Works
The World Compass(三井物産戦略研究所機関誌)
2008年9月号掲載
低炭素化のリアリティ−資源と環境、二つの難題への共通解−

 経済のグローバル化は、先進国の豊かさと新興国の活力が相互に補完しあう構図を成立させ、世界経済の安定的な高成長を実現させてきた。しかしその代償として、地球規模の気候変動問題や、化石燃料を中心とする資源の供給制約といった難題が浮上してきている。世界がこれらの問題をクリアしていくうえでは、世界全体として化石燃料消費を抑制する「低炭素化」の潮流がカギとなる。本稿では、これからの低炭素化の潮流がどのように進行し、経済や産業にどのような影響を及ぼしていくのか、大枠としての方向性を整理してみたい。


1.共通解としての「低炭素化」

 地球規模の気候変動への危機意識が高まるなか、「低炭素社会」という言葉を目にする機会が増えた。気候変動の原因と目されている炭酸ガスの排出や化石燃料の利用を抑制した社会といった意味合いの言葉である。この言葉自体には、炭酸ガスの排出量や化石燃料の消費量をどの程度まで抑制した状態を指すのかといった定量的な定義があるわけではないし、制度や社会構造、産業構造などの要件も明確ではない。ある種のスローガンと言えるだろう。ただ、この言葉で象徴される方向性が、炭酸ガスの排出量と化石燃料の利用の抑制、いわば「低炭素化」であることはきわめて明確だ。
 この低炭素化の方向性は、気候変動問題に対してだけではなく、採掘コストの低い資源の枯渇や政治的に不安定な地域への資源の偏在といった、化石燃料の潜在的な供給制約の問題の緩和、解消にも直結する。したがって、世界全体として低炭素化を進めていくことは、地球規模の気候変動と化石燃料の供給制約という、21世紀の世界が抱える二つの難題に対する共通解ということになる。
 ただし、社会や経済の低炭素化にはコストもかかってくる。第一には、低炭素化に向けた最大の推進力である省エネルギー、代替エネルギーの技術開発や、それを実際の経済活動に導入していくための直接的なコストがある。これは、社会全体にとってはコストと位置付けられるが、新たな産業や事業機会を生み出すための投資という側面もある。第二には、経済成長をある程度は犠牲にするという間接的なコストも想定される。省エネルギーの技術や代替エネルギーを経済活動に導入していくペースが十分でない場合、気候変動の激化を抑えこむためには、経済活動の抑制によって化石燃料の消費を抑えることが必要になってくる可能性もあるためだ。
 これらのコストは個々の国家や企業、個人といった経済主体がそれぞれに負担することになるが、気候変動の回避や化石燃料の供給制約の緩和といった低炭素化のベネフィットは、それに貢献しないものも含めて、すべての経済主体が享受できる。典型的な外部経済の構図である。そのため現状では、各国、各経済主体がこぞって低炭素化を推し進めようという動きにはなっていない。それぞれの国の国益の観点からは、自らはコストを負担せず、他の国がコストをかけて低炭素化を進め、それによって気候変動や化石燃料の供給制約の問題が解消されることがベストのシナリオとなるからだ。こうした構図があるため、これからの低炭素化の展開はきわめて複雑なものとなることが予想される。


