金融の混乱と実体経済の堅調の対照
2007年の世界経済は、金融市場および金融産業の混乱と実体経済の堅調という、相矛盾するような二つの傾向が同居する展開となった。金融市場においては、2月末の上海発の世界同時株安に象徴されるように年初から不安定な状態が続いていたが、8月のサブプライム・ショックによって、金融市場のみならず米国と欧州諸国の金融産業が混乱に陥った。その一方で、実体経済の面では、中国をはじめとする新興国が高成長を続け、米・欧・日の先進諸国も、巡航速度に近い成長ペースを維持した。
金融の混乱と実体の堅調とは、一見相反する動きとも見えるが、世界経済が2001年以降の不況局面を抜け出す過程で生じていたさまざまな歪みの正常化という文脈で読んでいくと、そのストーリーにおける必然的な動きであることが読み取れる。世界経済が回復に向かいはじめた03年から06年までの間に、日・欧の長期不振からの脱却、世界的な超低金利の修正、為替の不均衡の是正、米国の「双子の赤字」の抑制と住宅市場の調整など、多くの面で正常化に向けた調整が進んできた。その結果、07年には、米・欧・日の各地域は、それぞれの巡航速度と呼べる安定的な成長ペースに近づき、それが06年、07年の実体経済の堅調の背景となってきた。
しかしそれと同時に、超低金利の局面が終わったことと、世界経済の成長ペースが巡航速度近くまで低下してきたことで、世界の金融市場は個々の事象に敏感に反応しやすい不安定な状態となっていた。そうしたなかで、米国の住宅市場の調整が、世界中の金融産業を巻き込む大きな問題を引き起こした。サブプライムローンなどの住宅価格の上昇を前提とした融資の不良債権化である。それに関連する損害額は、一説には3千億ドルに達するとも言われているが、サブプライムローンがCDO(債務担保証券)などの金融商品に組み込まれ米国外の金融機関や投資家にも広く売却されていたため、世界規模の金融市場の混乱が生じる形になっている。この展開は、金融セクターの主導による経済のグローバル化の帰結でもある。
引き継がれる調整のプロセス
2008年に入っても、引き続き金融市場が不安定ななかで、残された歪みの調整が続くものと考えられる。当面の焦点としては、すでに大きな問題として顕在化している米国の住宅市場の調整が挙げられる。ブームの反動としての住宅建設の落ち込みはほぼ一巡しているが、サブプライムローンの不良債権化を受けて新規の住宅ローンが抑制されてきており、それにともなう二次的な住宅投資の抑制と、住宅価格の下落の個人消費への影響は、08年に顕在化することが予想される。米国経済全体としては、人口増加と基礎的な需要の旺盛さ、さらにはドル安による外需拡大も見込まれることから、住宅市場の調整が進んでも堅調を維持する可能性が高いが、住宅の調整と個人消費の後退がスパイラル的に進行することで、米国経済、さらには世界経済の停滞が長期化、深刻化する可能性も否定できない。
08年の第二の焦点は、中国経済の動向である。中国経済は先進国経済が停滞した01年以降も高成長を続け、米国とともに世界経済のダイナミズムの源泉となってきた。しかし、その成長の内容は生産設備や建設などの投資が中心で、鉄鋼や化学品などの素材に加えて、自動車や家電製品の生産力が大幅に拡大していることから、ストック調整的な減速が生じる可能性は早くから指摘されていた。加えて、経済発展が沿岸部を中心とする一部の地域に集中したことから国内の格差の問題が、また、企業活動に対する規制や監視体制が不十分なままで急成長を続けたことから環境問題も深刻化している。これらの問題に対しては、06年に制定された第11次5カ年計画でも表明されているように、各種の規制や指導による投資や企業活動の抑制が試みられてきているが、その効果はまだ十分には上がっていない。しかし、これまでの高成長にともなう歪みが拡大していることと、政府による抑制策の効果の顕在化が見込まれること、加えて、北京オリンピックという大きな節目のイベントを経ることもあって、08年中には何らかの調整がスタートする可能性がある。中国経済の基礎的な成長力はきわめて旺盛であり、中長期的には高成長が続くことが見込まれるが、一時的には停滞を経験する蓋然性が高く、世界経済にとって大きな懸念材料となっている。
