戦争で高まる不安感
イラクでの戦争がはじまって、私たちを取り巻く世界の混迷も一段と深まった。戦争そのものがどうなるかとか、それで景気がどうなるかもそうだが、長期的には、国連をはじめとする国家間の利害調整の枠組みが決定的に損なわれたことが大きい。フランス、ドイツ、ロシア、中国といった大国がそろって反対しても、超大国アメリカの独走を抑えられなかった。今後アメリカの独断先行がさらにエスカレートする懸念もある。戦争の後、国際協調の枠組みは再構築されるのか。敢えてアメリカと行動を共にしたイギリスの働きがカギを握りそうだが、不安は拭えない。
そうしたなかで、日本はというと、アメリカに逆らえるはずがないという「現実論」に流され、自分たちの意思を明確にすることはおろか、国としてのコンセンサスを探ることさえせずにきてしまった。国際政治の舞台で翻弄されるばかりの状況は、私たちの将来に向けての不安感を募らせることになった。
戦争がはじまったことでいよいよはっきりしたことではあるが、この「不安」というファクターは、すでにここ数年間にわたって、日本経済の不振と密接な関係を持ってきた。
不安と不況のスパイラル
不安と不況の関係には、一つには、長引く不況が不安を生み出し、まん延させてきたという側面がある。不況が長期化し、企業がいわゆる「リストラ」を本格化させたことで、多くの人が自分の給料や雇用の先行きに不安を抱くことになった。また低成長の常態化は、医療保険や年金の危機を浮き彫りにし、病気になったときや老後の生活に対する不安も膨らんだ。
加えてそれとは逆に、不安が不況を深刻化させるという関係も生じている。不安な将来に備えるために、個人は無駄遣いをせずにお金を貯めようとするし、企業の方は過剰な借金、設備、労働力の整理を進めている。こうした動きが経済をますます萎縮させてきた。
要するに、不安と不況の間には、それぞれが原因となり結果となる形で増幅しあう悪循環、いわば「不安と不況のスパイラル」が形成されているのである。
下の図は、読売新聞に載った「不安」という言葉を含む記事の件数の推移を表している。この図からは、世紀の変わり目あたりから急速に「不安」が話題に上ってきたことが読み取れる。「不安」の時代の到来である。
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「不安」を含む記事の件数の推移 |
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- 03年の値は、4月9日までの件数を年率換算した数値を使用している。
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もちろん、不安の原因は足元の不況だけではない。少子高齢化や地球環境、相次ぐ企業不祥事で浮かび上がってきたコーポレート・ガバナンス(企業統治)の問題、ライバルとしての中国の急激な追い上げ。いずれも、単なる景気の浮き沈みを超えた深刻な問題だ。
これらがすべて、私たちの不安材料となっている。そこに輪を掛けたのが、国民に「痛みに耐える」ことを求めた小泉改革であり、イラクでの戦争であった。不安と不況のスパイラルに陥っている今、改革であれ戦争であれ、人々の不安をあおる要素は、経済に対して平時よりもはるかに大きな悪影響をおよぼす。その点を見落としていては経済運営はうまくいかないだろう。
リスクに立ち向かえない社会
人々の不安の高まりは、産業やビジネスにも影響を及ぼす。先行したのは「癒しビジネス」だ。不安を募らせ心にダメージを受けている人々に、ひとときの安らぎを与える。旅、エステ、セラピー、ペット、花、音楽、映像などなど。さまざまなビジネス分野で「癒し」がキーワードとされた。ビジネスではないが、昨年のタマちゃんブームも同じ文脈だ。
不安の時代に「癒し」が必要であることは間違いないが、「癒し」とは不安の素から目をそむけることでもある。「癒し」だけで世の中が明るくなることはない。個人も企業も、不安の素となっているさまざまなリスクに正面から立ち向かっていくべきではある。ところが今の日本には、それを可能にする仕組みが不足している。
まず、金融ビジネスが未成熟なため、企業活動にともなうリスクを適切に割り振ることが難しい。個人のレベルでは、仕事を失わないために技能を身に付けようとしても、技能の標準化や資格の権威付けができている領域は限られている。
さらには、複雑に入り組んだ規制が新しいサービスの提供を阻んでいることも大きい。私たちが老後の暮らしの不安を拭えないのは、医療や介護サービスの供給が、規制に縛られて量、質、バリエーションのすべての面で十分でないためでもある。少々お金があっても、快適な老後の生活は確保できないのである。
低成長時代に向けた体制作り
リスクに立ち向かうための仕組みが欠けているということは、そこに潜在的なニーズ、企業にとってはビジネスチャンスがあるということだ。とはいえ、金融にしろ職業教育や医療、介護にしろ、個々の企業の力でできることは限られる。規制の見直しをはじめ、企業側のチャレンジを促す政府サイドのバックアップが不可欠だ。
足元で不安が膨らんでいるのは、90年代以来の不況が背景になっていることは間違いない。しかし、高齢化の進行で経済成長が鈍化するのにともなって、不安の素となるリスクが多くの領域で拡大していくことは避けられない。個人として、企業として、社会として、リスクに立ち向かえる体制を作ることは、現在の不況から抜け出す方策であると同時に、より長期的、構造的な環境変化への適応でもある。
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