2.二つの圧力−規制強化と価格高騰−

 低炭素化に向けては外部経済性が障害となるが、それを乗り越えて低炭素化を推し進める力になると想定されるのが、国際的な政治プロセスに基づく規制の強化と、市場メカニズムに基づく化石燃料価格の高騰という二つの圧力である。
 このうち規制に関しては、基本的には、それぞれの国が世界の低炭素化にどれだけ貢献するのかを国際的な政治プロセスを通じて決めたうえで、その実現に向けて、各国の政府が、そこに属する企業や個人の化石燃料消費や炭酸ガス排出に対して規制を課す形が想定される。その内容としては、個々の企業や個人の化石燃料消費や炭酸ガス排出に対して、上限を定める方式や、税金を課す方式、あるいはそれらの組み合わせなど、国ごとの社会や産業の状況にあわせて、さまざまな手法が考えられる。産業や企業に自主目標の作成と遵守を促すスタイルや、排出枠を市場で取引する制度の導入といったバリエーションもある。企業の活動がグローバル化していることを考えると、将来的には、多くの国が共通の枠組みの下で各国の企業や個人の化石燃料消費や炭酸ガス排出に対して課税する「国際連帯税」の導入も有力な選択肢となるだろう。
 とはいえ、2008年の時点では、京都議定書は発効しているものの、低炭素化の義務を負っている国は日本や欧州など一部に限られ、それを推進するための規制の圧力は限定的なものに止まっている。そうした状況下で、先行的に低炭素化への圧力となってきているのが石油をはじめとする化石燃料価格の高騰というファクターである。2004年頃から進んできた原油や天然ガスの価格の高騰は、世界的な金融市場の混乱にともなって加速した部分もあるが、基本的には、中国やインドなどの新興国の今後の需要増や、開発が容易で採掘コストの低い資源の枯渇、政治的に不安定な地域への資源の偏在といった、将来の化石燃料の供給制約を先取りした動きと言える。化石燃料価格の高騰は、一面では、それを利用するコストを上昇させることで、世界中の経済主体に低炭素化を促す圧力にもなっている。
 これら二つの圧力のうち、規制の方は主として気候変動問題、もう一方の価格高騰は化石燃料の供給制約が背景となっており、文脈の異なる現象と言える。しかし、共通解である低炭素化を推し進める圧力という性質を共有しているため、この二つの圧力は密接に連動することになる。低炭素化に向けた実効性のある規制が制定されれば、化石燃料消費の減退が見込まれることで、化石燃料価格の上昇には歯止めがかかるだろう。逆に、国際的な政治プロセスが機能せず低炭素化に向けた十分な規制が制定されない場合には、化石燃料価格はさらに上昇を続けていく可能性が高まる。
 また、低炭素化という方向性は同じでも、これら二つの圧力にともなって生じる世界的な資金の流れはまったく異なっている。規制にともなっては、一般の企業や個人から、省エネルギーや代替エネルギー関連、炭酸ガス排出抑制関連の技術や設備、あるいは代替エネルギーそのものを提供する産業に向かう大きな資金の流れが形成されることが想定される。規制が税金を課す方式であれば、その税収が各国の政府や、それを通じて国際機関に流入する流れも生じてくる。一方、化石燃料の価格高騰にともなっては、世界各国から資源輸出国に向かう巨大な資金の流れが形成される。それは既に現実のものとなっているが、化石燃料価格が高水準を維持すれば、毎年、兆ドル規模の資金が中東諸国やロシアなど一部の国々、それも日・米・欧の先進諸国とは体制や社会構造を異にする国々へ流れ込んでいくことには注意が必要だ。


