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三井物産戦略研究所WEBレポート
2010年10月12日アップ
日本の存在感−アイデンティティの再構築に向けて−

 2010年4?6月期、速報段階ではあるが、GDPの規模で中国が日本を抜いた。為替レートの関係もあるので微妙なところではあるが、おそらくは2010年の通年、遅くとも2011年には、日本は中国に「世界第2の経済大国」の座を譲り渡すことになる。そのこと自体には、実質的な意味はほとんどないが、1990年代から続いてきた世界における日本の存在感の低下の象徴とも言うべき事象であることは間違いない。ここでは、日本の存在感の低下をマクロ経済のデータで振り返るとともに、それを逆転させていく方向性について考えてみたい。


存在感は依然として大きいが退潮は明らか

 まず国別のGDPの規模で言えば、2010年時点で15兆ドルの米国が圧倒的な存在で、それに続く2位、3位に、5兆ドルの日本と中国がほぼ並んでいる状況だ。それに続くのは日本と同様に成長性の低いドイツの3兆ドルであり、日本の3位のポジションは当面は安泰と言えそうだ(2010年の推計値はIMFの2010年4月時点の予測による。以下同様)。  また、単なる国別のランキングではなく、世界経済の全体像を描き出すのであれば、共通通貨ユーロを導入して経済の一体化が進んだEUについては、一つの経済圏としてまとめて考えた方が現実的だろう。そうした視点に立つと、GDP17兆ドルのEUと、米国、あるいは米国にカナダ、メキシコを加えた17兆ドルの北米、そして日本と中国とで4極を成し、それらに続くのがブラジル(1.9兆ドル)、ロシア(1.5兆ドル)、インド(1.4兆ドル)の新興大国という構図になる(図表1)。
 ただ、世界のGDPに占める日本のシェアを見ると、1994年、95年には極端な円高もあって18%近くにまで達していたが、2010年には8.5%と半分以下にまで落ち込んでいる(図表2)。同じ期間に2%台から8%台に駆け上がってきた中国の勢いとは対照的だ。世界経済における日本の存在感は、決して小さくはないが、退潮にあることは認めざるを得ないだろう。

図表1.世界のGDPの構成(2010年) 図表2.日本と中国の世界GDPに占めるシェア
  • 出所:IMF“World Economic Outlook April 2010”
  • 図表1と同じ

 また、GDPの規模では中国に抜かれたとしても、より重要なのは国民の生活水準の指標となる一人当たりGDPであり、そちらはまだ圧倒的に日本がリードしているという見方もある。確かに、2010年の一人当たりGDPは、市場価格ベースでは日本の4万1千ドルに対して中国は10分の1の4千ドル、生活水準の実態に近いとされる購買力平価ベースでも、日本の3万3千ドルに対して中国は7千ドルと5分の1の水準にすぎない(図表3)。中国の富裕層が急速に拡大しているとはいっても、国全体の平均的な生活水準という意味では、日本と中国の間には依然として大きな差があることは間違いない。
 ただ、中国に先駆けて経済発展を開始した韓国や台湾、香港、シンガポールのいわゆるアジアNIEsとの比較で見ると、話は違ってくる。2010年時点の購買力平価ベースの一人当たりGDPは、シンガポールが5万3千ドル、香港が4万5千ドル、台湾が3万4千ドルと既に日本を上回っている。韓国も2万9千ドルと、日本と遜色のない水準に達している(図表3)。日本が「アジアの最先進国」と名乗れた時代は、完全に過去のものとなっている。

図表3.アジア諸国の一人当たりGDP
  • 出所:IMF"World Economic Outlook April 2010"


