Works
The World Compass(三井物産戦略研究所機関誌)
2003年10月号掲載
特集 「食」の現場から
食卓が語る日本の現在(インタビュー&構成)
岩村暢子氏(アサツー ディ・ケイ第二営業総括 200Xファミリーデザインルーム長)

 4月に出版された「変わる家族 変わる食卓」という本(Amazonの紹介ページへ)が、「食」にかかわる業界やマーケティング関連の業界で注目を集めている(同書の紹介ページへ)。同書は、アサツー ディ・ケイが1998年から5年間にわたって、各年約20世帯の食生活の実態を綿密に調べ上げた、「食DRIVE」と題する調査の結果をまとめたものである。そこには、まさに危機的とさえ言える日本の「食」の現場の状況が浮き彫りにされている。同書の著者、アサツー  ディ・ケイ第二営業総括200Xファミリーデザインルームルーム長の岩村暢子氏に、調査の背景や深層を聞いた。


1.浮かび上がった「60年生まれ」の断層

小村 『変わる家族変わる食卓』、たいへん興味深く読ませていただきました。調査結果はもちろんですが、調査の手法や過程についても学ぶべき点が多いと感じていまして、今日はまず「食DRIVE」の調査を始められた背景とか狙いといったあたりからお話しいただけますでしょうか。

岩村 1993、4年ころのことですが、ファミリー層を対象とした市場調査の結果をベースにした商品開発やプロモーションが、家電、食品、トイレタリー、子育て関係、レジャーなど、いろいろな商品分野で、思うような成果を生まなくなってきたのです。例えば、簡便指向は調査対象の90%が支持しているのに、なぜかその簡便商品が受けないというような現象が、90年代の前半に次々と出てきました。
 通常の市場調査では、対象を年齢階層とか職業別といった属性別に見ていくケースが多いんですが、その手法ではどうしてもうまくいかなくなってきた。そういう背景があって、その当時ファミリー層に入ってきた人たちを中心に、生育史研究を始めたんです。何歳のときにどんな事があって、どういう影響を受けたか、ヒットしたお菓子やオモチャの発売、流行ったファッションや音楽、家庭の教育観から学校教育の指導要領まで含めてすべて、もう一回なぞり直して、その後の価値観の形成などにどのような影響があったのだろうかということを調べてみたわけです。
 その結果浮かび上がってきたのが、生まれ年で1960年というところに、大きな断層があるということでした。60年以降に生まれた人々の価値観や言葉の使い方は、それ以前に生まれた人々と大きく違っている。例えば、メーカーが60年以前生まれの感覚で「簡便」だと思って作った商品が、60年以降生まれの人には「そんなトロい商品のどこが簡便なんだ」と思われていたりする。あるいは「本格的なものを指向しますか?」なんてアンケートで聞いて、その結果をもとに「本格」指向の施策を打ってみても、上の世代が思っている「本格」と、20代、30代の人が思っている「本格」というのが全然意味が違っているので、うまくいかない。同じ言葉でも、その意味とか価値観に食い違いが生じてきていたわけです。
 90年代の中ごろに、従来のマーケティング手法で消費者の状況をつかめなくなってきたのは、60年以降に生まれた人たちがファミリー層の市場に入ってきて、年齢別でみた「30代」の層の価値観がバラついてきてしまったためと考えられました。私どもが「60年以降生まれは違うぞ」ということを発表してから、ある大手食品メーカーが、お持ちになっているデータを60年以降生まれと以前生まれで分け て全部洗い直してみたら、非常にきれいに結果が出たということも聞いております。

小村 なるほど。消費者を理解するには「年齢階層」よりも生まれ年でみた「世代」の意味合いが重要で、それも生まれ年で「60年」という断層が極めて大きいという命題があって、それが「食DRIVE」の調査へとつながっていくわけですね。