3.低炭素化の理想と現実

 人為的、計画的な規制が低炭素化に向けた圧力にならない場合でも、自然発生的な化石燃料価格の高騰がそれに代わる圧力となることで、低炭素化の潮流自体はほぼ確実に進行するものと考えられる。ただ、そのペースや展開に関しては、規制の前提となる国家間の交渉の行方をはじめ、省エネルギーや代替エネルギーに関する技術開発の動向、世界経済の成長力など、多くのファクターが絡みあい、さまざまなシナリオが考えられる。
 そうしたなかで世界全体にとって望ましいシナリオと考えられるのは、規制にともなう圧力、とくに国際的な協調体制に基づいた、化石燃料消費や炭酸ガス排出に対する国際連帯税が主たる圧力となって、低炭素化を推し進めていく展開だ。化石燃料の価格高騰だけが圧力となる場合、企業や個人は、過去の石油危機後の経験もあって価格が反落する可能性を無視できない。そのため、省エネルギー技術や代替エネルギーの開発・導入に踏み切れず、結果として経済成長の鈍化によって低炭素化を実現することになりかねない。
 それに対して、規制にともなう圧力の場合には、市場価格の上昇に比べて安定的かつ恒久的なコスト上昇と認識されて、省エネルギー技術や代替エネルギーの導入を促進させる効果が期待できる。それは、低炭素化のペースを加速させるとともに、経済成長を犠牲にする度合いが軽減されることを意味している。
 さらに、化石燃料の主要な消費国が同時に実効性のある規制を導入すれば、需要が抑えられるとの見方が強まることで化石燃料価格は低下し、資源輸出国への極端な資金の集中を回避できる。この展開は、主要消費国がそれぞれに規制を導入する場合でも想定されるが、国際連帯税のような明確な仕組みが打ち出された方が、市場参加者の将来に対する見方を改めさせて価格を押し下げる効果は大きいものと考えられる。また、化石燃料消費や炭酸ガス排出への課税が行われる場合には、政府や国際機関が得る税収は、低炭素化に貢献する技術開発や、低炭素化にともなう産業の構造転換の支援、あるいは、その過程で苦境に立つ途上国や低所得層の個人を援助する原資として使うこともできる。
 ただし、ここで「望ましい」と言っているのは、あくまでも世界経済全体の発展にとって、という視点での話である。このシナリオであれば、化石燃料価格が低下するうえに、その需要まで減少することになるわけで、中東諸国やロシアなどの資源輸出国や、そこに権益を持つ企業にとっては、必ずしも望ましい展開とは言えない。
 また、ここでいう「理想的な展開」が実現するには、国際的な協調体制の構築が不可欠だ。その意味では、国家間の交渉の場において、世界全体として化石燃料消費と炭酸ガス排出量を抑制していくことの必要性が概ねコンセンサスとなってきていることは好材料と言える。とくに、京都議定書から離脱していた米国が、2009年の新政権への移行を控えて、エネルギー安全保障の面からの要請もあって、自国の低炭素化に前向きな姿勢に転じてきていることの意味はきわめて大きい。
 とはいえ、各国がそれぞれの国益を背負って国際的な交渉に臨んでいる状況に変わりはなく、実効性の高い国際的な協調体制と各国内の規制の枠組みが早々に構築されるとは考え難い。今後の世界の動きを考えるうえでは、規制による低炭素化の圧力は当分の間は強まらないと想定しておく方が現実的だろう。
 そして、その場合には、化石燃料価格は高水準を維持、あるいはさらに上昇を続ける可能性が高い。それが圧力となって、低炭素化の潮流が現状より強まることはほぼ間違いないが、気候変動を回避するには不十分なものに止まる可能性が高く、地球規模の気候変動が一段と鮮明になる事態も想定しておく必要がある。近時の食料価格高騰の一因でもある異常気象や気象災害の頻発は、地球規模の気候変動が顕在化してきた証左だとの見方もあるが、今後、低炭素化の動きが鈍いままであれば、そうした傾向が続き、食料不足の拡大、さらには低海抜国や島嶼国の国土の喪失など、問題がさらに深刻化してくることも考えられる。
 こうした見方は、メインシナリオと呼ぶにはいささか悲観的過ぎる内容も含んでいるかもしれない。しかし、今後の世界の動向を考えるうえで、とくに企業戦略や国としての政策を立案していく際に、無視できないだけの蓋然性を持った「現実的な想定」と位置付けることができるだろう。

低炭素化に向けた「理想」と「現実」の対照


4.予想される四つの体系転換

 低炭素化に向かうシナリオは、世界の政治、経済、科学技術などさまざまなファクターが絡んでくるため、ペースや展開は読みきれないものの、低炭素化の方向性が強まっていくことはほぼ確実だと言えるだろう。その渦中では、社会や経済のさまざまな領域に影響が及ぶものと考えられる。そこで予想される大きな変動は、価格体系、エネルギー体系、輸送体系、立地体系の四つの体系の転換という形で整理できる。

