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日経BP社webサイト“Realtime Retail" 連載
「消費とリテールの、過去、現在、未来を読み解く」 第8回(最終回) 2005年10月20日アップ
消費とリテールの未来像−舞台は「心」の領域へ−

 前回まで7回にわたって、消費とリテールの未来像を描き出すパズルのピースを集めてきた。もちろん、それですべてのピースが揃ったというわけではないが、最終回となる今回は、ここまで集めたピースを組み合わせることで、パズルの全容を可能な限り明らかにしてみたい。


「豊かさ」を向上させる三つの領域

 消費とリテールの未来像を描き出すうえでの骨格となるのは、ここまでの連載で繰り返し触れてきた「豊かさ」の行方である。連載の第1回、第7回でも述べたように、既に日本の消費者は、経済と産業の発展の結果、相当な「豊かさ」を手に入れている。しかし、それは一方では、人々の切実なニーズの枯渇も意味しており、経済の成長ペースの鈍化にもつながっている。「豊かさ」と「停滞」の並存である。
 日本の消費とリテール産業の未来は、今後、この停滞した状況をどのような形で切り拓き、新たな「豊かさ」を手にしていくかにかかっている。そして、日本の人々がこれから手にしようとしている新たな「豊かさ」には、大きく分けて三つの領域がある。
 第一に、第7回で触れた「パブリック・ニーズ」の領域が挙げられる。個々人が消費を拡大することで充足される「プライベート・ニーズ」のかなりの部分が満たされた現在でも、社会の成員の多くが共通して抱えていながら、消費者一人ひとりの消費活動では充足されない「パブリック・ニーズ」に関しては、相当大きな部分が満たされないままに残されている。地域全体でのバリアフリー化や景観の改善、地震や台風などの自然災害への備えといったトータルな住環境の整備、あるいは利便性の高い公共交通機関や医療・介護サービスの高度化、地域としてのセキュリティ・システムの構築などがそうだ。こうした潜在的なパブリック・ニーズを充足させていくことは、人々の生活を真に豊かなものにしていくことにつながるはずだ。
 第二には、第6回で述べた「仕事からの豊かさ」の領域がある。「職業教育機関から専門職・技術職」というコースを軸とした複線型人生モデルの拡充である。元来「仕事」とは、辛い、苦しい、束縛されるといったネガティブな面と、人や社会の役に立ったり自分の能力を発揮することで喜びを得るというポジティブな面を併せ持った行為である。このうち、ネガティブな面を極力抑え、ポジティブな面を強めていくことによって「豊かさ」を高めていこうという方向性だ。
 そして、第三に挙げられるのは、未だ残されているプライベート・ニーズの領域、つまりは通常の消費活動を通じて「豊かさ」を高めていく方向性である。前に挙げた二つの領域は、いずれも今後拡大する余地が豊富に残されており、新しい産業の勃興も期待されるが、リテール産業の大半の企業にとっては、未知の事業領域となる。それに対して、プライベート・ニーズの領域は、基礎的な分野を中心に既に相当な部分が開拓されているとはいえ、既存のリテール産業にとっては、これまでの事業の延長線上で展開を考えやすい領域である。これからの時代にも、このプライベート・ニーズの領域が、リテール産業の主戦場であると想定できるだろう。


機能代替から「心」の領域へ

 人口が減少するこれからの時代には、飽和に近づいているプライベート・ニーズの領域での企業間競争が一段と厳しくなることは間違いない。そうしたなかで事業を発展させていくには、これまでとは違った発想に基づく戦略が不可欠であることは言うまでもない。
 これからのリテール産業の企業間競争においては、連載の第3回で取り上げた三つの競争力、「効率化する力」、「市場を創出する力」、「消費者を動かす力」の総合力が問われることになる。「良いものを安く」という愚直な努力だけ、単発のヒットだけ、あるいは口先の情報戦略だけでは事業を維持できない。バランスの違いはあっても、三つの競争力をトータルした総合力が必要になってくる。
 そして、実際の事業展開においては、連載の第5回で述べた「豊かさの代償」として失われたものの回復が新たな潮流としてクローズアップされてくるだろう。リテール産業の発展にともなって、現代人の生活においては、衣・食・住・遊のあらゆる場面で、企業から購入した商品やサービスに依存する形になっている。それは、人々の生活を豊かにする半面、その代償として「家庭の存在意義の希薄化」、「家庭が果たしてきた機能の欠落」、「生活文化の多様性の後退」という三つの「喪失」をもたらした。
 これらの「喪失」の潮流は現在も続いているが、その度合いが臨界レベルを超え、その影響が少子化の加速や家庭の食生活の乱れといった形で鮮明になってきたこともあって、失ってきたものを取り戻そうという動きも活発化している。その動きには、既にリテール産業の側も敏感に反応してきている。健康に配慮して開発された加工食品の多様化や、健康を意識したメニュー提案を行う食品宅配サービスの展開、企業が提供する教育プログラムの多様化と高度化、各地の農業生産者の団体や食品スーパーの「地産地消」のサポートなどがその典型だ。
 これらの動きからは、リテール産業の方向性が、家庭の機能の単なる代替から、機能を強化する方向、さらには機能性や実用性を超えた部分、感性や価値観といった「心」の領域での展開へとシフトしてきていることが浮かび上がってくる。


