Works
リテールバンキング(経済法令研究会) 2000年3月号掲載
(連載)映画に見る金融ビジネス 第四回(最終回)
これからのリテール金融

市場に集まる欲張りなカモと悪者たち

 前回述べたように、金融理論によって秩序立てられた経済体制は、米国で成立した後、日本にも浸透しつつある。そうした時代認識を、「金融時代」という言葉で捉えたわけだが、その体制は構造的な問題を抱えている。ポイントは、金融市場の性格にある。
 これまでみてきたように、映画に登場する金融ビジネスのほとんどが敵役、嫌われ役であった。その筆頭格が、本連載の第二回で取り上げた市場でのビジネスだ。
 今日の市場は、カジノや博打場にきわめて近い性格を持っている。そこは、欲に駆られた素人と、それをカモにしようとする悪者がひしめく場所だ。映画「大逆転」の主人公ビリー(エディ・マーフィ)は、商品取引所の仕組みを説明されて、「要するに『ノミ屋』だ」と理解する。
 この映画では、情報の不正入手や情報操作といった悪事が取り上げられている。「ウォール街」で題材とされたのはインサイダー取引。どちらもギャンブルでいえばイカサマだ。
 こうした性格の存在であっても、金融市場は、現代の経済において重要な役目を果たしている。市場で生み出される価格情報は、株価にしても為替レートにしても、人々の生産活動が自律的に調整される前提となる。金融時代の主役である企業経営関連の金融ビジネスも、市場が生み出す株価というシグナル、すなわち企業の成績評定なしには機能しない。
 そう考えると、市場から悪者を排除することは、金融時代のきわめて重要な課題であることは間違いない。しかし、これまでのところ、法律や規制と悪者たちとのイタチごっこの様相を呈しており、市場の浄化はなかなか進んでいないのが実情だ。


市場が抱えるバブルの可能性

 市場が混乱するのは、悪者が暗躍する場合だけではない。そのあたりは、「大逆転」のクライマックスにも表れているが、市場では、時として、大多数のプレーヤーが、誤った思い込みや、他のプレーヤーの行動を基準に取引を行うことがある。映画では、誤った情報に乗せられた悪役の買い攻勢をきっかけにオレンジ相場が急騰する様子が描かれている。しかし、実際には、そうした人為的な操作がなくても、政府当局者の何気ない発言や、出所のはっきりしない噂話が市場の動揺を誘発することも多い。
 その場合、たとえ誤った、あるいは根拠のない情報に基づく取引であっても、誰もが同じ方向に動けば、市場はその情報を裏付ける方向に動く。そうなると、その情報の信憑性が高まり、取引も、価格も、同じ方向へ加速していってしまう。その結果、市場は実際の経済情勢や需給関係から導かれるはずの適正値から大幅に乖離してしまう。
 その情報が誤っていることがはっきりすれば、乖離は修正される。「大逆転」では、正確な情報が発表されたとたん、オレンジの先物価格は急落に転じた。
 しかし、現実には、思い込みが実現し、それが思い込みを強めるという循環が繰り返され、長期に渡って乖離が拡大し続けるケースもある。それがバブルだ。バブルが膨らんでしまうと、それが修正される際のインパクトはきわめて大きなものとなる。日本のバブル崩壊やアジアの通貨危機などのケース、古くは米国の大恐慌もそうだ。
 これは、市場が本質的に抱える問題だ。それを払拭するには、市場のプレーヤー一人一人が、誤った思い込みに躍らされない冷静さを持つことが大前提となる。しかし、短期的な儲けを狙うには、市場の流れに乗る方が有利なケースも多い。そういう行為を排除するのは、法的な規制よりも、モラルの確立の方が有効かもしれない。
 市場のビジネスを悪く描いた映画が作られ、それが人々に受け入れられているということは、少なくともモラルの面での健全さは維持されているということだろう。映画「エデンの東」で、主人公キャル(ジェームズ・ディーン)が父親を助けるために手を出した先物取引を、「悪いこと」とした感覚は、今の時代にも通用する。社会の利益を犠牲にしてまで、市場で短期間での儲けを狙うことは、たとえ合法的であっても、モラルのうえでは許されない。そうした感性にこそ、金融市場が経済のインフラとして確立されるための一筋の光明がある。


