に調子が良いか悪いかという、いわゆる「景気」の視点があります。人の身体にたとえると、元気かどうか、という話です。人も経済も、元気な時とそうでない時がありますし、病気もします。日本経済にとってはバブル崩壊後、とくに大手の金融機関が立て続けに潰れた1997年から98年頃がそうでした。その病気がほぼ完全に治ったのは2004年くらいで、今の日本経済はかなり調子を取り戻しています。ですが、病気になる前の状態に戻ったのかというと、そうではありません。政府や専門家が「回復している」と言っていても、多くの人はそれを実感できていない状態が続いていました。
そのあたりの理由は、経済の状態を考えるもう一つの視点、経済の「発展段階」にヒントがあります。これも人の身体にたとえてみると、その経済が、まだ子供なのか、もう大人になっているのか、といった話です。経済が子供のうちは、普通にしていれば大きくなっていきますし、体力や知力も強くなっていくものです。ですが、大人になって、ある程度大きく強くなってしまうと、そこからさらに大きくなったり強くなったりするのは簡単ではありません。
経済もそれとよく似ています。人々の所得水準や生活水準が低い間は、衣・食・住をはじめとするさまざまな分野で、「これがないと生きていけない」というような切実なニーズや、そこまでではないにしても、「ぜひ欲しい」とか「すごく欲しい」といった明確な欲求がたくさんあるものです。そういう欲求に対応する商品は、作れば売れる状態で、経済全体としても、ハイペースで成長していくことが可能です。しかし、経済成長の結果、人々が豊かになり、欲しかったものを次々と獲得していくと、それに追加して何かを手に入れようという気持ちは、次第に切実さを失っていきます。「あった方がいい」とか「ちょっと欲しいかも」といった程度になってしまうわけです。そのため、企業の側では、多くの人々が欲しがる新しい商品やサービスを開発しようという努力を続けても、それがなかなか実を結ばなくなっていきます。その結果、経済全体の成長ペースが下がっていくわけです。
一般に、経済成長のペースが速いと、多くの企業が売り上げを伸ばしやすく、誰もが経済は元気だと感じることができます。ですが、経済が成長してきた結果として成長ペースが鈍ってくると、それは別に経済が病気になっているわけではないのに、多くの人が経済は調子が悪いと感じてしまいがちになります。とくに、高成長の時代の記憶が残っている時が、そうです。健康ではあるんだけれど、年齢のせいでいまひとつ元気さを感じられない。現在の日本経済は、そうした状況にあるのです。
大人になった日本経済
そのあたり、統計データを使って、実際の日本経済の歴史を振り返ってみましょう。下の図は、横軸に実質GDP(国内総生産)の成長率、縦軸に2007年の貨幣価値に換算した一人あたり実質GDPをとって、1960年から2007年までの各年のデータ(成長率はそれぞれの年までの4年間の平均値)をプロットしたグラフです。GDPというのは国内で生産された商品やサービスの総額で、その一人あたりの額は、私たちの経済的な「豊かさ」の指標と位置付けられます。この図のなかでの日本経済は、図の右下方から左上方へと移動してきています。それは、貧しいけれども高成長の「子供の時代」から、豊かだけれども低成長の「大人の時代」へと移ってきたことを意味しています。
日本経済の「大人」への軌跡 |
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60年代までの「子供時代=高度成長期」の日本経済は、安い円レートと政府による産業保護・育成政策に守られて急成長を続けました。一人あたりGDPはその末期でも200万円程度に過ぎませんでしたが、この間の実質GDPの成長ペースは年間ほぼ10%に達していました。それに続く70年代から80年代前半の安定成長期には、ニクソン・ショックと石油危機を経て、円高が進み経済成長が鈍化する厳しい環境のなかで、日本の産業、企業は、筋肉質な国際競争力を身に付けていきました。日本経済の「少年時代」です。この時期、一人あたりGDPは300万円に拡大していきますが、経済成長は年4%程度にとどまりました。
その後、日本経済は「青春時代」ともいうべき、迷走の時代を迎えます。80年代後半のバブル期には、日本の多くの企業や個人が、株価と地価の上昇に浮かれてムリな投資や消費を膨らませて、一時的には6%近い高成長を実現しましたが、それが行き詰った90年代には、1%程度の低成長が続きました。ムチャをし過ぎて病気になったという感じです。そして、その病気が治ってみると、かつてのような「若さ」は失われていて、一人あたりGDPが400万円に迫る一方で、成長ペースは2%程度という、豊かだけれども低成長の「大人の時代」に入っていた、というのが2004年頃から今日までの日本の現実です。
「大人の時代」の迎え方
そんな時代に生きる私たちに、まず必要なことは、日本経済は大人になったのだという現実をしっかり認識して、それを受け入れることです。経済の成長ペースが速ければ、多くの企業が業績を伸ばしやすく、それが望ましいことは間違いありません。ですが、「大人の時代」の経済をムリに成長させようとすると、バブルの頃のように、後々問題のタネになる可能性が高くなっています。大人になってから身体が大きくなるのは、肥満やメタボに決まっています。経済の場合、人と違って大人になってからも完全に成長が止まるわけではありませんが、ムリな成長はやっぱりムリなのです。政策論争などでは、いまだに「成長を目指す」という掛け声が使われたりもしますが、企業や個人の立場としては、それを当てにしたりしないで、自力で事態を改善していく覚悟を決めることが必要です。
また、規模の面での成長が鈍化するからといって、経済や社会の発展が全面的に停滞するとは限りません。充実した医療や教育、暮らしの安全、貧困の解消、外国との関係の改善など、取り組むべき課題はいくらでもあります。単純な規模の成長ではなく、個々の課題に細やかに対応していくことが、「大人の時代」の私たちの取るべきスタイルです。その具体的な動きや施策については、このコーナーでも取り上げていくことにしましょう。
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