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日経BP社webサイト“Realtime Retail" 連載
「消費とリテールの、過去、現在、未来を読み解く」 第2回 2005年5月16日アップ
リテール産業の時代性−時代がうながす主役交替−

 今回は、日本のリテール産業の時代性について考えてみたい。リテール産業の歴史的な展開を振り返ってみると、その変遷はいつの時代にも、日本経済全体の時代潮流を鮮明に映し出していることに気付く。


近代化の潮流と百貨店の時代

 日本のリテールビジネスの近代産業としての歴史は、1904年12月、東京日本橋の三越百貨店の開店で幕を開けた。日本の産業や社会全体が、欧米の先進国から技術や文物を導入し、近代化に邁進していた時代である。
 リテール産業の最初の主役となった「百貨店」は、西洋風大建築の店内に商品を展示する販売方式で、欧米の近代的なライフスタイルを日本の人々に提示するショールームとしての役割を果たしていった。
 開店当時の三越の広告文、いわゆる「デパートメント宣言」には「当店販売の商品は今後一層其種類を増加し凡そ衣服装飾に関する品目は一棟の下にて御用弁相成候様施設致し」というくだりがある。新時代の文物をあまねくそろえてお見せしましょう、というわけだ。当時、百貨店に行くというのは、単に必要なものを買い求めに行くのではなく、今でいえばテーマパークに行くような、娯楽性をともなった非日常的な行事であったようだ。
 百貨店のビジネスモデルは、商品を販売する流通業の枠を超えて、鉄道と不動産開発を組み合わせた、より大きなプロジェクトへと発展していった。百貨店の運営主体は、当初は三越をはじめ、呉服店からの業態転換が目立ったが、1930年代には鉄道会社による開設が増加した。
 先駆けとなったのは1929年に大阪梅田にオープンした阪急百貨店である。ターミナル駅に百貨店を開設することで、沿線住民の利便性を高め、鉄道の利用をうながすと同時に、百貨店の存在で沿線の不動産価値を高める狙いがあった。百貨店は、鉄道と沿線の不動産開発を加えた三点セット型の事業によって地方都市にまで広まり、時代潮流である「近代化」を、大都市から地方へと波及させていく役割をも担ったのである。


効率化の潮流とGMSの時代

 次の主役「GMS(General Merchandise Store、総合スーパー)」は、日本経済が戦後の復興期を抜けて、大量生産・大量消費による経済活動の効率化の潮流に乗って高度成長を遂げていった1960年代から1970年代にかけて、消費とリテールの領域での効率化を体現する存在として成長を遂げていった。
 GMSの原型は、1950年代末、米国を視察した流通業者によってこぞって導入されたスーパーマーケットのビジネスモデルにある。スーパーマーケットは、個々の店舗・企業としての経営・顧客のショッピングという三つの次元での効率化を可能にした。
 大量に陳列した商品の中から買いたいものを来店客が自分で選び取って、最後にレジで精算する「セルフサービス方式」は、店舗の人員を削減しコストを圧縮することを可能にした。企業経営の面では、本部が多数の店舗を運営する「チェーンオペレーション」の手法によって、財務や総務といった間接部門の経費を圧縮するとともに、一括購入により仕入れ価格も抑えられた。こうした効率化の成果は、販売価格の低下を通じて消費者にももたらされ、それが集客力の向上につながった。
 スーパーマーケットは、食品と日用雑貨に特化した食品スーパーと、百貨店同様に衣食住すべての分野の商品をそろえたGMSの二つの業態に分かれていった。GMSは、幅広い商品構成という点では百貨店と似ているが、百貨店が娯楽性を合わせ持った非日常的な存在であったのに対して、GMSは人々が日々行う買い物の効率性を高めるという実用的な側面が強かった。いわゆる「ワンストップ・ショッピング」のコンセプトである。
 ダイエーやイトーヨーカ堂に代表されるGMSは、大量生産される工業製品の効率的な販売チャネルとして急成長を遂げ、1972年にはGMS最大手のダイエーの売上高が三越を上回るまでになった。しかし、その頃にはすでに高度成長期は終盤を迎えており、効率化一辺倒で量的な成長を追及する時代は過去のものになりつつあった。