金融理論は金融ビジネスをも統治する

 金融ビジネスが嫌われ役になりやすいもう一つの理由は、金融業が常に社会的強者、あるいは強者の味方の立場にあったことだろう。しかも、「まっとうに」働いている人を苦しめたりもする。
 金融理論が経済全体を統治する金融時代には、その傾向はますます強まっている。その気分は、前回取り上げた映画、「ウォール街」、「プリティ・ウーマン」、「アザー・ピープルズ・マネー」にも充満している。
 しかし、金融時代は、企業もそこで働く個人も、すべてが金融理論に統治される時代だ。金融理論を駆使して一般企業の経営を牛耳るインベストメント・バンクや、そこで働くトップ・プレーヤーたちも、その例外ではない。一般企業同様、厳しい金融理論の統治を受けるのである。彼らは彼らで、厳しい競争環境の下で働いているのである。
 前には、市場のプレーヤーをプロスポーツの選手になぞらえたが、インベストメント・バンカーにも同じことがいえる。スター・プレーヤーが手にする報酬は莫大なものだ。金融時代には、彼らはマイケル・ジョーダンやマーク・マクガイアのような存在となり、多くの若者が彼らに憧れ、金融ビジネスに入ってくる。
 しかし、その結果として競争環境はどんどん厳しくなっている。「ウォール街」の主人公バドも、そうしたなか、スターの座を目指して身を削るような思いをした一人だ。努力に努力を重ねても、トップの地位を手にするのは、運と才能に恵まれたほんの一握りの人々に過ぎない。
 現時点で、単に巨額の報酬を目指すのであれば、金融理論を修めてインベストメント・バンカーの仕事に就くことは有力な選択肢の一つだ。しかし、それには相当な苦労とリスクを覚悟しなければならない。もはや、妬まれたり羨まれたりするようなポジションではないだろう。


刑務所のなかのリテール金融

 金融時代には、リテール金融も大きな変革の波にさらされることになる。規制緩和がこの時代の趨勢であり、そこでは、より高い効率性、より良いサービスが要求される。規制の枠組みを前提としていた旧来型のビジネス・モデルでは時代の流れに取り残されてしまうだろう。
 リテール金融を描いた映画としては、これまでの連載で取り上げたなかで唯一金融ビジネスを好意的に描いた「素晴らしき哉!人生」がある。主人公が人生を懸けたのは、貧しいながらも一生懸命働き暮らしを立てている人々に住宅取得資金を貸し付ける仕事だ。主人公ジョージ(ジェームズ・スチュワート)の銀行と、それを取り巻く人々の関係は、コミュニティに根ざしたリテール金融の理想像として描かれている。
 この映画で描かれたような、人々の善意に支えられたシステムは、映画が作られて半世紀の時を経て、人々がはるかに豊かになった現代にこそ、現実のものとなる可能性がある。しかし、それはビジネスの世界の話ではないだろう。
 今回は、現実的なビジネスとしてのリテール金融の将来像を彷彿させる映画を紹介しよう。映画「ショーシャンクの空に」の主人公アンディ・デュフレーン(ティム・ロビンス)は、若くして銀行の副頭取の地位にあったが、無実の罪で終身刑に服すことになってしまう。
 映画のヒーローといえば、「カサブランカ」のリックや、ジェームズ・ボンド、スーパーマン、インディ・ジョーンズなど、いくらでも数えることができるが、私にとっては、この元銀行マンの服役囚アンディも、最高のヒーローの一人だ。彼の武器は、絶望的な状況でも希望を捨てない強靭な精神力。そして、金融の専門知識だった。
 ショーシャンク刑務所では、日常的に看守と他の囚人の暴力にさらされる。インテリのアンディにはきわめて辛い世界だ。ところが、遺産の税金対策に頭を痛める看守長に助言を与えたことで、彼の生活は一変する。看守長は、はじめは囚人のくせに生意気だと激怒するが、結局はアドバイスを受け入れ、感謝の印としてアンディと仲間たちにビールを振る舞った。さらに、アンディをつけまわす囚人にリンチを加え、病院送りにしてしまう。アンディは、暴力が支配する刑務所ではもっとも大切な、「安全」を手に入れたのである。
 その話を聞いた他の看守たちも、アンディの「顧客」になっていった。看守仲間の間での評判は次第に高まり、他の刑務所の看守までがアンディの前に行列を作った。
 そして、刑務所長もアンディを利用しはじめる。刑務所長としての立場を活かして不正に稼いだ裏金の管理をアンディに任せたのである。これが後々アンディの運命を大きく左右し、鮮烈なラストシーンへとつながっていくのであるが、結末についてはここでは触れないでおこう。是非、映画を観ていただきたい。


