「リテラシー」という言葉、新聞や雑誌で、“OAリテラシー”とか“情報リテラシー”、“金融リテラシー”といった表現で、よく目にするようになりました。今回は、この「リテラシー」という言葉について考えてみます。
現代の「読み書きそろばん」って?
「リテラシー」、英語で‘literacy’。「読み書きの能力」という意味です。世界の貧しい国々やアメリカあたりでは、まさに読み書きのできない人々の問題が深刻ですが、日本では、もう少し幅広く「社会で自立して生きていくために最低限必要な知識・能力」といった意味で使われています。
かつて「読み書きそろばん」という表現がありました。現代ですと、パソコンやコピー機を使えること、メールやインターネットで情報をやり取りできること、自分の財産や借金をきちんと管理できること。そうしたことまでが必要最低限の範囲に入ってきて、OAリテラシーとか情報リテラシー、金融リテラシーといった言葉が使われるようになったわけです。
リテラシーの本質
昔と今ではリテラシーの中身はずいぶん変化していますし、その変化はどんどん加速しています。ですが、リテラシーの本質は変わっていません。
一つは、読み書きに象徴される「コミュニケーション能力」、つまり、他人ときちんと意思を通じ合わせられることです。昔は読み書きだけで大丈夫でしたが、現在では情報機器を使えることはもちろん、人々の価値観が多様化したため、相手の気持ちを推し量る力も、昔よりずっと重要になりました。
もう一つは、そろばんに象徴される「自己責任能力」です。いろいろなことを自分で計算、判断して行動できること。財産の管理なども、それに含まれますが、自分を取り巻く世の中の変化に追いついていける能力も必要です。
「学び」続けることが重要
リテラシーを身につける場としては、小中学校の義務教育が中心になるわけですが、学校教育の内容が、リテラシーの変化に追いつけているのか否かは少々疑問です。
それに、読み書きそろばんの時代には、子供の頃に一度身につけてしまえば一生それで社会に順応していけたわけですが、リテラシーの変化が加速した今では、それだけでは十分といえません。いくつになっても、学び続けることが求められています。
すべての世代が、きちんと現代のリテラシーを身につけていないと、世代間の断絶はますます広がって、日本の社会はバラバラになってしまうかもしれません。子供にとっても大人にとっても、「学び」が大事な時代になっているのです。
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(読売ADリポートojo2006年11月号掲載)
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