ハイブリッド型商業施設と街づくりの展開

 感性や価値観の問題は、第2回で述べた「ハイブリッド型商業施設」の展開にも、大きな影響を及ぼすことになるだろう。広い意味での「ハイブリッド型商業施設」の発展という流れ自体は今後も拡大していくものと考えられるが、そのなかで主流となるスタイルに関しては、人々の価値観の変化次第で、相当違ったものになりそうだ。
 それが既に表面化しているのは、立地を巡る議論の高まりである。1990年代後半以降の郊外型の大型商業施設の急増は、それまでにも進んでいた中心市街地の空洞化を一段と加速させたとして、郊外での大型商業施設の出店を規制すべきだという議論が勢いを得てきている。現時点では、中心市街地の荒廃で治安が悪化するとか高齢者が暮らしにくくなるといった機能面での問題意識が中心だが、そこに、トータルでの住環境整備や、「地産地消」のムーブメントに象徴される生活文化の維持といった、パブリック・ニーズの領域の動きが結び付いてくる可能性もある。
 そうした流れで郊外での出店規制が強化されれば、その内容によって程度は変わるとしても、「ハイブリッド型商業施設」の展開においては中心市街地のウェイトが高まることになる。そうなると、市街地に主力を置く百貨店や、駅および駅ビルという有利な立地を確保している鉄道会社の存在が大きくクローズアップされてくる。また、近年では出店のターゲットを郊外へシフトしてきたGMSも、駅前や市街地にも多くの店舗を抱えている。彼らにとっても、市街地の店舗が活性化するのであれば、たとえ郊外への出店が難しくなったとしても、必ずしも悪い話ではない。経営再建中のダイエーなどにとっては、きわめて望ましい展開だろう。
 もちろん、自家用車での買い物が依然として主流を占めているなかでは、郊外出店の規制を少々厳しくしたくらいでは、買い物客を中心市街地に呼び戻すことは容易ではないだろう。中心市街地の活性化のためには、道路や駐車場の整備による自動車のアクセスの改善に加え、住宅地と市街地とを結ぶ公共交通機関の拡充、医療や介護といった公共サービスも含む多彩なサービス機能の導入など、人々を惹きつける「街づくり」の次元での戦略が求められる。それらは当然、政府や自治体との連携抜きには考えられない。
 出店規制の内容や中心市街地活性化の方策といった政策面での展開は、基本的には人々の価値観がどう変化するかによって変わってくる。連載の第7回では、商業規制が国によって大きく異なる背景には、それぞれの国の人々の価値観、とくに自分たちの生活文化に対する評価の違いがありそうだと述べたが、日本においては、それはまだ相当流動的な状況にある。


重なり合う消費とリテール

 こうしてこれまで集めたピースを組み合わせてみると、これからのリテール産業は、消費者の感性や価値観といった「心」の動きに大きく左右されるとともに、事業展開においても、これまで以上に「心」の領域に踏み込んでいくことになりそうだ。しかし、それはきわめて移ろいやすく、将来を見通し難い領域だ。前に挙げた三つの競争力のうち、「消費者を動かす力」はもちろん、「市場を創出する力」も、その多くを消費者の「心」を満たすことに振り向けられることになるだろう。
 そうしたなかでは、第4回でこれからの消費者を考える焦点になると述べた、消費者の「発信力」が一段と大きな意味を持って浮かび上がってくるだろう。人々の感性や価値観の変化を、「発信力」を持った不特定多数の消費者が増幅し、大きな流れを作り出してくる可能性が生じている。企業が新たな市場を創出するにも消費者を動かすにも、彼らの力は無視できないし、味方に付けることができれば、強力なパートナーともなり得る。
 リテール産業と消費者とのパートナー関係は、街づくりや生活文化の維持といったパブリック・ニーズの領域でも進むだろう。商品やサービスを挟んで、その買い手と売り手として対峙してきた消費者とリテール産業の関係は、パートナーとしての関係が加わることで、複雑で有機的なものとなる。それは、リテール産業が移ろいやすい「心」の領域での事業展開のために消費者を取り込む動きと、消費者が新たな領域での「豊かさ」を追求するためにリテール産業に浸透していく動きとが重なって生じる流れとして理解できる。
 こうした動きは、消費とリテールの分野でも、最も流動的かつ活力のある領域で先行している。そこから何が生まれてくるのか、それがどこへ広がっていくのか。それは、これからの消費とリテールを読み解いていくための新たな視角となるだろう。


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連載「消費とリテールの、過去、現在、未来を読み解く」

第1回 パズルの大枠−「人口動態」と「豊かさ」の行方−(2005年4月15日)
第2回 リテール産業の時代性−時代がうながす主役交替−(2005年5月16日)
第3回 三つの競争力−脱・デフレを目指す事業戦略のために−(2005年6月16日)
第4回 パワーアップする消費者−第四の力、「発信力」が焦点に−(2005年7月15日)
第5回 「豊かさ」の代償−経済発展の光と影−(2005年8月11日)
第6回 これからの「仕事」−人生モデルの変容と新しい「豊かさ」−(2005年9月22日)
第7回 消費とリテールの国際比較−経済の成熟化とパブリック・ニーズ−(2005年10月6日)
最終回 消費とリテールの未来像−舞台は「心」の領域へ−(2005年10月20日)


関連レポート

■「豊かさ」の方向性
 (セールスノート 2007年7月号掲載)
■消費の行方−市場は「心」の領域へ−
 (ダイヤモンド・ホームセンター 2007年4-5月号掲載)
■芸術と文化と経済と−経済の発展がもたらした濃密な関係−
 (読売ADリポートojo 2007年3月号掲載)
■「豊かさ」の方向性−浮かび上がる「消費者」ではないアプローチ−
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■日本経済「成熟期」の迎え方−新局面で求められる「常識」の転換−
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