第三のポイントは、日本の超低金利からの脱却と、それにともなう円高の進行である。サブプライムローンの問題に端を発した世界的な金融市場の混乱が一段落すれば、緩やかな利上げが再開されることが見込まれる。そうなると07年後半に見られた円高基調が定着する可能性が高く、外需に依存して成長力を維持している日本経済にとってはかなりの重荷となるが、これはいずれは直面せざるを得ない「負債」でもある。
構造変化への適応と新たな枠組みの浮上
2008年の世界経済では、前項で挙げた三つの歪みの調整が大きな流れを形成することになると見込まれるが、それに加えて、回復局面で生じた構造変化への適応の動きも目立ってくることが予想される。
第一に挙げられるのは、中国、インドの二大人口大国の台頭によって急速に大きくなってきた環境と資源の問題への適応である。環境問題においては、洞爺湖G8サミットに向けて、ポスト京都議定書の体制作りを目指した国家間の交渉が活発化することが予想される。また資源の問題では、原油価格の動向が当面の焦点となるだろう。06年の夏には、WTIが初めて1バレル70ドル台に達したが、世界経済の減速懸念が高まったことで、原油価格は下落に転じた。しかし07年には、サブプライム問題で世界経済の不透明感が高まるなかにあっても原油価格は上昇を続け、WTIは100ドルに迫る水準に達した。この水準自体は、中東情勢の緊迫や金融市場の混乱にともなう資金移動の結果といった一時的な要因が効いての上振れである可能性が高いが、さまざまな調整が進んで安定性を増した世界経済を前提に、06年のレンジからは上方にシフトした新たな標準レンジを探る展開が予想される。
第二には、そうした原油価格の動向にも大きな影響を及ぼしている、「ファンド資本主義」の傾向が一段と高まってきたことへの適応が進むことが考えられる。80年代以降、機関投資家や年金、投資信託、ヘッジファンドなど、巨大な資金を運用する各種のファンドが台頭してきた。彼らは、従来からの株式や債券に加えて、原油や金属原料、穀物などの国際商品や不動産、さらには、企業全体や個々のプロジェクト、技術などさまざまな資産を金融商品として売買の対象とするようになり、それぞれの市場で大きな影響力を持つとともに、市場を通じて実体経済をも左右する状況が生じていた。01年以降の世界的な低金利は、彼らの活動の規模と自由度を増加させることにもなった。さらに、原油価格の高騰はロシアや中東諸国をはじめとする石油輸出国が手にするオイルマネーを、年間1兆ドルを超えるまでに膨張させ、それが各種のファンドに流れ込んだことで、ファンドの影響力は一段と大きくなった。今後はそこに、1兆4千億ドルを超える中国をはじめとする、アジア諸国の外貨準備という巨大な資金ソースが加わっていくことが予想されている。08年以降の世界経済は、そうした構造変化へのさまざまな面での適応が求められることになる。
これら二つの構造変化に共通するのは、「国家」の存在感の高まりである。地球環境や資源の問題をめぐっては、国益を第一に考える、ある種のナショナリズム的な動きが目立っている。また、膨張するオイルマネーや外貨準備を、“SWF(Sovereign Wealth Funds)”と呼ばれる国営のファンドとして組成し、運用していこうという動きが広まっている。こうしたファンドは、純粋に資産の拡大を目指すだけでなく、国益の視点から世界の市場や経済を操作しようという動きを見せる可能性がある。08年からの世界経済においては、グローバル資本主義やファンド資本主義といったこれまでの潮流に、国家資本主義のベクトルが加味された新たな枠組みが視野に入ってくることになるだろう。
トピックス
■サブプライムローン問題のインプリケーション
■原油価格の展望
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