多様化の潮流と専門店チェーンの時代

 日本経済は1970年代半ば、第一次石油ショックを契機として、高度成長期から安定成長期へと移行した。効率化と量的な拡大を追及する時代は終わり、質的な高度化と選択肢の多様化を目指す時代に入ったのである。そうした時代潮流の変化への反応は、リテール産業においても、GMSが流通産業のトップに昇りつめた1970年代前半に、すでに萌芽を見せていた。多彩な専門店チェーンの勃興である。
 直接の原動力となったのは、消費者の要求水準の高度化である。所得水準の上昇を背景に、消費者は効率的で安いだけの店では満足しなくなっていった。買い物しやすい快適な店舗、豊富な選択肢のある品ぞろえ、専門的な情報提供、従来にない目新しい商品やサービスの提供など、消費者のニーズ自体が多様化したのである。
 それを受けて、コンビニ、ドラッグストア、ホームセンター、ファストフード、ファミリーレストラン等、さまざまな業態が新たに登場したり、チェーン展開を加速させはじめた。1971年に1号店をオープンさせたマクドナルドや、1974年に1号店を出したセブン-イレブンがその代表と言えるだろう。
 そして1980年代末の出店規制の緩和が、GMSから専門店チェーンへの主役交代を劇的に進める契機となった。GMSは出店規制の緩和を受けて一気に出店を加速させた。これによって売り上げは伸びたものの、GMS同士の競合が次第に激化し、ついには消耗戦的な価格競争に陥ってしまった。日常的な商品を幅広く品ぞろえするGMSは、ユニークな商品による差別化戦略を採り難く、価格競争に陥りやすい性格を持っていた。
 出店規制が厳しかった時代にはその性格が顕在化することはなかったが、規制が緩和されて本格的な競争の時代に入ったことで表面化したのである。結果、マイカルや長崎屋をはじめ、多くのGMS企業が破綻し、市場からの撤退を余儀なくされた。
 これに対して専門店チェーンの多くは品ぞろえを絞り込み、他社の店舗との差別化を進めることで成長性と収益性を高める戦略を採っていた。それが厳しい競争環境を生き抜くうえでは有利に働いた。GMSが消耗戦に陥った1990年代には、家電量販店や大型紳士服店、カジュアル衣料品店、100円ショップなど、多彩な専門店チェーンが台頭した。GMSが急成長した時代には出遅れた感のあった食品スーパーも、日常の「食」の領域に特化した専門店チェーンとしてその地位を固めている。
 1990年代に台頭した新興企業の中には、GMS以上の効率性と低価格を武器にした企業も少なくなかった。しかし、低価格プラス・アルファの優位性を持てなかった企業は消耗戦に巻き込まれて姿を消していった。多様化の潮流の中、効率化の要請がなくなったわけではないが、それだけで生き残れる時代ではなくなったということの証である。