岩村 60年以降生まれの世代について、もっと具体的に調べていこうとして始めたのが「食DRIVE」調査です。彼らがどのような価値観あるいは感覚、考え方を持っているのか、一つひとつの言葉をどのような意味でとらえているのか、より具体的に調べるために、「食」を対象にしようということになりました。教育とかレジャー行動、特定の消費財になりますと、彼らの実際の行動から現実を見ていくことが難しい。それに対して、「食卓」であれば、家族の関係や主婦の考え方の変化が刻々と行動になって出てきます。そこで、1日3回の家庭の食卓をずっと見ていくのがいちばん効果的だろうということで、それを5年にわたって続けてきたわけです。「食卓」の調査ではありますが、実際には、60年以降に生まれた人々の、育児とか夫婦関係、親子関係、ものごとの購買や楽しみ方、様々なものに対する価値観や考え方がどのように変わっているか、さらには、それが日本の家族をどう変容させているかを分析するための調査だったんです。


2.重みを増す企業の責任

小村 調査の結果、見えてきたのが、日本人の「食」が崩壊しつつあるという現状。

岩村 明らかに、日本人の「食」は貧しくなっています。実際に日常食べているもの、そして、「食」に対する意識や心がどんどん低下している。もちろん、戦時中にサツマイモしか食べてなかったというのと比べると、ファストフードやインスタント食品でもずっと贅沢だというのは確かです。しかし、その時の生活全体の水準に対して、このぐらいの余裕があるならば、「食」はこのぐらいの重みでありたいという意識がどんどん小さくなってしまった。その結果、栄養、健康志向みたいな情報感度は高まっていながら、現実の食卓は、これでよく栄養失調にならないなという状況にまで来ています。

小村 実際に健康面への影響というのは出始めているんでしょうか。

岩村 保育関係、医療関係で私たちの調査に関心を持たれる方は、そういう認識をお持ちのようですね。

小村 首都圏、あるいは都市部だけの現象だとは考えられませんか。

岩村 確かに、私どもの調査の対象は首都圏在住の方に限られています。ですがその中で、首都圏で育ったという方は、むしろ少ないんです。その意味で、首都圏に限った現象ということではないと判断しています。いろいろな機関でやられている全国規模の調査を見ても、都市部と地方との差がなくなっているということもあります。これは、調査の対象が、まさに「マスコミ時代」の育ちで、育った場所による差異が非常に小さくなってきた、均質化したということでしょう。
 それに、事後的な話ですが、地方の方から頂いたお手紙を見ても「まったく同じです」という反響が多い。農家の方でも、農作物が目の前にあるのにインスタント食品を食べていますし、バラバラ食の傾向も見られる。そうした反響がいくつもいくつも入ってきています。特に、食に対する価値観、考え方という意味では大差ないと思います。関西地方が若干「食」を重視しているという話もあるんですけれども、関西の食品関連の企業でも、じきに「東京化」するとみていらっしゃるようです。

小村 なるほど。調査結果をお聞きになった御社のクライアントの方ですとか、本を読まれた方からの反応はどんな具合だったんでしょうか。

岩村 それまでに出ていたデータとあまりにも違っていたためだと思うのですが、最初は否定的な受け止め方が多かったですね。「これは本当かもしれない」ということで問題意識を持って連絡してこられたのは、ほとんど企業のトップの方でした。大手企業も含めて数十社の社長、副社長、重役クラスの方から「話を聞きたい」とか「説明してほしい」というお話を次々に頂きました。やはり企業のトップは現場の方とはまた違う現実感をお持ちになっていて、非常に鋭く反応されるんだなと思いました。
 その後、いろいろな企業の方に説明して回りましたが、そこでも「生まれ年の断層」を感じましたね。上の世代の方は懐疑的で、「こんな連中を相手に商売してるんじゃない」とか「これが実態だなんて信じられない」というような反応までありました。ところが、60年以降の生まれの方だと、「うちも同じだよ」という話になる。
 多くの会社で、ジャッジする立場の人が、現場から上がってきた案を、世代間の認識の違いからくる不当な思い込みで潰してきた。現場の人たちはそれをきちんと上の人たちに伝えるだけの実証性を持っていないので上に上げていくことができなかった。「食DRIVE」の調査結果を通して、その状態にようやく気が付いていただけたというケースが多々ありました。

