21世紀がやってきた。この世紀の変わり目に、経済は、その性格を大きく変えようとしている。一言でいえば、原点回帰のトレンドだ。
経済の原点は「いちば」
映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘップバーン演じるアン王女が、ローマのいちばを1人で散歩するシーンが出てくる。魚屋でウナギに触ってみたり、サンダルを買ったりといった、1分ほどのごく短いシーンだ。同じようなシーンが、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」にもある。彼はこの作品で、富豪の友人を手に掛け、その財産を乗っ取ろうとする犯罪者を演じているが、つかの間、町のいちばの、人々の温もりのなかを歩く。そんなシーンだ。
どちらも、何でもないシーンだが、実に印象的である。かれんな王女と殺人者。まったく対照的ではあるが、どちらも私たちの日常とはかけ離れた存在だ。そのことが、いちばという日常生活そのものの情景をバックにすることで、一段と際立ってくる。
いちばは、私たちの日常の暮らしの象徴であり、経済の原点でもある。経済とは、一言でいえば「人々が暮らしていくうえで、お互いに支えあう枠組み」のことである。人々が、それぞれに作ったもの、穫ったものを出し合って、それぞれが生活に必要なものを手に入れる場。いちばは、まさに経済そのものなのである。
複雑化した経済
みんなで仕事を分担することで効率を上げる。仕事の成果を持ち寄って、みんなで交換しあう。こうした「社会的な分業」の枠組みこそが経済の本質であり、その枠組みは、いちばを原点として、さまざまに高度化、複雑化していった。
チャップリンが「モダンタイムス」で描いたような、工場での流れ作業による大規模な生産様式は、20世紀の人々の物質的な豊かさの基盤となったが、半面、仕事は細切れになり、ものを作っているという実感は希薄になった。
工場での労働の多くが機械に置き換わることで、全体として肉体的な負担は軽減されたが、高度化した生産工程を管理する仕事、いわゆるオフィスワークのウエートが高まり、生産の実感、仕事の実感はますます薄らいでいった。生産者と消費者の関係は、「お互いに支えあう」という意識は薄れ、お金を媒介にした単なる取引関係に過ぎなくなった。
競争の場としての経済
分業の高度化、複雑化は、物質的な豊かさに加えて、競争原理が支配する社会をもたらした。とはいっても、仕事の成果である商品やサービスを奪い合うのではない。生産力の爆発的な拡大で、需要に対して供給が過剰な状態が普通になった結果、生産者同士、あるいは売り手同士が買い手を奪い合う競争が常態化したのである。
こうした競争は、商品やサービスの高度化、多様化や、生産活動の効率化を促す圧力となり、私たちの物質的な豊かさは、一層高まった。
しかし、働く人々にとっては、競争は常にプレッシャーとなり、生産の実感の薄れた仕事を、一段とつらいものにした。
また、いかに生産力が余っていても、お金のない人の需要が満たされることはない。先進国では過剰な生産力をもてあまし失業が問題となっている。しかしその余った生産力を、飢えに苦しむ途上国の人々のために活用することは難しい。分業の枠組みがお金を媒介にした取引関係をベースに構築されているためだ。
今の経済は、「お互いに競い合ってお金を稼ぐ場」と化し、「人々が互いに支えあう枠組み」という原点は、すっかり忘れ去られてしまった。
いちばへ戻るトレンド
しかし、ここにきて、分業の複雑化、競争原理の浸透といったトレンドが逆転する兆しがみえてきた。
一つには、IT革命の動きがそれだ。ITを活用することで、組織を管理したり、商品を流通させたりといった、いわゆる中間者の仕事は大幅に減る。逆に重要になるのは、ユーザーとじかに向き合って、そのニーズに応じた商品、サービスを提供する仕事である。
また、私たち自身も、細分化された労働や、競争のプレッシャーに嫌気がさし、そうではない別の働き方を求めはじめている。リスクを覚悟のうえでベンチャーを起こす人が増える一方で、真剣にだれかの役に立ちたいという思いから、給料が安くても、あえてNPOやNGOに職を求める動きも、既に相当目立ってきている。
仕事にやりがいや手ごたえを求めるというのは、ある種、ぜいたくなことではある。しかし、物質的な豊かさがここまでくると、次の段階では、仕事の面での豊かさを追求することは、時代の要請といえるだろう。
こうした動きは、経済が、いちばに象徴される原点に回帰するトレンドととらえられる。今はまだ兆しに過ぎないが物質的な豊かさだけを追求する時代は終わり、私たちの経済は、今まさに新しい時代を迎えようとしている。
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