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読売ADリポートojo 2004年4月号掲載
連載「経済を読み解く」第46回
「安心」を売るビジネス−不安の時代の有望株−


 以前この連載で、現在の日本は「不安の時代」にあると書いた(2003年5月号「不安の時代」参照)。そこでは、不安と不況のスパイラルに焦点をあてたが、現代における不安のタネは、顕在化したテロの脅威、治安の悪化、地球環境問題、狂牛病(BSE)、SARS、鳥インフルエンザなど次々に現れる疫病と、きわめて多彩である。
 そうした時代には、当然、不安を取り除いてやること、安心を与えることは有望なビジネスとなる。逆に、提供する商品やサービスが安心を欠いていては、生き残ることさえ難しくなる。現在の日本の産業においては、「安心」という言葉は間違いなく、最重要のキーワードの一つである。


セキュリティーから安心へ

 そうした背景で、ビジネスの世界では、「セキュリティー」という言葉が流行語となっている。この言葉、手元の英和辞典を引くと「安全、安心、無事、警備、有価証券」などと訳されているが、日本でセキュリティービジネスといえば、「安全」を確保するための「警備」のビジネスのことだ。その内容は、住宅やオフィスの防犯、防災のほか、コンピューターシステムをウイルスから守るサービスなど、社会、経済が複雑化するのにともなって多様化し続けている。
 安全を確保するための要素技術の面でも、さまざまな進歩が見られる。なかでも近年では、食品の安全性を確保するために素材の段階から加工、配送、販売までのプロセスを一貫して監視しようという「トレーサビリティー」の考え方や、より正確な個人認証のために指紋や声、眼球の血管パターンなどを用いた「生体認証」の技術への注目が高まっている。
 とはいえ、警備で安全を確保しても、それが必ずしも安心に結びつくとは限らない。「安全」とは「客観的に危険でない状態」を指すのに対して、「安心」とは「安全だという主観的な認識」を意味する。この違いは、小さなことのようにも思えるが、ビジネスの視点に立つと決定的な重みを持ってくる。というのも、どれだけ安全性を高めてみても、それが顧客に安心を与えられないのでは、売り物にならないからだ。
 ビジネスにおける安全と安心の関係は、品質と信頼の関係に似ている。安全も品質も、顧客の認知があってはじめて売り物になる。顧客の認知を得るために必要なのが、さまざまな手段によるプレゼンテーションであり、その結晶がブランド力ということになる。逆に言えば、ブランドとして確立させない限り、安心を売るビジネスは成立しないということでもある。


安心のための“全頭検査”

 アメリカからの牛肉の輸入をめぐって、両国政府間の議論が続いているが、そこでも、安全性を問う視点と、安心に主眼を置いた議論の違いが浮き彫りになっている。交渉では、全頭検査を要求する日本に対して、アメリカ側がそれを非科学的として退けたため、アメリカ産の牛肉の輸入再開は見送られることになった。
 単に安全性だけの問題であれば、必ずしも全頭検査にこだわる必要はないという指摘は、アメリカ側だけでなく、国内の専門家からも提起されていた。危険部位の除去の徹底や、出荷を若い牛に限るなど、全頭検査に代わる方策も提案された。それでもなお日本側が全頭検査にこだわった理由としては、農業や他の産業の意向をはじめ、さまざまな政治的なファクターが絡んでいたことは言うまでもないが、全頭検査という言葉が人々に与えるイメージの力が注目されていたことも無視できない。
 日本には、国内でBSEに感染した牛が発見された際に、出荷するすべての牛を検査する体制を敷くことで、消費者の牛肉ばなれを食い止めた経験がある。日本の政府には、消費者の間に「全頭検査をすれば大丈夫、全頭検査をしないと不安」といった気持ちが広まっているとの認識があった。これは、全頭検査に安心を生むブランドとしての価値を見いだしていたということだ。それがアメリカとの議論での全頭検査へのこだわりにつながったのである。
 日本における全頭検査のブランド力が本当にそれほど大きいのかは疑問だが、安心を得るには、単に科学的な安全性を高めるだけでは十分でないことを示す1つの例であることは間違いない。


独り歩きする「安心」

 この全頭検査の例でも言えることだが、安心を売るビジネスでさらにやっかいなのは、安心が安全から離れて独り歩きするケースが珍しくないということだ。極端な話、まったく安全ではない状態でも、それを認識していなければ、人は安心していられる。「知らぬが仏」である。根拠のはっきりしないものを、イメージやムードだけで信じてしまうケースも多い。「牛丼最後の日」に、アメリカ産牛肉を使った牛丼に行列ができたのも、その一例と言えるだろう。
 本誌03年9月号で紹介されていた岩村暢子氏の著書「変わる家族、変わる食卓」には、現代主婦の行動パターンとして、自分で対処できない危険に関しては無視を決め込んで何の対処もしないケースが少なくないとの指摘もあった。
 こうした状況は、本当の意味での安全を差別化の基礎とする企業にとっては、好ましいものではない。かといって、人々の不安につけ込んで、安全の基盤のない「安心」を売ろうという戦略では、継続的なビジネスとして成立するはずもない。
 結局、愚直に資金と時間をかけて、安全の基盤を整備する以外にはないだろう。そのための考え方や要素技術は、今後間違いなく進歩していくはずだ。事業化のハードルは決して低くはないが、「安心」を売るビジネスが不安の時代の有望株であることは間違いない。


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