「民間でできることはすべて民間に任せる」。国や自治体による官営の公共事業を可能な限り民営化していこうという、小泉改革の基本方針である。その対象として、大きな議論になっているのが郵便事業や高速道路だ。どちらのケースでも、民営化を阻止しようという「抵抗勢力」が存在している。官営か民営か。今回はその問題を、原点に返って考えてみたい。
官から民への潮流
官営のデメリットは、競争がないためにユーザーの満足度や採算性を高めようというインセンティブが働かず、サービス水準の向上や事業の効率化が望みにくい点にある。
一方、民営の方は、もうけ主義に走って公平なサービス提供を放棄したり、サービス水準を落としたりする懸念があることが問題だ。
このように、官営、民営ともに問題を抱えているが、イギリスのサッチャー政権(79年〜90年)、アメリカのレーガン政権(81年〜89年)の民営化政策が成功したのを契機に、ここ20年以上、官から民へのシフトが世界的な潮流となっている。日本でもNTT、JRといった民営による公共事業がサービス向上や経営効率化などの成果を上げてきた。
この潮流の背景としては、民間企業が成長し、かつては官営でしか実行できなかった巨大な事業も運営できるようになったことがある。
また、人々の気持ちのうえでも、官営事業の位置づけが変わってきている。かつては、公共性が高い事業、高度な中立性が必要な事業には、営利目的の民営は適さないという認識があった。「民には任せられないから官で」という、いわば「官優位」の思い込みだ。このような認識は今でも根強く、官営事業の民営化に反対する、いわゆる「抵抗勢力」の議論でも、それを前提にしたものが多い。しかし、実際に民営化事業の成功事例が、海外も含めて相次いだことと、官営事業の非効率が明らかになったことで、官優位の認識は薄れてきている。
官の守備範囲
こうした背景で、官の守備範囲は、趨勢的に狭まってきているわけだが、依然として純粋な民営化の難しい事業領域も残っている。
それは、社会的に必要でありながら、サービスの対価を受益者から直接徴収することが困難で、サービスの売り手と買い手との関係で需給が完結する通常のビジネスとしては成立しない事業である。外交、警察、消防、国防、環境保全、一般道の管理など、国民あるいは地域住民すべてが恩恵を受ける事業がその典型だ。
また、直接の受益者を特定でき、そこから対価を徴収できる事業であっても、間接的な受益者のメリット(「外部経済」「外部効果」と呼ばれる)が大きく、そこからの対価徴収ができないために、営利目的の企業だけではサービスの供給量あるいはクオリティーの面で、社会的に望ましい水準を確保できない事業もある。たとえば教育事業がそうだ。教育は、それを受ける人のメリットになるのはもちろんだが、国民全体の教育水準が向上すれば、治安の安定や生産性の向上を通じて、社会全体に間接的なメリットが生じる。それを勘定に入れると、採算性を重視した民営事業によるサービス供給だけでは不十分だと考えられる。官営による学校事業や補助金の投入によって、教育サービスの量と質の維持が図られているのは、そうした理由があるからだ。
官民分業による公共事業
直接的な料金徴収ができない事業領域は、純粋な民営で行うことは難しい。そうかと言って、純粋な官営しか選択肢がないわけではない。そうした事業領域においても、官と民とが役割を分担し、力を出し合うことで、サービスの向上やコストの削減を図ることは可能である。分かりやすいのは、国や自治体が公共サービスの提供を民間の企業体に委託する手法だろう。
この場合、国や自治体は、公共サービスの受益者であり買い手である国民・市民の代表として、税金から対価を支払う一方で、サービス提供を請け負った企業の活動をチェックする役割を担う。国や自治体とサービスを供給する企業との間には、サービスの売り手と、買い手の代表者という明確な役割分担が生じる。売り手と買い手として対峙することで生じる緊張関係が、サービスの向上と効率化をもたらすのである。
かつて、公共事業に民間の知恵と活力を導入することを目的に設けられた「第三セクター」いわゆる「三セク」の多くがうまくいかなかったのは、官と民による共同出資・共同運営の形をとったことで、官と民との間の緊張関係が生じず、サービスの向上や効率化に向けたインセンティブが働かなかったためだ。公共事業の民間委託は、三セクの仕組みの構造的な欠陥を克服できる手法であり、これが近年の民営化の潮流の主役となっている。
ところが、ここにきて、電力事業の自由化を進めて深刻な電力不足に見舞われたアメリカのカリフォルニア州のケースや、設備の維持が不十分で鉄道運行がまひしてしまったイギリスの鉄道民営化のケースなど、民営の公共事業の失敗事例が目立ちはじめている。
これらは、事業を民間に任せる段階で、事業主体に対するインセンティブの与え方を誤ったための失敗と考えられる。事業主体にサービス向上とコスト削減に向けたインセンティブを与えられるような仕組みを設定することも、官の重要な役割だ。それを果たしていくためには、官の側にも、企業経営や金融に関するノウハウやセンスが必要になる。昔ながらの「お役所」的センスを引きずっていては、実効ある公共事業の改革は難しいということである。
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