高まる農業への注目
近年、日本の経済、社会において、農業への注目が高まっている。新興国における食料需要の拡大を背景として、食料供給という農業の根幹的な役割の面での議論が高まったことに加えて、農業の在り方が、良くも悪くも、日本の経済や産業全体の将来像を左右するのではないかという問題意識も広まっている。
まず、多くの産業が国内での展開に限界を感じるなかで、農業が有する産業としての潜在力の大きさを指摘する議論がある。これまでの経済発展の結果、国内の消費者の基礎的なニーズが概ね充足されたことで、多くの商品・サービスの市場が飽和に近付いているが、そうしたなかでも「健康・美容」「安全」「娯楽」など、生活の質的向上に関わるニーズは、依然として旺盛である。食や農業の分野は、これらのニーズと密接な関係を有しており、事業の展開次第では、新たな成長産業として浮上させることも不可能ではないとの見方もある。
他方、WTOの場や、FTA、EPAといった個々の経済連携交渉において、国内農業保護のための輸入制限的な施策の存在が、交渉を進めるうえでの阻害要因となっていることにも注目が集まっている。日本では、経済の成熟化にともなって国内市場の成長性が失われ、製造業を中心に、多くの企業が、急成長を続ける新興国への輸出や事業進出に成長の場を求める機運が高まっている。それを実現するための施策として、WTOや経済連携の交渉への期待が高まるなか、国内の食料供給力の維持と農家の保護を名目とした農産物輸入規制が問題視されている。日本産業の主力と位置付けられる自動車や電気機械などの輸出産業の展開が、農業の存在によって妨げられているという認識だ。この種の議論は、2010年11月に、当時の菅首相がAPEC首脳会議の場でTPP交渉への参加を打ち出したことで、通商重視か農業保護かという二分論のスタイルで、一段と熱を帯びてきた。
衰退産業としての現実
通商政策への制約の軽減という面も含めて、産業としての自立、発展が期待される農業であるが、その実態を見ると、発展とは程遠い衰退産業としての現実が浮かび上がる。総務省の労働力調査によると、2010年の農林業の就業者数は224万人(基準が異なる農林水産省の統計では261万人)と、総就業者数の3.7%を占めるに過ぎない。同年のGDP統計を見ても、農業のGDPは4.7兆円(農林業では4.8兆円)、全体の1.1%と、日本経済における農業の存在感は、大きなものとは言えない。
また、これらの統計から産業別の就業者一人当たりGDPを算出すると、製造業890万円、建設業535万円、卸小売業609万円などに比べて、農林業は206万円と、格段に低い値となっている。そして、5年前に比べると、就業者数は▲9.7%、GDPは実質ベースで▲5.6%と、いずれも減少している。加えて、2011年時点で、農業就業者の約6割が65歳以上となっており、これまでの衰退の流れに歯止めがかかるとは考えにくい状況である。
こうした退潮の一因は、日本人の食生活の変化と人口減少にともなう国内農産品需要の減退にあることは間違いない。しかし、そうした需要の減退自体が、人々の食生活の変化への対応や、新たな需要を掘り起こすためのマーケティング活動、生産効率の向上のための先行投資や事業規模の拡大といった、産業としての取組が不十分であったことに起因している面がある。そして、その背景には、食料供給力の維持と、社会的弱者と位置付けた「農家」の救済を論拠として、既存の農業事業者の産業的な取組や、他産業の営利企業の参入を阻むことで、農業の産業化を阻害してきた農業政策の存在がある。
近年では、事業の高度化、多角化や新規市場開拓に取り組む意欲的な農家も増えている。加えて、段階的な規制緩和の効果で、大手の小売業や外食産業、食品メーカーが、良質な食材を確保するために農業に進出する事例も目立ってきてはいる。しかし、依然として株式会社では農地を保有できない等の制約のため、こうした農業の産業化の動きは部分的なものにとどまり、大きな潮流とはなっていない。
産業化への転換は不可避
農業の産業化を阻害する政策が変わらない限り、日本の農業の退潮に歯止めが掛かることは考え難い。しかし、その退潮が加速することが、政策の転換に向けた圧力の高まりにつながるものと考えられる。その最大の要因は、極端な高齢化の当然の帰結として、農業人口の減少が急激に加速する可能性がきわめて高いことだ。
例えば、2010年の基幹的農業従事者(下表脚注参照)は5年前から8.4%減少しているが、年齢階層別の参入・退出率がこの5年間と変わらないと仮定すると、退出率の高い高齢層の構成比が高まるため、全体の減少ペースは2015年までの5年間では12%、以後5年ごとの刻みで、16%、18%、20%と加速していく計算になる。その結果、基幹的農業従業者数は、2010年の205万人から、2020年には152万人、2030年には100万人と、20年間で半減することになる(下表)。この間には、総人口も6%から11%程度減少すると見込まれているが、それにともなう需要減を見込んだとしても、試算したようなペースで農業人口が減少すれば、食料の安定供給という農業政策の根幹が大きく揺らぐことは避けられないだろう。
基幹的農業従事者数の試算結果 |
