2012年12月の衆議院選挙で政権を取り戻した安倍・自民党は、2013年7月の参議院選挙でも大勝し、政権の基盤を一段と強固なものにした。雑多な勢力の寄せ集めで政策を迷走させた民主党が政権を去り、二度目の挑戦となる安倍政権に移行したことで、日本経済は活力を取り戻すことができるのか、今後の政策と経済の展開について展望してみたい。
大胆な経済政策への期待と不安
政権発足以前から安倍・自民党が打ち出していた経済政策、いわゆる「アベノミクス」は、初動段階できわめて大きな成果を上げた。そこでの主役は金融政策であった。銀行等が保有している国債等を買い上げることで巨額の資金を市中に流す「量的金融緩和」によって経済活動を活発化させ、デフレから脱却しようという施策である。これについては、家計や企業が資金を借り入れてまで消費や投資を拡大しようという意欲を欠いているため、銀行に資金を流しても効果はないという見方が今も根強い。金融政策の担い手である日本銀行も、従来は量的緩和の効果には否定的であった。それに対して安倍氏は、政権奪回以前の早い段階から量的緩和の拡充を訴えてきており、政権を奪回すると、同様の主張を続けてきた黒田東彦氏を日銀総裁に指名し、金融政策を転換させたのである。
その影響は顕著で、国内の景況は目に見えて改善した。ただし、その流れを生み出したのは、銀行融資の拡大にともなう消費や投資の増加といった、量的緩和の直接的な効果ではなく、急激な円安の進行であった。この時期の為替市場では、金融緩和が通貨安に直結する構図が明確であった。加えて、日本の貿易赤字の定着、米国経済の安定化といった材料もあり、円安に転換する素地が整っていた。そうしたなかで衆議院が解散され、安倍政権誕生、金融緩和の強化という流れが予見されたことで、一気に円安が進んだのである。2001年以降の円ドル・レートは、IMFが産出する「購買力平価レート」(日米両国の物価水準が等しくなる為替レート)と、1985年のプラザ合意以降の市場レートを各時点の日米両国の物価水準で調整したうえで平均した「長期平均ライン」の間のレンジ内で上下してきたが、2012年11月からの6カ月で、レンジの円高側の端から円安側の端まで急激にシフトした(図表1)。
その効果で、輸出や海外事業のウェイトの高い大企業を中心に業績が改善するとともに、それを先取りする形で株価も上昇に転じた(図表2)。さらに、一部ではあるが、高額商品を中心に消費が上向く兆しも見えてきつつある。この流れの先で、企業が雇用や設備投資を活発化させてくれば、脱・デフレ、脱・停滞への道筋が開けてくる。
図表1.購買力平価に基づく円ドルレートの指針 |
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長期平均ラインは、購買力平価のデータ系列をベースに、プラザ合意後の1986年以降の実勢値からの乖離率の平均が0になるように調整した系列
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長期平均ラインのデータ系列を作成する際の物価指標には日米両国のGDPデフレータを使用
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2013年6月以降の平均ラインは、前年同月比が5月以降一定として仮置きした値
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実勢値は終値の月中平均値を記載(2013年8月は12日までの平均値)
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図表2.日経平均株価の推移 |
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終値の月中平均値を記載(2013年8月は12日までの平均値)
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しかし、そのシナリオには不安要素が山積している。まず、アベノミクス初動期の回復の主因となった円安の流れは、物価を調整したベースでは、既に2007年の1ドル120円前後と並ぶ円の最安値圏に入っている。それを考えると、ここからさらに進んでいくことは期待し難い。また、量的金融緩和の直接的な効果が依然として未知数である一方で、経済の減速を食い止めるために打ち出された財政拡大策は、債務の膨張を考えれば、いつまでも続けることはできない。海外に目を転じても、米国の回復は安定感を増しているものの、欧州の財政危機や中国の減速は、日本経済にとっても大きな不安要素となっている。
引き継がれた最重要課題
