2006年、日本経済は堅調に推移した。株価も年後半には上昇基調に転じ、代表的な指標である日経平均は1万6千円台を回復した。この水準は03年の底値の2倍以上ではあるが、1989年末、バブルの絶頂で付けたピークに比べると、4割ほどでしかない。これは、06年の株価が低すぎるのではない。89年当時の株価は、リアリティーをともなわない幻想だけで押し上げられた、まさに「バブル」と呼ぶにふさわしいものであった。そのバブルがはじけて17年、日本の株式市場は確かなリアリティーを得て、活力を取り戻しつつある。
株式市場の役割
株式市場というのは、文字通り、企業が発行した株式を売り買いする場である。安いときに買って高いときに売れば儲かり、その逆をやると損をするという、きわめて単純な仕組みだ。長く持っていれば、銀行に預けて利子を受け取るよりも儲かる可能性が高いが、その企業が倒産してしまえばすべてを失ってしまう。投資家にとっては、ギャンブルの性格が色濃い舞台であることは間違いない。
しかし、経済全体を見渡すマクロの視点に立ってみると、株式市場は、経済や社会にとって、きわめて重要な役割を果たしていることも確かである。まず、株式発行による資金調達を円滑にすることで、新しいビジネスや産業の台頭を後押しする働きがある。株式発行による資金調達は、新しいビジネスの立ち上げや、成長途上の企業には大きな武器になるが、株式を売買する市場があるということは、必要なときには株を売って現金に換えられるということであり、投資家は株に投資しやすくなる。その分、起業家は資金を集めやすくなり、それが新しいビジネスや産業の成長を加速させ、経済の発展にもつながるわけだ。
また、市場での取引を通じて“適正な”株価を弾き出すことで、企業の行動をコントロールする機能も重要だ。株式市場では、大勢の市場参加者が与えられた情報をもとに企業の価値を評価し、その結果をぶつけ合って、需要と供給の一致する株価の水準を導き出している。この仕組みは、ときとして企業と経済の現実から遊離した「バブル」による異常な価格変動を生み出すこともあるが、多くの場合、その企業に対する強気の見方と弱気の見方のバランスが取れた、そこそこ妥当な価格水準を弾き出しているものと考えられている。
多くの人が有望だと評価した企業は、株価が上がることで有利な資金調達がしやすくなる。逆に、市場で価値が低いと評価された企業の場合には、株価が下がり企業買収のターゲットにされて、従業員は削減、経営陣は退場、場合によっては企業全体が解体されてしまう。反社会的な行為や、重大な事故を引き起こしてしまったことに対して、株価の下落を通じて実質的なペナルティーが課せられるケースも少なくない。
株式市場は、良い企業や優れた企業の事業をサポートする一方で、悪い企業、ダメな企業に事業の再構築や市場からの撤退を強制する役割を果たしているのである。
株価を押し上げるリアリティー
株式市場のこうした働きは実体経済に直結したものであるが、その構図を実感している投資家は多くはないだろう。生命保険会社や投資ファンドで働く株取引のプロにしても、株式の値動きだけで稼いでいる限りは、一般の投資家の場合と変わらない。
しかしなかには、企業における実体的な事業と株式市場での取引の両方にまたがってビジネスを展開する主体も存在している。本連載でも取り上げたことのある“乗っ取り屋”や企業再生ファンド、さらには自社の成長戦略として他社の買収を図る事業会社がそうだ。
彼らのビジネスにおいては、株式市場での取引は、買収した企業に乗り込んで経営を立て直したり、自社の事業に組み込んでいったりといった実体的な事業の前提となる活動である。そして、彼らが狙っているのは、企業を支配し動かすことではじめて得られる利益であって、彼らにとっての株式は、企業からの配当や値上がり益を得られるという以上の価値を有している。言い換えれば、事業再建や他社との提携、合併によって生じ得る潜在的な収益をも勘案した評価になるということだ。
そのため、企業買収を狙う主体が増えてくれば、必然的に株価は上昇することになる。1990年代の米国の株価上昇がまさにそれだ。米国の株価の代表的な指標であるダウ平均は、94年末の4千ドル弱の水準から、99年には1万ドルを超えるまでに上昇したが、その端緒となったのは“乗っ取り屋”や企業再生ファンドの台頭と、彼らの攻勢を防ごうとする企業サイドの努力の結果としての収益力の改善であった。そして、日本の株式市場においても、企業買収のビジネスがいよいよ本格化しつつある。実体的な企業活動を視野に入れた彼らの台頭は、これからの株式市場を活性化させるリアリティーとなっていくだろう。
多層化する市場
株式市場と実体的な経済を結び付ける主体が台頭する一方で、ひたすら日々の値動きを追いかける市場参加者の裾野も広がっている。その背景にはインターネットの発達がある。ネットを通じて安い手数料で株を売買できるようになったことに加えて、ネットを通じた情報収集の力が無視できないレベルになってきている。それにともなって、ネットを通じて情報を集め、その情報に基づいてネット経由で売買するような、新しいタイプの投資家が増えてきている。
経済における株式市場の本質に変わりはないが、その内部の構造と力学は大きく変貌を遂げつつある。それもまた、現代の株式市場のリアリティーといえるだろう。
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