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「病院などなら子捨て処罰せず」
この、何のことかと思うような見出しの記事が新聞に載ったのは、今年の7月のことであった(日本経済新聞7月19日朝刊)。米国ニューヨーク州で施行された新しい州法に関する記事である。米国では、生活に困り子供を捨てる親が後を絶たない。せめて安全な所に捨てさせようということで、このような政策が採られたというのである。
この挿話は、経済的な繁栄にわく米国が、依然として貧困の問題を払拭できていないことをうかがわせるものだ。90年代の歴史的な好況も、根強い貧困問題に対しては無力だったのだろうか。
貧困大国としての米国
米国の貧困比率(注参照)は、99年時点で11.8%。今回の好況局面で低下しているものの、ようやく70年代末の水準に戻ったに過ぎない(図参照)。貧困者数は3,226万人に達している。また、国内の貧富の格差の観点から先進国間の比較を行った種々の分析をみても、米国の格差の大きさは群を抜いている。
米国の貧困問題が深刻な理由は、一つには、先進国中最も大規模に奴隷を輸入し使役していた歴史に求められる。南北戦争を経て解放された奴隷の総数は約400万人(当時の人口の約13%)に達したといわれている。
そして、50年代からの公民権運動の結果、64年に人種差別の撤廃をうたった公民権法が成立したことで、彼らを身分の上だけでなく経済力の面でも、市民としての最低限のレベルまで引き上げることが、米国の国家としての責務となった。その課題が、現代においても貧困の問題として重くのしかかっているのである。
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米国の貧困比率と失業率の推移 |
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注:米国の貧困比率統計について
米国では、市民としての最低限の生活を衣食住などの各分野ごとに細かくモデル化し、それを実現できる所得レベルを世帯構成別に測定している。そして、世帯所得がそれを下回る層を「貧困」と定義し、その総数をはじめ、地域別、人種別などの統計データを公表している。
貧困に関して、ここまで詳細な統計を整備しているのは米国だけである。そのことからも、米国の貧困の問題が他の先進国に比べてはるかに深刻であることがうかがえる。
なお、さまざまな国際機関が、主として途上国を対象に測定している貧困統計は、生存が危ぶまれる水準の貧困を想定しており、米国の貧困統計の定義とはまったく違う次元の概念である。
問題の解消を妨げる移民の流入
ただ、米国の貧困問題を語る上では、見逃してはならないファクターがもう一つある。移民の流入である。建国以来、米国は「新世界」であり続けた。現代においても、世界中から多くの貧しい人々が、新しい暮らしの夢を抱いて流れ込んでくる。経済の成長に伴って、貧困の状態を抜け出す人がいる一方で、貧しい国からの移民の流入があるため、貧困者はなかなか減らないという構図がある。
例えば、88年から97年までの10年間に米国に流入した移民数は累計で438万人に上っている。これは、97年時点の総人口の1.6%に相当する。そのすべてではないにしても、かなりの部分が貧困者であり、それが統計上の貧困比率を押し上げ続けてきたのである。99年時点では、3,226万人の貧困者数のうち、海外出身者は475万人、彼らの子供まで数えれば、その数はさらに膨らむ。
これを前提に、あらためて考えてみると、90年代の好況を背景に、数百万の人々が貧困の状態を脱したものと推定される。経済的繁栄が貧困問題に対して与えた影響は、失業問題の改善と比べても、決して小さなものではなかったと評価できるだろう。
国際貢献と経済のダイナミズム
貧しい人々を市民として受け入れ、経済の成長に貢献させるとともに、その貧しさを解消させていく。米国社会が持つこのメカニズムは、世界レベルの貧困問題に対しては、極めて大きな貢献を果たしてきた。
ODA大国と呼ばれる日本の国際貢献が「豊かさの輸出」だとすると、米国のそれは、いわば「貧困の輸入」による国際貢献である。それが可能だったのは、建国以来の移民国家であり、南北戦争以後は常に貧困問題と正面から向き合ってきたという歴史的な背景と、国土の広大さという地理的な条件がそろっていたからだ。それらいずれの点においても米国の対極にある日本では、米国と同じ形の国際貢献は不可能である。
また、マクロ経済の視点からみると、米国における貧困は、経済のダイナミズムを維持する役割を果たしている。貧困層は、安価な労働力として企業セクターの選択肢を増やし、ビジネスモデルの多様化をもたらした。また、経済が成長し、人々の生活水準が向上しても、次々に貧しい移民が流入してくることで消費市場の成熟化は回避され、彼らの旺盛な消費需要が市場を活性化させてきた。
これらは、米国民が意図したものではないにせよ、貧困層の上昇意欲をエネルギーとして、経済のダイナミズムを維持する構造である。貧困に伴う治安の悪さや都市のスラム化といった問題は、そのための代償ということもできる。
米国社会が抱える貧困は、国際貢献の一形態であるとともに、経済のダイナミズムの源泉でもあるわけだ。こう考えてくると、貧困とそれに伴う諸問題を根拠に、短絡的に米国の社会システムを批判することはできないだろう。
デジタル・デバイドの脅威
ここまで述べてきたような社会、経済の構造を考えると、米国における「デジタル・デバイド」の問題の深刻さも浮き彫りになってくる。
デジタル・デバイドとは、ITが人々の生活や仕事に浸透するにつれて、ITを活用できる人とできない人の格差が広がっていく現象だ。米国では、ITを活用できるかどうかは、主として、その人の経済状態に左右される。豊かな人はパソコンなどのITツールを十分装備し、技能を高めて、条件の良い仕事に就くことができる。逆に、貧しい人々は、ITを学ぶ余裕もなく、低賃金の仕事しかない。その結果、豊かな人がますます豊かになり、貧しい人はいつまでも貧しいままということになってしまう。
デジタル・デバイドのために、貧しい人々がいつまでも貧しいままという状態が続けば、治安の悪化など、貧困が引き起こす問題が一段と深刻化するとともに、人々の上昇意欲の低下が経済のダイナミズムをむしばむことにもなる。
デジタル・デバイドは、貧困のエネルギーを経済のダイナミズムに転換してきた米国経済の枠組みを、根本から崩壊させかねない問題なのである。
ITは90年代の米国に大いなる繁栄をもたらした。これからは、それが貧困の固定化につながらないよう、最大限の努力が必要になる。それは、世紀の変わり目における米国の新たなチャレンジということになるだろう。
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