リスクは利益の源泉
「リスク」とは、「都合の悪い事態が起こる可能性、危険性」といった意味の言葉だ。せっかく作った商品が売れない、雇った人が思ったように働いてくれない等々、すべての経済活動がさまざまなリスクをともなっているが、その一方で、リスクに挑戦すること、リスクをうまく処理することは、利益や所得の源泉でもある。
私たちの収入の基本的な部分は、社会的な分業のなかでの「働き」に応じた報酬である。リスクに挑み克服することで得られる報酬は、その基本部分に付加される上積み分ととらえることもできる。意図的にリスクを背負い込むことを、「リスクを取る」というが、取るリスクが大きければ大きいほど、克服したときの報酬も大きくなる。嵐のなかを紀州から江戸にみかんを運んで莫大な利益をあげた紀伊国屋文左衛門の話などは、その典型的な例だ。
大きなリスクをともなう危険な事業、あるいは前例のない新事業に挑戦することは、夢とかロマンという表現で美化されることが多い。しかし、現代の日本では、家事以外の仕事をしている人の大部分、8割以上が給与所得者、サラリーマンである。雇われの身であれば、勤め先がつぶれたりクビになるというようなリスクはあるものの、仕事の成果が売れようが売れまいが給料は出る。やはり全体としてみると、そうした相対的にリスクの小さい、堅実な生き方が主流だということだ。
雇われた個人が元来背負っていたリスクは、雇った企業と、そのオーナーである株主が肩代わりする仕組みになっている。突き詰めると、企業の利益、さらには株主が受け取る配当とは、リスクを取ることに対する報酬なのである。「企業」とは、個人が背負っているリスクをまとめて引き受けることで、働く人々と株主の間で、安定と利益を交換する枠組みでもある。
リスク克服のための金融システム
経済は、新しい産業、新しいビジネスの創造と成長によって発展していくが、前例のない新しいビジネスに挑もうと思えば、それなりにリスクは大きくなる。そのリスクを克服しない限り経済は発展しない。また、大規模な機械設備を使った事業や、広範囲におよぶ貿易事業では、それを続けていくだけでも、大きなリスクがともなう。技術が発達し、グローバル化が進んだ現代の経済では、恒常的に大きなリスクを克服していく必要があるわけだ。
それを可能にしているのが金融システムの存在ということになるが、その性格は、時代によって、また国によって大きく違っている。
日本の金融システムの性格は、アメリカのシステムと対比すると理解しやすい。アメリカのシステムは、国民一人一人が各自の状況に応じてリスクを取れるようにすることで、社会全体のリスク負担力を最大化しようというものだ。そのために、個々の企業のリスクとリターンを小口化した「株式」をはじめ、投資信託や年金など、個々のリスク(および、それにともなうリターン)を切り分け、また組み合わせて組成した多種多様な金融商品が用意されている。
それに対して日本の金融システムは、国民一人一人でリスクを取るのではなく、社会全体が一体となってリスクを処理しようというコンセプトで構築されたものである。システムの中核である銀行は、事実上リスクのない「預金」の形で人々から資金を集め、自らがリスクを取って融資や投資を行う。銀行がリスクに耐えられるのは、運用資産が巨大で、多くの企業に分散して投資できるためと、手厚い規制に守られていたためだ。
崩壊した日本型金融システム
国民一人一人がリスクを取れるだけの資産を持っていなかった、敗戦直後の日本の急速な経済復興と、その後の高度成長に際しては、日本型の金融システムは強力な武器になった。しかし、このシステムは、明確な目標に向かって全速力で突っ走るには適しているが、先行きが不透明な時代に、慎重に手探りで進んでいくのには向いていない。個人がリスクを取らない体制は、経済活動におけるリスクに対する認識と責任の所在をあいまいにするという弊害がある。その弊害は、高度成長が終わった70年代以降、少しずつ日本経済をむしばんでいった。そして80年代後半になると、リスクへの認識の甘さは、銀行の不動産関連融資の急拡大と、その結果としてのバブルの膨張をもたらし、その崩壊とともに、日本経済はリスクを取る力をほとんど失ってしまった。そして、その状態からいまだに立ち直れないのは、責任の所在があいまいで、最終的な処理ができずにいるためでもある。
日本経済の再生には、金融システムの再建は不可欠の条件である。とはいえ、従来の金融システムは壊れるべくして壊れたのであって、既に時代にそぐわなくなっていた従来型のシステムを復活させても仕方がない。今望まれるのは、銀行以外の多彩な金融ビジネスを創出して、一人一人が相応のリスクと責任を取れるような、新しい金融システムを構築することなのである。
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