小村 家庭の側が「食」に関してこれだけファストフードやインスタント食品に頼りきっているという現実を前にすると、食品を扱っている流通業者やメーカーの役割がものすごく重くなると思うんです。今の状況を前提にすると、何らかの対策を打てるのは、もう産業の側でしかないとさえ言えそうな気がします。

岩村 最後は企業哲学の問題になるんじゃないかと思うんです。「好んで買って食べてくれるんだから、今のままで良いんだ」という企業なのか、消費者の健康を考えて「少しでも良い方向に導こう」と限界を模索する企業なのか。それは企業の哲学、理念の問題でしょう。迎合していくと市場自体がシュリンクしていくという懸念もある。実際、企業の方で、少しでも体にいいものを作って、少しでも良い「食」を提供していくことを真剣に考えたいとおっしゃる方は多いですよ。

小村 とは言っても、営利企業としての最適行動と、「日本の将来を考えて」というのはもしかするとずれてくる可能性がある。シビアな状況になると、そうそう「お国のため」とか言っていられなくなる。

岩村 そうですね。だからこそ、企業理念が重要になってくるのではないでしょうか。

小村 逆に、家庭の側なんですが、長い目で見たときに、家庭の機能というのは果たして残るものなのでしょうか。

岩村 残るのは「外注コーディネーター」というような機能ではないでしょうか。例えば衣料品の購入はあそこで、「食」に関してはあそことあそこをこんなふうに使い分ける、レジャーに関してはあそこに外注する、とか。そこでは、情報力とかセンスとかが個性であり、重要になってくる。家事能力というのは、家事労働能力、技術能力ではなくなって、最後に核になるのはセンスと情報力みたいな。

小村 良いものを良いと判断できる、そういうところは結局、消費者の能力に期待されるということですか。

岩村 それは単純に能力というだけでもないと思うんです。本にも書いていますが、情報を集める能力はあっても、自己愛型で耳に蓋をしてしまったり、好みに合わないから必要な情報であっても無視しちゃうというのは珍しくありません。必ずしも能力だけじゃない。

小村 情報の伝え方というのがものすごく難しくなるんでしょうね。正しい正しくないではなく、聞きたい聞きたくないで情報を選ばれてしまう。そうした時代にいかに情報を伝えていくのか、コミュニケーションしていくのか、大きな課題になりますね。


3.「食卓」は戦後日本の縮図

小村 この本を読ませていただいたときに、素直な読者としての次への期待は、やはり謎解きだと思うんです。日本の「食」がこんなにも変わってしまったのはなぜか、どんな背景があったのか。このあたりは、ぜひ続編を読んでみたいです。それと同時に、この本を読んだ段階で、読者自身がいろいろな仮説を立てていると思うんです。それぞれの視点で。

岩村 小村さんは、どんなふうにお考えになったんですか。

小村 経済とか産業の歴史という視点からすると、今回お書きになったような現象は、ある意味では必然的な流れではなかったかということです。仕事が楽になったり自由時間が増えたりというのは、経済発展によって実現される「豊かさ」の一つの側面です。経済発展の原動力というのはみんなで仕事を分け合う仕組みを高度化していくことにあるわけですが、家庭の食事作りの仕事を企業なり学校給食なりの外部に任せて効率化して、家事をどんどん楽に楽にしていくというのは、経済発展のストーリーに完全に乗っかっている。

岩村 それは本当にそう思います。時代の流れとしてまさにその傾向。ただそこで「60年生まれ」という断層が入ってきたのは、そのころに原因となる様々な現象が重ね合わさるように起きたということだと考えています。サービス産業の発展もそうですし、社会的な価値観や教育の変化も含めてです。時代背景が、そうなっていく必然のもとにあった。それは日本だけではなくて、ほかの国においても同様だろうという気がします。消費社会というものはそういうものだったのでしょう。