(1)価格体系の転換
 現在、世界の多くの国でインフレ率が上昇してきているが、その大部分は、化石燃料価格の上昇を反映したものであり、低炭素化の潮流における価格体系の転換にともなう現象ととらえられる。
 低炭素化を推し進める圧力となる規制と化石燃料価格の高騰は、いずれも化石燃料を利用するコストを上昇させることにつながる。化石燃料以外の商品やサービスについても、その生産や輸送の過程で使用される化石燃料や炭酸ガス排出のコストが転嫁されることで、価格が上昇する。そこでは、化石燃料自体を筆頭に、化石燃料を多く使っている商品・サービスほど価格の上昇度が大きくなり、商品・サービスの相対価格の体系が全般的に書き換えられることになる。
 その結果、化石燃料への依存の小さい低炭素型の商品・サービスに比べて、相対価格の上昇する化石燃料と、それを多用する商品・サービスの消費を抑えようというインセンティブが生じ、経済のさまざまな領域で、低炭素化が進むことが期待される。その意味で、全般的な価格体系の転換は、低炭素化自体と、それにともなう以下の三つの体系転換の原動力とも位置付けられる。

(2)エネルギー体系の転換
 化石燃料を利用するコストの上昇の影響を最も直接的に受けるのがエネルギーの領域であることは間違いない。今後は趨勢的に、相対的にコストが上昇する化石燃料から、それ以外のエネルギー源への転換が進むことが予想される。
 代替エネルギーのなかで最大のポテンシャルがあると考えられる原子力の利用に関しては、万が一事故が起きた場合に想定される被害の大きさや、放射性廃棄物の処理の問題などから、どの程度進むか不透明であり、それが低炭素化の障害となる可能性もある。その意味では、太陽光発電をはじめとする原子力以外の非化石燃料に関する技術開発や経済活動への導入が大きなカギとなりそうだ。
 また、化石燃料からの脱却が難しい分野を中心に、エネルギーの消費量自体を抑制しようという動きも強まるだろう。たとえば自動車の分野では、ガソリン車やディーゼル車からエタノール車、電気自動車などへの移行に先駆けて、燃費の悪い大型車から小型車への移行が既に進みはじめている。
 電力に関しても、化石燃料から完全に脱却するわけではないため、電力料金は上昇傾向で推移し、一般の家庭やオフィス、商業施設などでも電力消費を抑えようというインセンティブが強まり、省エネルギー型の設備や家電製品の導入が進むだろう。

(3)輸送体系の転換
 エネルギーを消費する側では、輸送体系の転換のインパクトが大きいものと考えられる。商品や原材料などの輸送においては、燃料効率の観点から、トラックや航空機による輸送から鉄道、船舶への移行、いわゆる「モーダル・シフト」が加速するだろう。加えて、「ジャスト・イン・タイム」という言葉に象徴されるような、工場や店舗への多頻度配送の見直しや、荷主の異なる貨物の混載輸送の拡充など、燃料コストの視点での輸送効率の改善を目指した試みが増えてくることも予想される。
 個人の移動においても、自家用車による移動から、鉄道やバスなどの公共交通機関の利用へのシフトが進行するだろう。日本では、2007年後半あたりから通勤定期の購入が増加してきており、ガソリン価格の上昇を背景に自動車通勤を諦めて電車通勤に切り替える人が増えていると見られているが、それも輸送体系の転換の一環と位置付けられる。
 さらには、輸送コストがほとんどかからない「情報」を伝達、伝送することで、人やモノの輸送に代えていく動きが加速することも想定される。たとえば、映画や音楽、ゲームなどの情報コンテンツをネット経由で消費者に届けるビジネスの優位性が一段と高まってくるだろう。また、人の移動のコストが上昇することにともなっては、ビジネスの場でもリアリティを増したテレビ会議など、より高度なコミュニケーション手段が模索されることになるだろう。これらは、ITの急速な進歩にともなう産業の情報化や、情報の産業化といったトレンドが、低炭素化の潮流によって加速されるということでもある。