これからのリテール金融

 アンディが刑務所内で金融アドバイザーとしての地位を得たのは、1950年頃の出来事として描かれている。しかし、この映画が公開された94年の状況を前提にしても、アンディの前に行列ができることに違和感はなかった。こんなアドバイザーがいれば相談してみたい。映画を観た人の多くがそう感じたのではないだろうか。それは、現実の世界に、彼のようなアドバイザーがいないためだ。
 アンディの人気は、もちろん無料だったということもあるだろうが、本気で顧客の利益を考えたことによるものだ。顧客を怒らせれば、身の安全が危うくなるのだから、それも当然のことではある。
 ただ、もう一ついえるのは、彼自身が特定の金融商品・サービスに縛られていないという点だ。この商品なら扱えるけれども、この商品はダメというのでは、顧客にとって便利とはいえない。また、特定の金融機関に属し、その機関が提供する商品の売り子の立場にあると、純粋に顧客の立場には立ちにくい。どうしても、自社商品の販売にバイアスがかかってしまう。少なくとも、顧客の方はそういう疑いを抱いてしまう。一般の顧客は、自分のことを最優先に考えてくれるアドバイザーを求めているのである。
 顧客の信頼をいかに獲得するか、どうやって顧客に利便性を提供するか。それはリテール・ビジネスの基本中の基本だ。それが、今までの日本の金融機関には、まったくできていなかった。それは、規制に縛られていたため、そして、その裏返しで護送船団に守られて本当の競争を経験していなかったためだ。
 しかし、これからは違う。ペイオフが解禁されれば、預金商品の競争力は格段に低下する。郵貯はもとより、流通業などからの新規参入組や、各種の投資信託商品との競争も本格化するだろう。既存の金融機関は自社で提供する預金商品にこだわってはいられなくなる。一昨年、銀行の投信販売がスタートしたが、それは第一歩に過ぎない。既存の金融機関は、商品、サービスの品揃えを充実させて、顧客のニーズに応えていける業態への進化を余儀なくされるだろう。
 また、これからのリテール金融では、預金の取扱いなどの業務は徹底して機械化されていく。定型的な情報はネットを通じて提供されるようになる。リテール金融の世界で人材が必要とされるシーンは限られてくる。
 これらを考えあわせると、ショーシャンク刑務所のアンディのスタイルは、将来のリテール金融のモデルといえるだろう。顧客それぞれに異なるニーズを受け止め、アドバイスを与えていく仕事である。それを実践するためには、金融や税制に関する幅広い知識と、顧客を惹き付ける力が必要だ。業態の進化は、そこで働く人々にも進化を要求する。
 金融時代の波は、既に日本の金融ビジネスにも押し寄せている。企業も個人も、進化できない者は淘汰される。銀行も銀行員も、今のままでは生き残れない。そんな時代はもう目の前までやってきている。


本連載で取り上げた主な作品

素晴らしき哉、人生!(第1回、第4回)
 製作:1946年 米国
 監督:フランク・キャプラ
 出演:ジェームズ・スチュワート、ドナ・リード、ライオネル・バリモア

タッカー(第1回)
 製作:1988年 米国
 監督:フランシス・フォード・コッポラ
 出演:ジェフ・ブリッジス、ジョーン・アレン、マーティン・ランドゥ

エデンの東(第2回、第4回)
 製作:1954年 米国
 監督:エリア・カザン
 出演:ジェームズ・ディーン

大逆転(第2回、第4回)
 製作:1983年 米国
 監督:ジョン・ランディス
 出演:エディ・マーフィ、ダン・エイクロイド

ウォール街(第1回、第3回、第4回)
 製作:1987年 米国
 監督:オリヴァー・ストーン
 出演:マイケル・ダグラス、チャーリー・シーン

プリティ・ウーマン(第3回、第4回)
 製作:1990年 米国
 監督:ゲイリー・マーシャル
 出演:リチャード・ギア、ジュリア・ロバーツ

アザー・ピープルズ・マネー(第3回、第4回)
 製作:1991年 米国
 監督:ノーマン・ジュイソン
 出演:ダニー・デヴィート、グレゴリー・ペック、ペネロープ・アン・ミラー

ショーシャンクの空に(第4回)
 製作:1994年 米国
 監督:フランク・ダラボン
 出演:ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン


連載タイトル

■第一回「バンキングと証券ビジネス」
■第二回「市場と情報」
■第三回「金融時代の到来」
■第四回「これからのリテール金融」


新企画「映画でみる私たちの経済」へ


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