2007年3月、東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)、大阪圏(大阪、京都、兵庫、奈良)、名古屋圏(愛知、岐阜、三重)の3大都市圏の人口が全国の人口の半数を超えた(住民基本台帳ベース)。それに象徴される大都市圏への人口集中は、従来から日本という国の大きな特色であり、日本の経済や社会に、さまざまな形で多大な影響を及ぼしてきた。
高度成長期の人口移動
日本の3大都市圏は、江戸時代にはすでに大都市として成立しており、なかでも江戸は18世紀には100万人の人口を擁する世界最大の都市となっていた。しかし、食糧供給を担う農業の生産性が低く、労働力の多くを農業に割かざるを得ない時代には、都市への集中には限界があった。
その状況が大きく変わったのは、戦後の復興期である。欧米先進国からの農業技術の導入と機械化によって農業の生産性が大幅に向上し、日本の社会は労働力を農業以外の産業に振り向けることが可能になった。日本の製造業は、農地、農村から解き放たれた人々を労働力として取り込むことで、本格的な発展を開始したのである。
1950年代から60年代にかけて、日本の製造業は急速な発展を遂げた。その際には、農村に工場を建設して労働力を確保するよりも、すでに製造業の基盤のあった都市部に資本を投下して設備を拡充し、農村から移動してくる人々を受け入れるスタイルが主流であった。地方の若者たちは、賃金が高く、処遇の安定した製造業の就業機会を求めて都市部へと移動していった。都市部には中層、高層の集合住宅が大量に供給されたのをはじめ、生活関連のインフラも整備されていった。
この時期の大都市圏への人口移動は、56年から70年までの15年間の累計で、東京圏に476万人、大阪圏に210万人、名古屋圏に61万人、合計で748万人に達した(流出者を除いた純流入)。これは、70年時点の日本の人口の7パーセント、大都市圏人口の15パーセントに相当する規模である。そして、その多くが、集団就職など、新たに職を得ようとする若年層であったため、結果的には彼らが産む子供の世代までが大都市圏に移動していったことになる。そう考えると、この時期の人口移動のマグニチュードは、相当に大きかったと言えるだろう。
人口集中の功罪
高度成長期の都市部への人口移動は、この時期の急速な経済成長を可能にするうえで、きわめて大きな意味を持っていた。この時期の経済成長には、欧米先進国からの技術導入に加えて、労働生産性と所得水準の高い製造業に人材を振り向け、経済全体の生産性と所得を押し上げたことの寄与が大きかった。そして、製造業に人材を吸収するための生産設備や生産と生活両面でのインフラの整備を都市部、なかでも3大都市圏で集中的に行うことで、産業間の大規模な人材の移動を、急速に、そして低コストで実現することが可能になったのである。裏返せば、日本を世界有数の経済大国に押し上げた50年代から60年代にかけての高度成長は、農村から都市部への人口移動なしでは難しかったということだ。
しかし、この時期の人口移動は、その後の日本の社会、経済に深刻な問題を残すことにもなった。農村では若い世代の相当な部分に去られた結果、その親の世代が老齢を迎えるにつれて、人口構成の高齢化が急速に進行し、コミュニティーとしての存続が危うくなった。一方、都市部では、毎朝の通勤ラッシュに象徴されるように、さまざまな場面での混雑現象が深刻化している。それは、所得水準の向上にもかかわらず、人々が豊かさを実感できない要因の1つであるとともに、人心の荒廃や治安の悪化、さらには、災害時のリスクの増大といった厄介な問題の背景ともなっている。
また、高度成長期の人口移動は、その後の少子化の原因の1つともなった。人口の集中する都市部では、住宅事情の悪さや生活コストの高さもあって、従来から、地方と比べて子供を産む数が少なかった。加えて、移り住んだ先の都会では、故郷での場合とは異なり、親や親類に子育ての支援を期待し難かった。高度成長期の人口移動は、子供を産み育てる年代の人々を、子育てに不向きな場所へ導く形になったのである。
都市への集中は日本の宿命
高度成長期が終わると、農村から都市部への人口移動は一段落した。しかし、産業の中心が製造業からサービス産業に移行したことで、人の集まる場所に就業機会が生まれる傾向が強まり、都市部への人口集中が固定されることになった。今や東京圏の人口は3500万人に迫り、世界最大の都市圏となっている。それに次ぐのはメキシコ・シティ、サンパウロ、ニューヨーク、ソウルの各都市圏だが、これらの人口はいずれも2000万人台の前半にとどまっており、東京圏の巨大さは突出している。
2005年以降、日本の人口は減少に転じたが、東京圏の人口は依然として増加を続けている。情報通信環境の飛躍的な高度化にともなって、仕事によっては働く場所を柔軟に設定できる状況が生じ、就業機会の集中傾向が緩む可能性が生まれてきてはいる。しかし、その影響はまだ大きなものとはなっていない。一方で、地方部の人口はすでに減少しはじめており、構成比で見た大都市圏への人口集中は、今後一段と進行することが確実な状況となっている。
狭小なうえに山がちな国土で経済を発展させてきた日本にとって、人口集中はある種の宿命でもある。これからの日本は、そこから生じる問題に正面から取り組むことなしに、さらなる豊かさを実現することは難しいだろう。
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