根底には国家としてのアイデンティティの喪失

 日本の存在感の低下は、1990年代から趨勢的に進行してきたが、その要因としては、人々の生活水準の向上によって多くの市場が飽和し、経済の成長性が低下したことに加え、バブルの崩壊で金融システムが機能不全に陥ったことの影響も大きかった。しかし、その後遺症から抜け出した2000年代半ばになっても、存在感の低下は加速しているようにさえ見える。その根底には、日本をどのような国として発展させていくのかという社会的な合意、いわば国家としてのアイデンティティが見失われてきたことがある。
 日本経済の発展は、戦後の復興期から高度成長期にかけては、先進国からの技術導入と工業化を機軸とするものであったが、先進国へのキャッチアップと工業化を完遂した1970年代以降は、生産プロセスの効率化による産業の国際競争力強化が最も重視された。その路線は、断続的な円高の進行という逆風に苦しみながらも、1980年代までは相応の成果を上げてきた。しかし、1990年代に入ると、低廉な国内労働力を背景とした中国の輸出攻勢により、日本の効率化路線は後退を余儀なくされた。
 当初段階では、付加価値の低い商品分野や廉価品の市場は中国に譲り、高付加価値商品、高級品の市場に特化することで路線を維持できていたが、2000年代に入ると中国企業のさらなる成長と技術進歩によって、日本産業の優位性は一段と失われた。それでも2000年代前半までは、世界経済の好調と極端な円安によって、効率化路線の破綻は回避されていた。しかし、サブプライム問題の顕在化にともなう2007年終盤からの世界経済の失速と円高の急進によって、いよいよ効率化の限界が明確になってきた。懸命に効率化を進めて競争力を強化しても、円高によって振り出しに戻ってしまう。逃げ水を追うようなそのプロセスを、いつまで続けるのか、また続けられるのか。その疑問は、多くの日本人の間で、急速に膨らんできている。
 1990年代以降の効率化路線のつまずきは、バブル崩壊にともなう経済の停滞と相まって、将来に向けた不安感と閉塞感を蔓延させ、日本という国が、何を機軸として発展していく国なのか、世界にどのような貢献をしていく国なのかといった、国家としてのアイデンティティを喪失させていった。その結果、前述の量的な変化と並行して、質的な面でも、国際社会における日本の存在感の低下が進んでいったのである。


求められる新たな国家像

 これからの日本が、国内の閉塞感を払拭し、国際的な存在感を回復していくには、国家としてのアイデンティティの再構築が不可欠だが、個々の産業、企業は、既にその先駆とも言うべき動きを見せている。
 第一は、国際競争力を有する産業の生産活動の海外展開の促進である。これは、日本人本来の生真面目さや繊細さを産業面で活用するという意味では従来の効率化路線の延長線上にある動きと言える。効率化の主軸を国内での生産活動に置き、輸出によって対価を得ていこうとすると、円高によって効果を相殺されてしまう。それが1985年のプラザ合意以来、今日まで断続的に進んできた円高をめぐる構図だ。それに対応するための方策として、生産活動の海外移転が1980年代以降、着実に進められてきたが、その方策は相応の効力を発揮した一方で、「産業の空洞化」という懸念を生じさせた。今後はそれを、企業収益の拡大、安定化、さらには進出国の経済発展への貢献といったポジティブな側面に焦点を当てて、基本戦略の中核に据えていくことを考えていくべきだろう。
 第二には、効率化に依存しない輸出産業の登場、成長がある。これは、従来型の輸出産業の「空洞化」を埋める動きである。日本人固有の感性、美意識で生み出されたアニメやゲームが世界各地で受け入れられ、新たな輸出産業として育ってきていることが典型だ。現段階では産業としての規模、広がり、収益性のいずれの面でも十分とは言えないが、今後は、アニメやゲームなどのコンテンツビジネスの収益モデルの確立とともに、衣・食・住・遊の幅広い産業領域で、日本人の感性や日本文化の輸出産業化を進めることが有力な選択肢となるものと考えられる。
 第三には、国民生活のクオリティの向上を追求することで内需の拡大を図る方向性がある。環境や健康、安全といった領域に、潜在的なニーズが残されていることは明らかだ。地域全体でのバリアフリー化や景観の改善といったトータルな住環境の整備や、利便性の高い公共交通機関や医療・介護サービスの高度化、地域としてのセキュリティ・システムの構築といったパブリックニーズへの対応も、有望な領域となるだろう。こうしたニーズへの対応が実現できれば、産業の活性化だけでなく、真に豊かな生活大国として、国際的な存在感を高めることにもつながるはずだ。
 これら三つの方向性は、個別には既に動き出しており、目新しいものではない。2010年6月に政府が発表した新成長戦略の内容と重なる点も少なくない。しかし現段階では、それらを統合して将来の日本の国家像を描き出すには至っていない。国内の閉塞感と国際的な存在感の低下傾向から抜け出すには、これらの先駆的な動きを着実に広げていくことに加えて、日本の将来像を明確にし、それを日本の国民と世界の人々の双方に得心させていくことが必要だ。「世界第2の経済大国」の地位を手放そうとしている今、日本のアイデンティティの再構築は喫緊の課題となっている。


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