多様化の加速とハイブリッド型商業施設の台頭

 ここまでの展開からは、日本のリテール産業の動きは経済全体の時代潮流と明確にリンクしていたことが読み取れる。それを前提に現在と将来を展望してみると、前回述べたように、消費者の「豊かさ」が趨勢的にレベルアップしてきていることから、多様化を求める消費者サイドからの圧力が一段と強まっていることが想定できる。リテール産業においてもそれに応える形で、多様化のスピードを大幅に加速させる方向での変化が鮮明になってきている。
 その主役となっているのが、複数の有力な店舗を組み合わせることで相乗効果による集客力向上を狙った「ハイブリッド型商業施設」である。
 その萌芽は、百貨店と大型専門店を組み合わせた新宿の「タカシマヤ・タイムズスクエア」や価格訴求型の専門店をそろえた「パワーシティ四日市」など、1990年代半ばには見えてきていたが、その展開は21世紀を迎えたころから一気に本格化した。
 六本木や丸の内など都心の再開発地域の商業ゾーンが話題となり、郊外の大規模モールの開設も増えた。日常的な買い物の場としては、食品スーパーにドラッグストアやカジュアル衣料品店を組み合わせた「NSC(Neighborhood Shopping Center、近隣型ショッピングセンター)」と呼ばれるタイプが急増しているし、百貨店のリニューアルでも、さまざまな専門店やアミューズメント施設を組み込むスタイルが定着している。これらはいずれも、百貨店の娯楽性とGMSの効率性、そして専門店の高度な専門性をさまざまなバランスで組み合わせた商業施設であり、その意味でも「ハイブリッド」と呼ぶにふさわしい。


日本のリテール産業の歴史


 ハイブリッド型の展開が本格化した背景としては、消費者の要求水準の高度化が進んだことや専門店業態の成熟に加えて、優良な立地の供給が増えたことの影響が大きい。都心の再開発が相次いだうえ、経済のグローバル化を背景に国内製造業の再配置が進んだ結果、都市近郊に大規模な工場跡地が多数出現した。競争に敗れて閉鎖される旧来型の商業施設も増えた。ハイブリッド型の展開はそれらの跡を埋める形で進んできているのだ。
 ハイブリッド型の展開は、二つの意味でリテール産業の多様化を加速させつつある。一つは、従来からある個々の店舗をさまざまに組み合わせることによって、商業施設全体できわめて豊富なバリエーションを実現できるためである。
 そしてもう一つ、ハイブリッド型商業施設の発展によってユニークな専門店の開業と生き残りが容易になることも期待できる。単独での店舗展開は難しくても、商業施設全体の演出やイメージアップに貢献できる個性的な店舗であれば、商業施設のコンテンツとしては成立し得るためだ。
 多彩な専門店チェーンの成長を原動力とする1970年代以来の多様化の潮流は、地域に根差した個人商店の存続を難しくしてきた。似たようなチェーン店がコピーのように増殖していく一方で、本当にユニークな個人経営の専門店はチェーン店に押されて次々に消えていった。
 ローカル色の強い地方の老舗でも、事業を維持できないケースが少なくなかった。専門店チェーンの多様化が進んだ反面、個人商店まで含めて大きくとらえると、むしろ全国一律の標準化、画一化が進んできたのである。
 ハイブリッド型商業施設の台頭は、ユニークな専門店の事業環境を改善することでそうした状況を大きく変えていく可能性がある。より大きな意味での多様化の幕開けととらえることもできるだろう。
 ハイブリッド型商業施設の台頭によって多様化が加速するこれからの時代、リテール産業はどのような方向へ広がっていくのか。また、新たにリテールの領域に参入してくるのはどのようなプレーヤーなのか。そのあたりを明らかにしていくには、さらに異なった視点から検討を重ねていくことが必要になる。


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連載「消費とリテールの、過去、現在、未来を読み解く」

第1回 パズルの大枠−「人口動態」と「豊かさ」の行方−(2005年4月15日)
第2回 リテール産業の時代性−時代がうながす主役交替−(2005年5月16日)
第3回 三つの競争力−脱・デフレを目指す事業戦略のために−(2005年6月16日)
第4回 パワーアップする消費者−第四の力、「発信力」が焦点に−(2005年7月15日)
第5回 「豊かさ」の代償−経済発展の光と影−(2005年8月11日)
第6回 これからの「仕事」−人生モデルの変容と新しい「豊かさ」−(2005年9月22日)
第7回 消費とリテールの国際比較−経済の成熟化とパブリック・ニーズ−(2005年10月6日)
最終回 消費とリテールの未来像−舞台は「心」の領域へ−(2005年10月20日)


関連レポート

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