(4)立地体系の転換
 上記の輸送体系の転換とも関連するが、究極の輸送効率を求めて、人やモノを極力動かさない工夫が活発化することも予想される。その結果として長期的には、商品の生産地と消費地、人の居住地と就業地を極力近づける方向で、工場やオフィスと住宅地、さらにはそれらの総体としての都市内、都市間の立地体系が転換していくものと考えられる。
 先進国の企業は、従来は低廉な労働力を求める形で、中国をはじめとするアジア地域や中東欧、中南米などへ商品の調達先や生産拠点を移していく傾向があった。しかし、商品や原材料の輸送コストが上昇してくると、それを抑えることを目的に、原材料の生産地や商品の消費地の近くに調達先や生産拠点を移していくケースが増えてくるだろう。既に、米国の小売企業が自社企画商品の生産を遠方の中国からメキシコへ変更したり、国内生産に回帰したりといった動きを見せているのも、その一環と考えられる。その結果として、これまで急拡大を続けてきた国際的な分業体制、すなわち貿易関係の構造も変化、あるいは後退していくことが予想される。
 また、人々の居住地域が郊外から中心市街地へ集中する流れや、一つの事業所に集合して働くスタイルから居住地に近い衛星拠点や自宅で働くスタイルへの転換が加速する可能性がある。小売業においても、自動車での来店を前提とした郊外立地の大型店、巨艦店が増加する流れから、顧客の居住地に近い住宅地や公共交通機関の発達した中心市街地に立地の主力が移行していくことが考えられる。


5.産業へのインパクト

 低炭素化にともなう体系転換は、産業や企業に対しても大きな影響を及ぼすことは間違いない。その影響はあらゆる産業に及ぶものと考えられるが、ここでは、とくに大きなインパクトが予想される産業をピックアップしてみよう。

(1)エネルギー
 エネルギー産業では、エネルギー体系の転換にともなう化石燃料関連産業の後退と代替エネルギー関連産業の躍進という対照が基調となる。化石燃料関連では、資源輸出国と資源権益を有する企業にとっては、当面は資源価格高騰が追風となるが、規制による低炭素化の圧力が強まってくる展開になると、需要の減少と価格低下が同時に進行することで、極端に有利な状況は失われる可能性が高い。
 石油精製や石油製品の流通に携わる企業の場合には、資源価格高騰は、原料コストの上昇を製品価格に完全には転嫁できず収益を圧迫する要因となるうえに、先進国では市場規模の縮小につながることが見込まれる。低炭素化が本格化する時代には、企業の統廃合や代替エネルギーなど新しい事業分野への進出といった動きが生じてくるものと考えられる。
 電力産業では、化石燃料からそれ以外のエネルギー源への転換が重要な課題となってくる。原子力の扱いが最大のカギと言えるが、太陽光発電や風力、地熱など、原子力以外の代替エネルギーへの取組みも活発化するだろう。それらの分野では、電力会社以外の企業にも、関連機器の製造はもちろん、発電事業自体でも事業機会の拡大が見込まれ、さまざまな産業からの参入が相次ぐことも考えられる。

(2)自動車
 世界の自動車市場は、新興国の需要増に支えられて当面は拡大基調を続けるものと考えられるが、規制や価格高騰にともなう化石燃料の利用コストの上昇は大きなマイナス要因となるだろう。また、市場の構造も、燃料効率の高い小型車やハイブリッド車、エタノール車、さらには電気自動車へのシフトが進むものと考えられる。
 そうした市場構造の変化は既存の自動車メーカーの勢力図を塗り変えることにつながる可能性もある。とくに電気自動車への移行は、技術体系がエンジン車と大きく異なることから、既存メーカーの技術優位を無効化し、キーデバイスである電池に関連する技術を持つ電機メーカーなど、新たなプレーヤーが台頭して自動車産業において重要な役割を担うようになることも考えられる。

