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読売ADリポートojo 2002年7-8月号掲載
「経済を読み解く」第28回
ワールドカップを考える−巨大イベントの経済学−

 激闘の末、1次リーグを突破したサッカー・ワールドカップ(W杯)日本代表。惜しくもベスト・エイト進出はならなかったが、彼らの健闘によって、日本中が、かつてない盛り上がりを経験した。まさに、サッカー一色の1カ月だったと言えるだろう。
 この号を手にされているころには、W杯は全日程を終え、ドラマも事件も一段落しているだろう。今度は少し冷静になって、このイベントが何を残したのか、改めて考え直してみる番だ。そこで今回は、W杯の例を見ながら、巨大イベントについて考えてみたい。


巨大イベントのビジネスモデル

 イベントの根本にあるのは、スポーツ競技であったり芸術、芸能であったりするわけだが、それを「イベント」と位置付けた瞬間から、ビジネスの色彩がにじんでくる。
 並のイベントと巨大イベントの違いは、第一に、ビジネスとしての収益構造にある。並のイベントの収益は、観客や参加者が出す入場料や参加料が中心だ。その他では、記念品など関連商品の販売による収益くらいだ。
 それに対して、オリンピックやW杯のような巨大イベントでは、放映権料や広告収入など、メディアでの配信を前提にした収益がビジネスの中核となっている。そこでは、イベントをコンテンツとして扱う情報ビジネス的な色彩と同時に、放映権や、イベントの名称やロゴの使用権を巡る利権ビジネスの様相が見えてくる。
 オリンピックがそうした体制になったのは84年のロサンゼルス大会からなのに対して、サッカーW杯は今大会からだ。オリンピックに比べて20年近く遅れたことになるが、今回のW杯の放映権料は総額1,000億円を超えた。シドニーオリンピックの1,600億円には及ばないが、前回のW杯フランス大会のほぼ10倍という急騰である。その背景には、デジタル放送の普及にともなう多チャンネル化で、目玉となるコンテンツの需給関係が急速に逼迫したことと、W杯を仕切るFIFA(国際サッカー連盟)が、従来の普及促進から収益追求へ路線変更したことがある。
 この変化は大きな問題を生じさせた。巨費を投じて放映権料を獲得したスイスのマーケティング会社とドイツのデジタル放送事業者が相次いで倒産した。拙劣な代行業者にチケット販売を任せて混乱を招いた背景にも、行き過ぎた収益重視の姿勢があったと言えるだろう。


経済効果と政府の関与

 並のイベントと巨大イベントとを分けるもう一つのポイントは、国や地方自治体の関与の有無だ。オリンピックやサッカーW杯ともなると、その開催地を巡って国同士、地域同士の招致合戦が繰り広げられる。その際には、施設や周辺環境の準備やイベント運営の支援に、税金として集めた公的な資金を使うことが前提となる。
 それを正当化する理由として、「経済効果」が挙げられることがある。今回のW杯でも、1兆円とか3兆円とか、いろいろな試算結果が発表されている。こうした数字は、観客の入場料や、テレビが売れたりCS放送の契約が増えたりといった、W杯に関連して生じる需要を積み上げたものだ。会場の建設や周辺の交通機関の整備など、公共投資的な需要も大きい。そういう新しい需要が生まれることで、生産活動が活発化し、人々の所得と企業の利益が拡大する。その結果、景気が良くなる、というわけだ。
 ただ、ここで注意が必要なのは、多くの試算がW杯のプラスの効果だけを捉えたものだという点だ。プラスの効果の裏側にはマイナスの効果も存在する。テレビを買った人は、それ以外の消費を抑えるだろうし、W杯を観にいった人は、他の旅行を減らすだろう。これは私自身もそうなのだが、W杯期間中は、外で食事したり遊んだりする人が少なくなった。
 公共投資の面でもマイナスの効果がある。W杯のために作ったスタジアムを将来も活用できるかどうかは疑問だし、会場建設に使ったお金で、何か別の、人々の暮らしに役に立つ施設を作れたかもしれない。使ったお金は、国や自治体の借金として残る。
 こうしたマイナスの効果もあわせてマクロの視点からみた損得勘定では、W杯に限らず、巨大イベントの経済効果は、良くてとんとん、大概のケースでは、マイナスの方が大きいというのが現実だろう。


どれだけ楽しめたかが勝負

 それでも、オリンピックやW杯を誘致する意味はある。身近で開催されることで、そのイベントに直接参加することが可能になる。単なる観客としてだけでなく、ボランティアなどの形で、作り手側への参加もできる。イベントの楽しみを一番享受できるのは、作り手として参加することだ。作り手としての一体感と達成感を、多くの人々が共有することの効果は、国や自治体にとっても計り知れないものがある。
 その意味で、今回のW杯で特筆できるのは、微妙な歴史を持つ韓国と日本との共催であったこと、加えて、一つの街だけでなく、全国10会場と、各国選手団にキャンプ地を提供した数多くの市町村の人々に、作り手として参加する機会が与えられたという点だ。キャンプ地の住民の熱烈な歓迎振りは、サッカー先進国の人々の目には奇異に映ったとも言われているが、私たちがW杯というイベントを目一杯楽しむための、正しい姿勢だったと思う。
 結局のところ、今回のイベントの収支決算は、私たち一人一人がどれだけ楽しめたか、どれだけの思い出を残せたかに懸かっている。その意味でも、日本代表チームの健闘には、心から拍手を送りたい。


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