男性78.32歳、女性85.23歳。日本人の寿命は延び続けている。喜ばしいことだ。しかし、それに社会や経済の態勢が追い付いていないために、いろいろと厄介な問題も生じている。
長くなった「余生」
人々の寿命が延びて高齢者が増える一方で、少子化によって若者が、そして現役の労働力が減少する。その結果、商品やサービスの供給力が不足する可能性がある。経済の成長が鈍化するのはほぼ確実だし、年金、医療、介護といった社会保障の枠組みの大幅な見直しも避けられそうにない。
そうしたマクロの問題と同時に、私たち一人一人にとっての高齢化の問題もある。それは、寿命が延びたことにともなう人生設計上の問題ということができる。
現代人の人生は、大きく分けて、人生の準備期間である「学習期」と、仕事をする「現役期」、仕事を退いてからの「余生」という三つに区分できる。それぞれについて50年前と今とを比べてみると、「学習期」は高学歴化の結果、3、4年延びた。「現役期」は、定年延長の流れはあるものの、定年のない農業に従事する人が急速に減ったため、全体でみるとほとんど延びていない。同じ意味で、自営の個人商店の衰退も効いている。結局のところ、過去50年間の寿命の延びは、大半が「余生」の延びとなっているわけだ。個人にとっての高齢化の問題は、この長くなった「余生」をどのように快適に、また有意義に過ごすかという点にある。
ただし、ここまでは主として男性の話だ。女性の場合、というか家事労働の場合には、農家や個人商店の仕事と同様、定年で「現役」が終わるということはない。それどころか、自分が高齢になってから、親や舅、姑の介護という、それまでよりさらに厳しい仕事が待っていたりもする。これを女性だけの問題ととらえることはできないが、実態として、男性と女性で高齢化の問題はまったく様相を異にしている。
共通解は「生涯現役」化
男性と女性の違いだけでなく、職業や家族構成、住んでいる場所、もちろん世代によっても、高齢化の問題はまったく異質なものとなる。あえて共通項を探してみると、私たち誰もが、「長生き」に備えなければならなくなったということだろう。
病気や障害で「不本意な長生き」にならないように、若いうちから健康に留意するのはもちろん、仕事であれ遊びであれ、老後の生きがいを見つけておくことも重要だ。それに、医療や年金といった社会保障の先行きが不透明になっていることを考えると、食いつないでいくための経済的な裏付けを用意しておくことも必要になる。長生きするのは喜ばしいことではあるが、今やそれは、備えておくべき「リスク」とさえ呼べる時代になっている。
そうした時代に、社会全体として、また私たち一人一人として、立ち向かっていくためのカギとなりそうなのが、「生涯現役社会」のコンセプトである。これは、年を取ってからも、それぞれの事情や意欲にあわせて、誰もが何らかの仕事を続けられるようにしていこうという考え方だ。一義的には、年を取ってからも、暮らしていくのに必要な資金を、一部でも自力で稼げるようにというのが狙いになる。当然、社会保障のスリム化とも連動する。加えて、仕事のなかに生きがいや楽しみを見いだしたり、張りのある日々を送ることで健康を維持する効果も期待できる。
とはいえ、定年後どころか40代や50代の人でさえ職を失うことが珍しくないご時世だ。「生涯現役」などと言ってはみても、現実味は薄い。しかし、少し長い目で見ると、明るい兆しも見いだせる。
明るい兆し
年を取っても現役を続けられる職種としては、農業、自営業主のほか、専門的・技術的職業、低賃金の労務作業といったところが挙げられるが、これらそれぞれの分野で「生涯現役」化に向けた動きが見いだせる。
まず農業。これは衰退産業ではあるが、本誌4月号で述べたような娯楽性、教育性に着目すれば、高齢者の就業機会が拡大する可能性は十分ある(「日本の農業の未来像」参照)。自営業主についても、従来型の小売店や飲食店は苦戦中だが、新しい技術やアイデアをベースにしたベンチャーの立ち上げは、今後さらに活発化することが予想され、定年のない仕事を増やす要因として期待できる。
そして、専門的・技術的職業。いわゆるスペシャリストだ。若い世代が生涯現役を実現するうえでは、最も有力な選択肢だ。さまざまな分野で技術の進歩が加速し、仕事の内容が高度化していることもあって、特定の企業に捕らわれないスペシャリストの活躍の場は急速に広がりつつあるし、それを見越して技術や専門性を身につけようとする若者も増えている。
もう一つの低賃金労働というのも、考え方次第では有望な分野となる。NPOやNGOで有償の社会活動に携わったり、フリーター的な感覚で低賃金の仕事を受け入れるという方向性だ。近年のNPO、NGOの成長や、フリーターのスタイルが市民権を得つつあることも、社会全体としての高齢化対策につながってくるわけだ。
これらの「明るい兆し」を本物にしていくには、私たち一人一人が意識を変えていくことが前提となる。「生涯現役」化というのは、言い換えれば、学習期と現役期、現役期と余生との間の節目をなくすということだ。自らの「働く力」を維持するために、現役期間中にも学習が欠かせなくなってくる。年を取ってからも、スロットルは緩めながらも体力とやる気に応じて仕事を続ける。厳しい面もあるが、こうした生き方ができれば、高齢化時代も怖くはない。
関連レポート
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(三井物産戦略研究所WEBレポート 2012年6月19日アップ)
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■高齢化時代の日本経済
(The World Compass 2001年5月号掲載)
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