(3)運輸・流通
 燃料コストの上昇にともなって人やモノの移動が抑制されるなかで、モーダル・シフトによって旅客、貨物ともに鉄道の利用が拡大する一方、航空産業の事業環境は一段と厳しさを増してくるだろう。
 また、輸送コストの上昇にともない、ロジスティクスの巧拙が企業の競争力を左右する割合が大きくなる。それを受けて、運輸業や卸売業では、輸送手段の提供や輸送サービスに加えて、物流最適化を実現させるソリューション・プロバイダー的な役割が重要な事業領域となるものと考えられる。

(4)不動産開発・建設・インフラ
 立地体系の転換にともない、中心市街地や工場跡地の再開発、新たな住宅地、商業地の開発など、不動産業や建設業の事業機会が広がることが予想される。
 既存の住宅やオフィスビル、商業施設に関しても、エネルギー効率の改善を主眼とした改築や建て替えの需要が拡大するだろう。さらに、都市全体での低炭素化を目指して、太陽光発電システムやコージェネレーション(熱電併給)システムなどのエネルギー関連や、次世代型路面電車などの都市内公共交通機関といった都市インフラへの投資が拡大することも考えられる。
 これらの分野は、先進国だけでなく、これから都市化が加速する中国やインドなどの新興国においても大きな事業機会となっていく可能性が高い。

(5)農業
 農業では、低炭素化の影響よりも、それが不十分な場合に進行する気候変動激化の影響が注目される。近年の異常気象や気象災害の頻発は、世界各地の農業生産に大きな打撃を与えているが、それが地球規模の気候変動にともなう現象なのであれば、異常気象が常態化することも考えられる。
 そうなると、世界トータルの農業生産に常にマイナスの圧力がかかると同時に、農業の事業リスクが増大することになる。その場合、個人経営の零細な生産者は対応が難しく、結果として農業生産が減少することも考えられる。中長期的には、生産者の経営体力の強化と、気候変動に対応した作付け品種や生産プロセスの見直しが課題となるだろう。
 その一方で、既に見られているように、異常気象が農産物価格を押し上げる状態が続けば、産業としての農業の収益性にはプラスの効果も生じてくる。気候変動への対応力を持つ有力な生産者や、新規参入を考えている企業にとっては好機ともなるだろう。


6.「現実」としての低炭素化

 ここで見てきた低炭素化の潮流に関しては、その源流の部分に重大な疑念が残っている。炭酸ガス排出と気候変動の関係、そして低廉な化石燃料資源の枯渇という二つの前提に対する根強い懐疑論の存在である。もしかすると、低炭素化を目指すべき理由は存在していないのかもしれない。
 この命題が正しいか否かは、このまま化石燃料の消費を増やし続けて、気候変動や資源の枯渇が起こるかどうかを観測しない限りは確かめようがない。しかし、低炭素化の潮流は既に動き出しており、観測の機会は得られそうにない。世界は、不都合であれ好都合であれ、「真実」を確かめることよりも、不確かであっても最悪の事態を避ける道を選びつつあるということだ。
 今、世界中の企業と個人が直面しているのは、原油の市場価格が一時的ながら1バレル150ドルに迫り、国際政治の舞台で低炭素化に向けた議論が繰り返されているという「事実」である。そうした環境下で、企業には低炭素化への貢献が社会的な責務とされていくだろう。また、前述の四つの体系転換をはじめとする経済環境の変化への対応を誤ると、企業としての存続を危うくすることにもなりかねない。すべての企業にとって、低炭素化の潮流は、大きなインパクトをともなって確実に進行する明確な「現実」として動きはじめている。


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