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農林水産省「農業構造動態調査報告書」掲載のデータをベースに、2015年以降の数値は、5歳刻みの各年齢層の5年ごとの参入・退出率が2010年までの5年間と同じと仮定して算出した試算値を記載
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15歳から19歳の新規参入者数は2010年の水準で一定と仮定
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基幹的農業従事者とは、販売農家(経営耕地面積30アール以上または農産物販売金額が年間50万円以上の農家)における農業就業人口(販売農家における自営農業のみに従事した者または自営農業以外の仕事に従事していても年間労働日数でみて自営農業が多い者)のうち、ふだんの主な状態が「仕事が主」である者
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そうした決定的な事態に陥れば、政策の転換は不可避となるが、それ以前の段階で、そこへ至る流れが明らかになることで、参入規制を含む、これまでの農業政策が根本から見直される可能性も高い。近時の世界的な食料需給逼迫への懸念や、通商政策との関連での議論の高まりが、その時期を早めることも考えられる。
これまでの農業の衰退に歯止めをかけ、食料の安定供給を維持していくうえでは、農家の後継ぎ以外の新たなマンパワーの確保、生産性の向上、消費者の嗜好やニーズの変化への適応といった課題への取り組みが不可欠だ。そして、これらの課題の解決に向けては、安定的な就業機会の提供や、マーケティングを前提とした投資を実行できる営利企業による産業的な展開を認めていくことが第一歩となるだろう。
産業的な視点に立てば、日本の農業には、多様な可能性が広がっている。食材の供給を通じて「健康・美容」「安全」といったニーズに応えていくことや、食と農業体験を通じて「娯楽」を提供することで、雇用や付加価値の総額も含めて、産業としての厚みを増していくことも考えられる。これまで停滞していた分、伸び代の大きさは、日本の各産業のなかでも屈指の存在と言える。農業と食品製造業や小売、外食等を融合させる「六次産業化」の展開や、農業のいわゆる「多面的価値」を、教育や娯楽、環境維持に活用する事業モデルの創出も期待される。
社会政策面での期待
農業が産業として発展するには、長期にわたって産業活動を支え得る若年層や、働き盛りの世代の人材の拡充が不可欠と考えられるが、その一方で、日本の社会、経済にとってみると、農業が持つ、高齢者への就業機会の提供という役割も無視できない。高齢化が一段と進み、社会保障の限界が強く意識されるなか、高齢者の就業を促すことで、社会保障給付の削減余地を拡大していくことは、これからの日本の社会にとって、きわめて重要な課題である。
2010年時点の65歳以上の人口は2,948万人で、その約2割にあたる585万人が働く意思を持ち、実際に570万人が何らかの職に就いている。同年の65歳以上の基幹的農業従事者数は125万人と、高齢就業者のほぼ2割にあたる水準である。また、農業においては、農家に生まれながら他産業で働いていた人が退職を機に家業を継いで農業にデビューするパターンを中心に、60代という高齢になってからの参入率が高いことが大きな特徴と言える。たとえば、2005年の基幹的農業従事者のうち55歳から59歳の人数は21万人であったが、5年後の60歳から64歳の人数は27万人と、3割を超える6万人の純増となっている。そうした点も含めて、高齢者の就業機会としての農業の位置付けは相当に大きいと言えるだろう。
しかし、図表に示したとおり、これまでの趨勢が変わらなければ、65歳以上の基幹的農業従事者数は減少に向かうことになる。65歳以上の人口は、今後、大幅に増加することが予想され、働く意欲を持つ人もそれに応じて増えていくと見られるなかで、農業が彼らに就業機会を提供できないとなると、高齢層の失業率の上昇や、社会保障を含む財政の悪化といった形で、日本の社会にとって大きな痛手となる。それを回避するためには、従来のような農家の出身者だけでなく、より幅広い層が、退職後に農業に参入してくるようになることが必要だ。
とはいえ、経験のない高齢者が自ら農業をはじめても、仕事として成功させることは容易ではないだろう。この点においても、農業が産業化し、「農業企業」が農業経験のない高齢者に就業機会を提供するスタイルが定着することが望ましい。もちろん、産業化を進めただけで高齢者の雇用に結び付くとは限らないが、高齢者をマンパワーとして受け入れるキャパシティは、他の多くの産業に比べて格段に大きい。社会保障を含む社会政策の一環として、農業企業に高齢者の受け入れを促す何らかの施策が加われば、農業が、増加し続ける高齢者の就業の受け皿にはなることは十分考えられる。
産業化が実現してからの日本の農業は、食料の安定供給の確保に加えて、成長産業の育成を目指す産業政策や、高齢化時代の新しい社会政策の対象として、重要性を増していく。農業政策の転換への期待は、きわめて大きい。
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