小村 戦後の復興期を経て高度成長期というのがあって、そこでいろいろなものが産業化していく。そのなかで、産業の側が市場開拓というか事業の拡大を目指して、主婦に対して「やってあげますよ、やってあげますよ」と強力に引き込んだことで、家事労働の外部化が一気に進んでしまったという面はあるかもしれません。昔からの流れが加速したということ。ただし、必然的な流れだからそれで良いのかというと、多分そうじゃない。超えてはいけないものを超えてしまったのではないかという問題認識もある。

岩村 私の感じでは、単に昔からの流れが加速したということではなくて、目的が変わったのではないかと思っているんです。効率化するときには目的があるわけですよね。例えばより良いものを食べるためとか。ところが、ある時点から効率化すること自体が目的になってしまった。その結果、日本の「食」は「エサ」、「栄養補給材」になりつつある。

小村 まったく同じことが経済全体についても言えるでしょうね。経済活動を効率化する本来の目的は、飢えたり凍えたりしないですむように生産力を上げるとか、自由な時間を増やすとかするためなわけですが、経済が企業を中心に回りだして、金融理論や株式市場が企業を監督するような時代になって、企業の利益だとか効率だとかが目的化してしまった。その結果、リストラで失業者が増えたり、若い人たちが就職できなかったりと、本来の目的だったはずの「豊かさ」とは逆の方向に進んでいるわけです。日本の家庭の現状は、そういう状況とオーバーラップします。本を読んでいるときにも、悪い意味での企業とか産業の行動様式、思考様式が、家庭を侵食しつつあるんじゃないかということを感じました。

岩村 すべてにおいて目的が見失われてきたというか、効率化自体が目的化して、何のための効率化かというビジョンが見えなくなった時代なんでしょうね。

小村 先進国みんなそうなのか、あるいは日本が特にそれを短期間で取り込んでしまったがために、犠牲にした部分、捨ててきてしまった部分が特に大きかったのかは難しいですが。ただ、やはり大きいのは、戦争で負けて価値観をいったん全部ゼロに戻したことなんでしょうか。

岩村 私は60年以降生まれの問題というのは、戦後のゼロリセットの問題と大きく絡むと思っています。60年問題というのは戦後問題だと。それが謎解きのキーになっていくと思います。

小村 先ほど、「食」は生活全般の指標になるというお話がありましたが、「食」がこれだけ劣化しているということになると、生活全般に問題が起こっているということでもあるでしょうし。

岩村 そう思います。本当に氷山の一角として、食事にもこのように見えているということであって、いまの日本は戦後のしわ寄せを、それこそ全部凝縮した形で見せられている状態なんでしょう。単なる不景気とかではなく、あるいは若い人が変わったとかいうことでもなく、戦後のすべての集大成を見せられている。幼児虐待の問題にしろ、子供たちのさまざまな事件にしろ、そういう流れのなかできちんととらえる必要があって、その人たち個人個人の問題ではないだろうと思っています。
 実は、この本を出すにあたっては、結構焦ったんですよ。というのは、こういう話が通じる最後の時期だという気がしたんです。あと2、3年たったらみんな反対側に川を渡っていて、こんなこと書いても通じる人がいなくなっているんじゃないかという意味で。60年代以降の価値観の人が、企業でも官庁でも、ものごとをジャッジする層に入っていくことで、社会全体がその価値基準の中でものを考えるようになってしまう。だからそうなる前に、彼らの価値観を相対化してみて、私たちと一緒に考えませんかという問題を投げかけてみたかったんです。

小村 逆に言うと、まだ間に合うということですね、それは。

岩村 いまならまだ、という感じがしたんです。すごく奢った言い方かもしれませんが。実際、「これでいいの?」と問いかけてみると、若い人たちからも「そう言われればそうなんだよね」という答えがちゃんと返ってくる。それに、誰もがそれぞれの現場で、食品メーカーさんは食品メーカーさんで、医療は医療で、教育は教育で考え直そうかという雰囲気がある。「これでよかったのかなあ」と。


