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読売ADリポートojo 2004年5月号掲載
連載「経済を読み解く」第47回
為替市場介入35兆円−景気維持のための最後の手段−


 2003年、日本政府は円高阻止のため、為替市場において、20兆円という巨額のドル買い介入を行った。1年間の介入額としては、過去には99年に8兆円という記録があるが、03年の水準は、それをはるかに上回るものだ。
 この動きは年明け以降さらに強まり、介入額は年初の3か月ですでに15兆円。昨年来の円高局面での累計では、35兆円を超えたことになる。35兆円と言えば、国家予算の4割以上にあたる。この事態は、どのように理解すればよいのだろうか。


原則は市場、介入は緊急避難

 円高が進むと、日本で生産した商品は、円建ての価格が変わらなくても、他の通貨で評価した値段は自動的に上昇する。これは、より少ない商品と引き換えに、より多くの他国産の商品が手に入るようになるということであり、その意味ではメリットと言える。ただしそれは、その上がった値段で日本の商品が売れればの話だ。実際には、そううまくはいかない。値段が上がれば売れなくなるものが出てくる。
 それを避けるには、効率化を進めて値段を下げるしかない。それができないとなると、利益を犠牲にするか、その商品の生産をあきらめざるを得なくなる。極端な場合には企業全体、さらには産業全体が存続できなくなる。円高には、メリットとデメリットの両方があるということだ。
 73年以降、先進国の通貨は、為替市場で投資家によって自由に売買され、為替レートは各国の政治・経済の情勢を織り込んで、時々刻々変動するようになっている。その背景には、下手に人為的に操作するよりも、市場の趨勢に任せた方が良いという、主流派経済学の考え方がある。
 ただ、円高が極端になれば、企業の倒産や産業の空洞化といったデメリットが大きくなり過ぎる。逆に極端な円安となると、海外から輸入する商品の値段が高くなり、それはそれで耐え難い状況になる。そうした事態が想定されるケースでは、緊急避難的に、為替レートの変動を抑える政策が模索される。市場介入も、そうした場合の選択肢の一つである。
 03年の円高は、1ドル120円あたりから106円程度までと、小幅とは言えないまでも、日本経済にとって決定的なダメージとはならないレベルにとどまった。その背景に、日本政府による巨額のドル買い介入があったことは間違いない。


景気維持策としての介入

 為替レートの決定は市場に委ねるのが原則であるところから、日本の介入政策に対しては、国内外から批判も多い。しかし、この介入が行われなかった場合にどうなっていたかと考えると、そう安易に批判もできないように思える。というのは、アメリカの国際収支が、きわめて厳しい状況になっているためだ。
 03年のアメリカ経済は、イラク戦争が一応の終息を見たことと、大規模な減税の効果で、年後半に一気に需要拡大のペースを加速させた。それにともなって貿易赤字も拡大し、商品・サービスを合わせた貿易赤字は通年で4900億ドルと、過去最高水準を記録した。ところが、貿易の赤字を埋めるべき資本取引においても、ヨーロッパ諸国からの投資が低迷を続けており、赤字を埋めるにはまったく足りない事態となっていた。不足額は2000億ドル、日本円で22兆円。03年の日本のドル買い介入額とほぼ一致する。アメリカの国際収支の不均衡は、結果的には、日本政府が市場介入でドルを買ってアメリカの国債に投資したことで埋め合わされる形になったわけだ。
 もし仮に、日本の巨額介入がなければ、アメリカの国際収支は、アメリカの金利上昇を通じて、需要と輸入の縮小、ヨーロッパや日本の民間資金の流入という形でバランスする方向に動いただろうと想定できる。そうなると、その影響は日本やヨーロッパ、アジア諸国にも及び、世界経済は縮小均衡に向かう悪循環に落ち込んでいた可能性も否定できない。日本政府による累計35兆円のドル買い介入は、単に円高を食い止めて日本の景気を支えただけでなく、世界経済が悪循環に陥るのを防ぐ役割も果たしたのである。
 ここで強調しておかなければならないのは、市場介入で35兆円を投じたといっても、それは円建ての資産をドル建ての資産にシフトさせただけだという点である。ドル安になれば評価損は出るが、介入額まるごとが国の支出になるわけではない。だからこそ、国の借金が記録的な水準に達しているなかでも、機動的に実行できるわけだ。景気刺激策という意味では、財政政策、金融政策ともに手詰まりになっているなかで、ドル買い介入は、最後に残った景気維持策だったのである。

先送りされた課題

 ただし、その策も、いつまでも続けられるわけではない。為替レートの決定は市場に任せるという原則からの逸脱が過ぎるとの批判も国内外で高まってきており、日本政府の市場介入は、そろそろ打ち止めにせざるを得ない状況にある。
 35兆円をつぎ込んだ介入政策によって円高は抑えられ、景気回復の流れは維持されてきた。しかしそれは、アメリカの貿易赤字、日本の内需の弱さという構造的な問題の先送りに成功したに過ぎない。
 今後の世界景気は、予想されるアメリカの金利上昇と輸入の減速を、日本やヨーロッパ諸国、あるいは中国をはじめとするアジア諸国の需要拡大で吸収できるかが勝負になる。日本では、介入で抑えていた円高の流れが再び強まることも覚悟しておく必要がある。世界にしろ日本にしろ、本格化しつつある景気回復の底力が試される時期が近付いている。


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