不安要素が山積する状況下で、アベノミクス初動期に生じた回復の芽を活かしていくためには、投資や雇用の拡大に向けた企業の活力を最大限に引き出すための構造改革的な政策が不可欠である。その内容については、構造改革を旗印にした小泉政権の時代から、民主党政権の時代も含めて議論が積み上げられてきている。そしてその中核に位置付けられてきたのが、規制改革と国家間の経済連携(EPA、FTA)の推進である。加えて、通貨への信認を維持し、経済の安定を確保するための財政再建の必要性についても概ねコンセンサスが形成されている。経済連携の当面の目玉といえるTPPへの参加も、財政再建に向けた消費税率の引き上げも、民主党政権が作った流れを安倍政権が承継する形で進められている。
これらのうち、規制改革については、「総論」の段階で表立って反対する人は限られているが、個々の利害が絡む「各論」となると、途端に既得権を有する層と結び付いた「抵抗勢力」が現れてくる。この構図は、前の民主党政権においても、現在の安倍・自民党政権においても、変わりはない。とくに、注目されている農業、医療、雇用等の分野では、改革の結果として予見される効果の大きさとともに、改革に対する抵抗の強さも際立っており、「岩盤規制」という表現も登場した。安倍政権では、参議院選挙への悪影響を考慮してのことと考えられるが、選挙前には規制改革について踏み込んだ議論は展開していない。参院選で基盤を固めたことで、今後、どのような具体策を打ち出してくるかに期待が集まっている。
国家間の経済連携については、これを単なる輸出促進策として捉えると、見方を誤ることになる。FTAやEPAでは、輸出入に限らず、小売業やサービス業も含めて、企業が他国で事業や投資を行う際に、各種の許認可や係争、知的財産権を含む資産の保全等、さまざまな面で不当な扱いを受けないよう、公正なルールを国家間の交渉で決めていくことが眼目の一つとなっている。とくに、経済成長が著しいものの法制度が未整備で商慣行も異なる新興国との間で共通のルールを設定することは、日本を含む先進国の企業にとっては、事業展開の可能性が広がることを意味し、メリットはきわめて大きい。もちろん、新興国にとっても、先進国企業の資金や技術を呼び込むことで経済発展を持続的なものにできるというメリットがある。この点では、日本を抜いて世界第二の経済大国となった中国が最大の焦点となるが、日本がTPP交渉への参加を決めたことで、中国も日中韓FTAやRCEP(ASEAN10カ国と日、中、韓、インド、オーストラリア、ニュージーランドのFTA)など、多国間の経済連携に本腰を入れはじめており、日本にとって望ましい流れが生じてきている。
財政再建という課題に対しては、GDP比で見た政府債務残高が、危機下にある欧州諸国よりも高いという状況を勘案すると、消費税率の引き上げを喫緊の課題と位置付けざるを得ない。政府債務の積み上がりにもかかわらず、円の暴落や金利の急上昇といった事態が生じていないのは、国債の大部分を日本の投資家が保有していることに加えて、欧州諸国に比べて消費税率が低く、それを引き上げることで問題を回避し得るという認識が金融市場で共有されているためと考えられている。しかし、与野党の合意で国会を通過させた今回の消費税率引き上げのスキームが崩れると、世界の金融市場において、日本では消費税率の引き上げは不可能なのではないかとの懸念が広がり、円の暴落や金利の急上昇といった危機的な事態が現実のものとなる可能性が無視できない。消費税率引き上げを先送りできる余地は、既に相当限られてきている。
問題は「実行力」
ここで見てきたように、量的金融緩和の採否を除くと、民主党政権でも安倍・自民党政権でも、停滞する日本経済の活性化を目指す政策メニューに大きな差異はない。違いがあるとすれば、望ましいけれども抵抗も強い政策を実行に移していくパワーだろう。その点、安倍政権は、賛否の分かれる量的金融緩和の拡充や、反対論が根強く残るTPP交渉への参画を相次いで実現させてきており、その実行力は評価に値する。主義・主張を異にする多数のグループが、自民党から政権を奪取するという目的だけを共有して立ち上げた民主党政権との違いは明らかだ。
しかし、今後は消費税率の引き上げや、給付削減を含む社会保障改革など、いわゆる「痛みをともなう政策」を実行していくことが求められる。さらに規制改革についても、政権与党内からの抵抗が厳しくなる「各論」の段階に入っている。中長期的な目標として安全保障や憲法の見直しを視野に入れている安倍政権が、その前提となる党内の結束を犠牲にしてまで規制改革等に本気で取り組むのかを疑問視する声も聞かれる。改革の手を緩めれば、日本経済は再び失速してしまう可能性がきわめて高い。
ただ安倍首相は、前回の政権担当時、喫緊の経済問題への対応よりも理念的な政策を優先して国民の支持を失うという苦い経験を味わっている。前回の失敗への反省を踏まえれば、今回の安倍政権が経済政策を軽視することはないだろう。一度政権の座を追われながらも、二度目の機会を得た安倍氏の幸運が、日本国民全体の幸運となるのかどうかは、これからの政策展開次第である。日本経済を活性化させ得るような構造改革を実現するには多くの困難が予想されるが、安倍政権の政策実行力に期待したい。
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