4.「真実」を知ることの難しさ

小村 本にお書きになったような調査結果が出てきて、読んだ人、聞いた人は、まずやはり「驚き」だったと思うんです。ただ、本にはほとんど数字が出てきませんよね。実際、サンプル数としてはそれほど大きいとは言えません。

岩村 確かに、これだけのサンプル数で語っていいのかというのは必ず出るご質問です。それとやはり割合。「このような人がいることは認めるが、それは2割なの、8割なの」というような質問は非常に多かったです。ですが、「食DRIVE」の調査は典型的な定性調査なんです。定量ではない。定性調査というのは、数字が語れる場合にも語らない、数字自体は意味を持たない、というのが基本です。なので「食DRIVE」で、数字上、何割とか何パーセントということは、私たちは本当は言いたくないんです。
 ただ、定性調査でこれだけの規模のものは恐らくありません。最大手の調査会社でも、通常の定量調査であれば千人単位を対象にやっていらっしゃるところはありますが、このような超定性調査で「食DRIVE」並みの規模の調査はありません。ですからこれでものを言うことは何ら不足はないだろうとは思っています。100世帯もとれば、大まかに何割ということは、つかみとしては言えるわけです。その意味で、本に書いたような現象は、相当高い割合で見られる傾向だと考えています。

小村 サラリーマン的には、報告書を上げようとなると、どうしても数字のデータに頼りたくなります。

岩村 それに応える形で、定性調査においてまで数字を出そうとして、対象者全員に同じ質問を投げかけたりするケースが多いように思います。ですが、定性調査の場合、同じ質問では意味がないんです。同じ主題であっても、その人の状況と行動、価値観とに合わせた探り方をしていかなければいけない。本当はそこが定性調査の技で、たいへんなスキルが必要なんです。
 本来、定量と定性というのは車の両輪でどちらも重要であって、きちんと使い分けていかなくてはならないものです。定性で仮説を掘り起こしていって、その上で、このへんを詳細に数字で見られないかとか、これとこれの関係性を洗いたいとか、そういうポイントを、定量調査で細部にわたって数字で洗っていくというプロセスが必要です。

小村 単なるアンケートだけでは、人の本音や現実の姿、「真実」はつかめないんだというご指摘もありました。これは、お書きになった本のもう一つの大きなテーマではなかったかと思うんです。

岩村 「食DRIVE」調査では、三つのステップでデータ収集を行いました。まず事前アンケート。ここでは食事作りや食生活に対する考え方などに関する質問に答えてもらいました。次に1日3食1週間分の食卓の写真の回収。これにはメニューを決めた理由や食材の入手ルートなどを記入したレポートも付けて出してもらいました。そこでは、建前と実態とがかけ離れていることがどんどん明らかになってくる。「栄養バランスを考えて、必ず野菜を料理につける」と書いた主婦が、実際にはごくたまに夕食に冷凍のインゲンを添える程度だったり、「料理は手作りを重視している」と書いていた方がレトルトや冷凍食品ばかり出していたりするわけです。そこで、第三のステップで、最初のアンケートと実際の食卓の写真をもとに、建前と実態とのギャップや矛盾点について、詳細にインタビューしていきました。レポートには「手作りのワカメスープ」と書かれていても、聞いてみると作り方を全然知らなかったり、というようなこともわかってきます。そして、その理由も出てくる。ここまでやって、ようやく彼女たちの「真実」が見えてきたわけです。

小村 本の帯にも書かれている「見えない真実」を知ることの難しさですね。表に出てきた数字で必ずしも「真実」をとらえられるわけではない。私自身、これまでの調査の仕事を振り返ってみて、果たして大丈夫だったのかなと考えさせられます。情報がいくらでもとれる時代になったからこそ、「見えない真実」を拾い上げていくことの難しさとか大事さを、より真摯に、肝に銘じておく必要があると痛感させられました。本日はありがとうございました。


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